2019年07月26日

キラッキラの君になるために



「ビリギャル」こと小林さやかさんが、バンコクで講演をされたことを知ったのは、Facebookの友人の投稿でした。
「そうだったんだ〜、行きたかったなぁ。」とても落胆しました。「どうしてその情報が先に届かなかったんだろう?」そう思って、他人や環境を呪いそうになりましたが、考えを改めました。「きっと今は会うタイミングじゃないってことでしょう。すべては完璧だから。」

その友人の投稿で、さやかさんが本を出版されたことを知りました。これは読まずにはおけない。すぐにネットで注文し、実家に届けてもらい、先日の一時帰国の時に受け取ったのです。

「ビリギャル」とは、さやかさんを導いた塾講師の坪田信貴さんが書かれた「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」という本のタイトルを省略したものです。それが転じて、さやかさんのことをそう呼ぶようになりました。

また、さやかさんのお母さん、ああちゃんが書かれた「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」という本もあり、こちらは「ダメ親」と省略されます。

映画化されて有名になっていたことで興味を持った「ビリギャル」。その本を読んでああちゃんの子育てに感銘を受けて読んだ「ダメ親」。どちらも素晴らしい本でした。そして今度は、当事者のさやかさんが本を書かれたのです。読む前から良い本に違いないと確信していましたが、実際そうでした。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

でも、高校2年のとき、弟の代わりに行った小さな塾の面談室で、ワクワクさせてくれるオトナにたまたま出会った。その人は、私の話をちゃんときいてくれる、初めてのオトナでした。その人が、「けいおう」っていう大学に、君みたいな子が行ったら、ドラマチックだよなあ、とうれしそうに、言ったんだ。」(p.17)

ああちゃん(母)は全力で応援してくれたけど、くそじじい(父)や学校の先生たちはみんな、ふざけたこと言うなって、すっごくキレてた。でも、私は本気でした。だって、人生楽しくしたいんだもん。もっといろんな人に出会いたいし、広い世界に、出てみたい。」(p.17)

将来は適当に働いて、結婚して、子どもを産んで、平凡な家庭を持つのだろうと漠然と思っていたさやかさんは、坪田先生との出会いで人生が変わったのでした。


私は、ついこの間、31歳になりました。そう、ビリギャルはもう結構オトナになっているのです。30年間生きてきて、皆さんに知っていただいているビリギャルストーリーは、間違いなく私の人生を大きく広げてくれるものにはなったけど、それでも、それは私の人生のほんの一部にすぎません。大学受験後、私の世界はどんなふうに広がったのか、それからまたどんな運命的な出会いがあって、その出会いは今の私にどう影響しているのか。振り返ってみると、すべてがつながっていて、すべてに意味があったように思います。」(p.19 - 20)

この本は、これまでの慶應大学合格までのストーリーではなく、その後のさやかさんの人生が書かれています。ビリギャルがどう成長したのか。私もそこに興味がありました。


ビリギャルは、単なる受験の話じゃない。家族の愛の物語でも、あるのです。
 どんな家族も、最初から完璧なわけじゃない。ちょっとずつ、成長していけばいいんだ、と私は私の家族に教えられました。
」(p.22)

さやかさんの家族は、バラバラで崩壊していました。しかし、それが少しずつまとまっていく。互いに信頼し合い、愛し合う家族になる。それが、ビリギャルのその後の人生なのですね。


でも、ああちゃんは毎日私にこうやって言うんです。「さやかちゃんは世界一幸せになれる子なのよ」って。
 うん、そんな気がする。と物心ついたときからずっと自分でも思っていた。小さいときから母が呪文のように毎日私に言ってくれた言葉。
」(p.26 - 27)

ああちゃんは、さやかさんのことを丸ごと受け入れ、支えてくれたのですね。だからさやかさんは、とても自己肯定感が高くなったようです。


ああちゃんは、学校からの呼び出しは、チャンスだと思っていた(これは何年もあとに聞いた話なんだけど)。「さやかが、仮に何をしても、どんなことがあっても、ああちゃんはさやかの味方でいるよ」ってことを、私に知ってもらう、いいチャンスだと思っていた。」(p.41)

