喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの最新刊を読みました。期待に違わぬ喜多川ワールドですね。
読み終えた直後、閉じた本に向かって姿勢を正して、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をしました。こんな素晴らしい小説を読ませていただけることに対して、感謝の念が自然と湧いてきたのです。
※喜多川さんの本などの一覧は、こちら「喜多川泰」のページをご覧ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これは小説なので、ネタバレしない範囲に留めたいと思います。
物語のあらすじを書くと、完全歩合制の保険の営業マンである岡田修一は、大量契約した保険がすべて解約されたため、絶体絶命のピンチに陥ります。その時、ひょんなことから不思議なタクシーに乗ることになり、その運転手の導きで幸運への道を歩み始める、というものです。
「「そうですか。そんな人の運を変えるのが私の仕事です」
「どんな仕事だよ、それ」
「だから、運転手……です。最初から言ってるじゃないですか。私はあなたの運転手だって」」
(p.37)
運がいい方かとタクシー運転手に尋ねられた修一は、ついてないことばかりだと嘆きます。それに対して、運転手はこのように答えたのです。運を転ずる仕事だと。まあ、普通のタクシー運転手ではありませんね。(笑)
「運が劇的に変わるとき、そんな場、というのが人生にはあるんですよ。それを捕まえられるアンテナがすべての人にあると思ってください。そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になるんです。」(p.54 - 55)
斎藤一人さんも、上機嫌でいることが重要だと言われてましたね。自分の機嫌は自分でとれと。他人や出来事のせいにして、起源を悪くしていたらアンテナが働かなくなるのです。
「運は<いい>か<悪い>で表現するものじゃないんですよ。<使う><貯める>で表現するものなんです。」(p.65)
ポイントカードのように、貯めることでいつかそれを使えるようになる。それが運の仕組みだと言うのですね。
「岡田さんは面白いと思えないことでも、それが「面白い」と思っている人がそこにいるんですよね。じゃあ、「何が楽しいんだろう」って興味をもつことはできるじゃないですか」(p.94)
上機嫌という基本姿勢が幸せのために重要なのですが、何もないのにどうすれば上機嫌を保てるのかという修一の問いに、運転手はこう答えたのでした。相手に興味をもつこと、関心をもつことで、上機嫌でいられるのだと。
だいたい不機嫌な人は、自分のことしか考えません。自分がいかに不幸か、他人や出来事のせいで今の不幸があるとしか思わないのです。だから、他人に対して関心が向きません。自分が知らない面白いことに対して興味が出てこないのです。
「収入がなくなっても、仕事がなくなっても終わりなんてないです。そこからまた始めるだけです。その強さは誰にだってあります。だから心配しなくていい」(p.100)
あとになってみれば、「あそこが始まりだったな」と言える。「人間万事塞翁が馬」の故事にあるように、不幸と思える出来事が幸運の始まりということは往々にしてあるのです。
「痛みがあってようやく身体はそれをやるにふさわしい仕様に仕上がる。柔らかいのは、何にでもなれる証で、痛みを経験して初めてスペシャリストになれる」(p.114)
ギターが上達するには、張った弦をしっかり押さえられるように指先の皮膚が固くなる必要があります。ギターを弾く練習を通じて、最初は痛みを感じます。しかし、その痛みを通過することで、身体が適応するのですね。私たちも何かを始めようとすれば、まず痛みを感じ、それを乗り越えることで適応します。
赤ちゃんが柔らかいのでは、何にでも適応できる可能性があるということ。そう考えると人間という存在は、何にでも適応する素晴らしい存在ですね。つまり、私たちには無限の可能性があるというわけです。ただし、痛みを乗り越えれば。
「世の中の人はみんな、そうやって誰かの努力する姿にエネルギーをもらって自分を動かしているくせに、こと自分が努力をするということになると、運にしても成果にしても、<今の自分>という、ものすごく狭い世界の、短い期間でしか判断しないので、<運が悪い><努力は報われない>と簡単に結論づけてしまいます。」(p.168)
実は私も、報われない努力はあると思っていました。いくら努力しても、オリンピックで金メダルを取るのは1人です。その他の金メダルを目指した人たちの努力は報われない、と考えたからです。プロ野球選手になるのだって、努力した野球少年の一部に過ぎませんし、活躍するとなれば、さらにその一部でしょう。
けれども、努力の成果というのを、自分が期待した期間の期待したことだけに限定していたと思い知らされました。誰か、特に子どもなど愛する人の努力する姿を見れば、それだけで力をもらえます。自分ももっと頑張らなきゃと感じて、力が湧いてきます。それは、子どもの努力が親の頑張るエネルギーになったことになります。つまり、誰かの努力が報われたことになるのではないでしょうか?
さらに、時間による範囲を区切らなければ、前の世代の努力によって、今の豊かな社会があり、今を生きる人たちが恩恵を受けるとも言えます。「恩送り」という言葉がありますが、必ずしも自分が成果を受け取らなくてもいいのではないでしょうか。
「人間の一生が、自分だけの物語の完結だと思って生きるのであれば、生まれたときに与えられた条件を使って、できるだけ自分の欲望を満たした方がいい人生だということになってしまうかもしれませんが、実際には人間の一生は、延々と続く命の物語のほんの一部でしかありません。」(p.169)
私がお勧めしている「神との対話」シリーズで言われているように、私たちは全体で1つの生命なのです。そう考えれば、自分が損するか得するかなど、どうでもいいことだと思えるでしょう。私の努力は、必ず誰かに報われるのです。
「本当のプラス思考というのは、自分の人生でどんなことが起っても、それが自分の人生においてどうしても必要だから起った大切な経験だと思えるってことでしょう」(p.176)
出来事が起ったとき、すぐにプラス(得)かマイナス(損)かを判断してしまいがちです。しかし、本当にそうかどうかは、時間空間の枠を広げてみなければわかりません。
だから最後には、「あの出来事も、自分の人生において必要だからこそ起こった大切な経験だ」と言えるかもしれません。その可能性を信じることが、本当のプラス思考だと言うのです。
この小説も、いろいろな出来事があちこちで関連していて、あとになって「なるほど、そうだったのか」と唸らされます。喜多川さんの真骨頂ですね。
物語の後半では、私は何度も泣きました。ボロボロと涙がこぼれて仕方なくなるのです。喜多川さん、さすがだなぁ。そう思いました。

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