喫煙が見つかったさやかさん。普通なら、「何てことをしてくれるんだ!」と怒りが湧いてくるのに、ああちゃんはチャンスだと感じて、意気込んで学校に乗り込んだのです。

ああちゃんは、命令文で人の行動を変えることはできない、ってことを知っていた。だから、「この子ならきっと、自分で気づいてくれるときが来るはず」と、ああちゃんは信じて待ってくれていた。」(p.41)

知っていてもあえて指摘せず、さやかさんがタバコを止めるのを待っていたああちゃん。ああちゃんは、本当に素晴らしい子育てをされていたのだと思います。


それで唯一、子育てのモットーにしたこと。それは「ワクワクすることを、自分の力で見つけられる人になってほしい」ということだけだった。これだけで、いい。あとはなんにもいらない。そんな気持ちで、いたんだって。」(p.49)

子育てが上手く行かず、悩み、精神科に通っていたというああちゃん。それを途中で完璧な子育てを全部諦めて、たった1つのことだけを考えるようにしたそうです。だから、さやかさんが慶應へ行くと言って塾通いを決めた時、ああちゃんは大学に合格した時よりも喜んだそうです。


長女はビリでギャルで素行不良で問題児。長男は野球頑張ってると思いきやヤンキーのパシリになった。次女は不登校らしい。一体なんていうひどい子育てをしたら3人ともあんなダメダメになるんだ? というまわりの目。
「お前が甘やかしすぎなんだろ」「子どもたちは被害者で、お前は加害者だ」「過保護だ」と、いろんな大人が母を責めました。
 でも、何を言われても、「でも、あんないい子たち、いないと思いませんか?」と何だかふんわりした雰囲気の中に、何があっても揺るがない強い芯を持った母が、ああちゃんだった。
 そんな母をたったひとり、肯定してくれていたのが、私の恩師であり、ビリギャルの著者、坪田信貴先生だった。
「お母さんの、信じきる子育ては、本当に素晴らしいです。必ず、3人とも自分の力で人生を切り開いていけるようになるはずです」。そんな坪田先生の言葉が、母にとっては支えだったのだ。
」(p.63)

ああちゃんは坪田先生に御礼の手紙を書いたそうです。その返事のつもりで坪田先生は、さやかちゃんの受験勉強の話を短編小説風に書き、ああちゃんに贈ったそうです。それをネットに載せたところ大評判で、ビリギャル出版につながっていったのだとか。

それにしても、子どもを完全に信じきる子育て。素晴らしいなぁと思います。そして、その素晴らしさを理解していて、それを実践するオトナが2人出会った。これは奇跡とも言えます。


ただ、やらされてできるものって、何もないよ、ってことが言いたいだけ。厳密にいうと、何かをやらされて、とても大きな成果を得られるケースってなかなかないってことが言いたい。
 私の弟がいい例だ。彼は自分の意志で野球を頑張ってしてたわけではなかった。
 もちろん、楽しかった時間も山ほどあったと思う。上手だったし成果も出していたし、無理やりイヤイヤやらされていたわけではない。でも、彼には意志を持つ、という余白がなかった。意志を確認されたり、そもそも「自分の意志」というものを意識したことすら、なかったんじゃないかと思う。
」(p.68 - 69)

子どもに「勉強しなさい!」と命令するのは意味がないとさやかさんは言います。どんなに自分でやりたいからやっていると思い込もうとしても、やらされたという思いが残っている限り、それは上手くいかないのです。


ワクワクする目標は、自分でしか決められない。人には、決められないものだ。だから、自分で決めなきゃいけない。なのに、どうやらまわりの大人は、特に「親」という生き物は、わが子を愛するあまり、心配するあまり、いろいろ口出ししたくなっちゃうものらしい。」(p.74)

順番で言えばいずれ親の方が先に死にます。それなのに、親が子どものレールを敷いてやるなんて、ナンセンスなのです。自分で考え、自分で道を見つけ、自分で進む人にならなければ、自分の幸せは得られないのですから。


ビリギャルは奇跡の話なんかじゃない。分野は違えど、その子がワクワクできる場所でなら、絶対どんな子でも頑張れる。子どもたちの可能性の邪魔をしてほしくない。」(p.90)

地頭が良かったからさやかさんにはできたのだ、という声もあるようです。しかしさやかさんは、そうではないと言います。重要なのはワクワクするものを見つけることであり、そこで最高に頑張ることなのだと。

坪田先生は、「死ぬ気で何かを頑張るっていう経験をすること」が一生の宝になると言います。そういう経験があれば、どこへ行ってもやっていけるのだと。

私も、さやかさんほどではありませんが、新聞奨学生として4年間頑張ったという記憶が、私自身を支えてくれています。また、システムエンジニアとして月に250時間以上、最高で350時間の仕事をしたことも、私にとって宝物です。やらされてやったのではなく、自分でやることを選んでやったのですから。


信じてくれる存在って、子どもたちにとっては必須だ。ひとりもそういう存在が近くにいない中で、大きな目標を持って、それに向かってひたむきに、だれにも応援されずに、頑張り続けるのは、結構きつい。私は全然無理だ。
 すべての子どもたちに、1本だけでいいから、近くにピグマリオン効果の柱が立っていてくれますように。それだけで、子どもたちの人生は、大きく変わっちゃうから。まわりの大人の在り方って、子どもの人生変えちゃうんだ。
」(p.113)

「お前には無理」というネガティブな見方をし、そういう言葉をかけ続ければ、子どもはしぼんでしまいます。これをゴーレム効果と言うのだとか。その逆がピグマリオン効果です。坪田先生とああちゃんは、さやかさんのピグマリオン効果の柱だったのです。


坪田先生がしてくれたことは、「勉強を教える」ではなく、「私の能力を引き出す」ことだった。私は間違いなく、勉強が大嫌いだった。つまんないし、意味ない。やる必要性を感じられなかった。
 でも先生は、勉強する意味と目的を「私に自分で」見つけさせてくれた。私は「自分で」決めて、「自分で」意志を持ち「自分で」行動に移すことができた。これを導いてくれたのは、坪田先生だ。
」(p.129)

そうする意味や目的を、自分で見つけ、そうすると自分で決め、自分で行動に移す。そうすれば子どもは、勝手に頑張るのです。


ああちゃんは、beingで毎日私たちを褒めちぎった。これも、私の自己肯定感を引き上げたああちゃんの魔法の言葉だ。」(p.133)

お手伝いをした(doing)とか、学年で1位を取った(having)で褒めると、自分でないものにならなければ褒めてもらえない(愛されない)と子どもは感じます。ああちゃんは、家に無事に帰ってきてくれてありがとうという思いでさやかさんを抱き締め、褒めたそうです。褒めるというより、「いてくれてありがとう」という感謝の想いでしょうね。

ただ、これまでそういうことをやってこなかった親が急に変わろうとしても、子どもに見透かされるとさやかさんは言います。そこで、「youメッセージ」から「Iメッセージ」に変えることを提案しています。「(あなたは)勉強しなさい!」ではなく、「(私は)あなたが勉強してほしいと思っています」のように、主語を「私」に変えるのです。これも、心理学でよく言われるテクニックですね。


すると坪田先生は中身を見て、「これ、もいっかい持って」と私に封筒を返してきたのだった。いつも笑ってる先生の顔は、真剣だった。
「その重み、絶対に忘れるなよ。必ず、自分の力で二倍にして返せよ。君ならこの意味、わかるよね?」
 その日から、私は塾で一睡もしなくなった。(それまでは、カラオケでオールしてそのまま塾行って、10分だけ、とか言って寝たりしていた)。1日15時間、気づいたら勉強してた、という状態になってきたのはこのころだったと思う。私は、浪人という道はないとそのとき気づいた。もう一度これをああちゃんに払わせるわけにはいかない。絶対に慶應に受かんなきゃいけない。そう気づいた私はスイッチがパチーーーンと入ったかのように、死に物狂いで勉強するようになった。
」(p.147 - 148)

ああちゃんが何とか作ってくれた塾代を持って行った時のエピソードです。父親が反対したから、ああちゃんが自分で作ったのです。その苦労がわかるから、本気になったのですね。


絶対に即決させられる自信あるのに。そう、私ってばやっぱり自己肯定感がスーパー高いので、根拠のない自信がいつだってあるのだった。」(p.176)

ウエディングプランナーの仕事を始めた時、研修としてロールプレイングをするのですが、それが苦手だったようです。本番なら絶対に上手くやれると思っていたとか。そして実際、本番ではいきなり、その場で契約を取る「即決」を決めました。

私は自己肯定感が低い方でしたから、さやかさんとは真逆です。ですから、こういうところは羨ましいなぁと思います。まあでも、それは人それぞれですから、私には私の課題があるのだと思っています。


つらいなあ、って泣いてる私に、ああちゃんは言った。
 さやちゃん、すごいね。さやかの人生ってわかりやすいなあ。さやちゃんがもっともっと幸せになるために、この経験は絶対に必要なことなんだよ。これには、どんな意味があるんだろうね? さやちゃんが最高に幸せになるために、この出来事はどうつながって、どんなお役目を果たしてくれるんだろうね? 大丈夫、大丈夫だよ、って。
」(p.199)

さやかさんは、尊敬し愛した夫と離婚をしました。理由はよくわかりませんが、何かが食い違ったのでしょう。それにしても、ああちゃんの絶対的に信じる見方は素晴らしいです。


命令文で相手の行動を変えることはできない。ああちゃんも、命令文を使わない人だった。優さんも、命令文を使わずに、恐ろしい速さで学校を変えている。いや、もはやいまの新陽高校は優さんが変えているんじゃない。先生たちが、生徒たちが学校を変えている。」(p.220)

学校が荒れて、入学する生徒も少なくなって、廃校になりそうだった新陽高校。そこにビジネス界から転身して校長になった荒井優さん。さやかさんは、荒井さんとの出会いによって、大きな影響を受けたと言います。

せめて挨拶をする生徒に変えようと、荒井さんも最初、いろいろ努力したそうです。しかし、まったく変わらなかった。ところが、掃除のおばちゃんと話をした時、生徒たちがちゃんと挨拶してくれるとおばちゃんが言うのです。荒井さんは全校集会で、おばちゃんが褒めていたことを話し、校長として誇らしいと言って生徒を褒めたのです。すると次の日から、生徒は自主的に挨拶するようになったのだとか。

変えようとしていた時は変わらず、受け入れたら変わったのですね。そして、自主的に変わるからこそ続くし、発展するのです。


学校は「違う」を知れる場所だ。「違う」は悪いことじゃない。認め合うべきことだ。それが社会というんだと思う。自分以外をたくさん知って、なにが違うのかがわかってくると、自分のことがだんだんわかってくる。」(p.232)

学校に通うことの意義を、さやかさんはこのように言います。ただ勉強をする場ではない。ただ友だちを作る場ではない。それぞれが「違う」ということを知って、自分とは何かを知ることができる場なのだと。


性教育は、命に関わる、一番大事な教育だ。教科書なんかじゃ、伝わらない。もっとちゃんと、大人が、リアルな声でまっすぐに、目をそらさずに向き合って、伝えるべきだと、そのとき思った。
 性教育は、その下の世代にも、その下の世代にも連鎖する。性教育を怠ることは、まだ見ぬ子どもへの虐待と一緒だ。教育は愛だ。性教育は、子どもたちにとって絶対に必要な愛だと、思うんだ。
」(p.246)

さやかさんが保健体育の時間に、性教育の授業をした時のエピソードが書かれています。性教育とは、命を大切にする教育なのだと、さやかさんは力説したようです。


親だけで育てるなんてナンセンスだし、結構無理だ。みんなで、育てればいい。そっちのほうが100倍いい。だれかがだれかに責任を押し付けることもなく、だれかに依存することもなく、子どもたちにはたくさんのメンターがいて、お母さんやお父さんも自分の人生を存分に生きられて。そんなイケてる大人の背中を見て、子どもたちは勝手にいろいろなことに興味を持って、学んで、自分の足で歩いていく。広くて明るい世界にどんどん出ていくんだ。近くにそんな環境がある子どもって、超幸せだなあ、って妄想しています。
 ビリギャルは奇跡なんかじゃない。ああちゃんが、自己肯定感という栄養満点でフッカフカの土を、長い時間かけてつくってくれた。そこに、坪田先生というワクワクさせてくれる大人との出会いが、種になって飢えられた。
」(p.262)

さやかさんは、自分の能力が高かったから花開いたのではなく、周りの環境によって支えられたのだと言います。そして、その環境は自分で取りに行くこともできるのだから、けっきょくは自分次第なのだと。

自分で自分を諦めず、勇気を出して行動する。周りから応援してもらえる自分になれば、その環境が自分を育ててくれるのです。


さやかさんは、これからまだまだ大きくなろうとしておられるようですね。まだ30歳そこそこですから、人生はこれからです。さやかさんの、益々の成功を期待しています。そして、半生をシェアしてくださったことを、ありがたく思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:26 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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