500ページ近くもあり、まるで学術書のようなタイトルの本を読みました。おそらくこのタイトルだけなら、あまり興味を覚えなかったでしょう。
それなのにどうしてこの本を読んでみようと思ったのか? それは、作家の喜多川泰さんが勧めていた(あやふやな記憶ですが、私にとって信頼できる方がFacebookで勧めておられたと記憶しています。)ことと、著者が小室直樹氏だったからです。
小室直樹氏と言えば、もう30年以上前に読んだ「新戦争論」が記憶にあります。平和主義者が戦争を起こすという斬新な視点は、その後の私の考え方に大きなインパクトを与えたのです。
そういうことがあって買った本でしたが、さすがに分厚いので、なかなか表紙を開くことなく、長い間、本棚に飾られていました。やっと順番が回ってきて読んだのですが、読んでみると実に読みやすいのです。
編集者に小室氏が講義を行うという、一部対話形式になっており、また平易な言葉での講義スタイルもあって、どんどん読めてしまいました。小室氏は2010年9月にすでに亡くなられており、この本は2001年に発行された「痛快!憲法学」の愛蔵版としてリメイクされ、2006年に出版されたものです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。まず「まえがき」で、この本の目的を明確に示しておられます。
「こんなことを言うと、みなさんはびっくりするかもしれませんが、今の日本はすでに民主主義国家ではなくなっています。いや、それどころか近代国家ですらないと言ってもいいほどです。
憲法という市民社会の柱が失われたために、政治も経済も教育も、そしてモラルまでが総崩れになっている。これが現在の日本なのです。」(p.2)
10年来の不況も、財政破綻も、学級崩壊も、何もかもが憲法に原因があると小室氏は指摘します。そして、日本の憲法がちゃんと作動しなくなった原因が、憲法学そのものにあると言います。
「「憲法を語る」とは、すなわち人類の歴史を語ることに他なりません。憲法の条文の中には、長年にわたる成功と失敗の経緯(いきさつ)が刻み込まれているのです。その長い物語を解き明かすのが憲法学なのですから、本当の憲法研究はとても面白く、エキサイティングなものなのです。
私は本書において、その「憲法の物語」の一端を披露し、憲法学のおもしろさ、大切さを少しでも皆さんに伝えたいと考えました。」(p.3)
このように小室氏は、憲法がどうやって生まれ、育ったのかという物語を、この本で語ると言っています。したがって本書では、西洋史の話が大半です。憲法の誕生を知るには、ヨーロッパの歴史、アメリカの歴史を知る必要があるからですね。
前半は、憲法や民主主義の誕生に関するヨーロッパの歴史です。途中、その話の流れで「第9章 平和主義者が戦争を作る」という第二次世界大戦の話もあります。それから、アダム・スミスやケインズなど経済の話も関係してきます。
そういった話を経て、第11章から日本の話になります。375ページから始まるこの日本に関する記述は、私は全面的に賛同できるわけではありません。ただ、なるほどと感じる視点も多く、一連の流れとしてとらえる必要があると思いますので、その部分を紹介することにします。
まず、明治維新によって、いきなり民主主義や資本主義が導入されたわけではない、ということです。
「資本主義の精神とはまず第1に、労働を自己目的化することです。つまり仕事とは単にカネを稼ぐための方便ではない。仕事そのものに価値があるのだと考えるようになることが必要です。
キリスト教の予定説では、労働は天職だとされた。仕事は神が与えたものなのだから、一心不乱に働くのが当然であるとなった。ここから資本主義がスタートしたわけです。」(p.382)
この部分は、賛同できませんでした。なぜなら日本人は昔から勤勉であり、働くことそのものに価値を見出していると思っていましたから。一方の西洋人は、定時で帰るのが当たり前で、長期のバカンスが当然という、労働を罰だと考える価値観ですからね。
しかし小室氏は、江戸っ子が宵越しの金を持たないのは、適当に働いて食えればいいという考え方だったからだと指摘します。また、カルヴァンの予定説により、プロテスタントは神から与えられた天職を懸命に行うことが何よりも大切だと考えていたと言うのです。
ちょっとまだ納得し難いところではあるのですが、そういう見方もあるのかなぁと思います。
そして日本では、明治政府は資本主義の精神を定着させるために、二宮金次郎をお手本に導入したということです。二宮金次郎を手本にしたというのは事実ですが、それが資本主義の精神を定着させるためだったと言えるのかどうか、ちょっと疑問もありますね。
次に日本の近代化のために必要だったのが平等の精神です。それまでの日本は、身分意識や階級意識がありました。西洋ではキリスト教が根付いていたので、「神の前の平等」という常識があったのです。
そこで明治政府は、国民の意識を一新する奇策を考えて実行したと小室氏は言います。
「それは国家元首たる天皇を、日本人にとって唯一絶対の神にすること。天皇をキリスト教の神と同じようにするというアイデアです。
すなわち「神の前の平等」ならぬ「天皇の前の平等」です。現人神(あらひとがみ)である天皇から見れば、すべての日本人は平等である。この観念を普及させることによって、日本人に近代精神を植え付けようと考えた。」(p.386)
たしかにこれまでの神道を排して、いわば「天皇教」とも呼べる宗教を普及させたことは事実でしょう。そしてその雛形が、武士の一部に広がっていた尊皇思想であることも納得できます。しかし、それを日本の近代化のために利用したなんて、そんなことがあるでしょうか?
けれども小室氏は、それが意図した奇策であったことを伊藤博文の枢密院での演説によって証明します。
「ヨーロッパにおける憲法は、いずれも歴史の中で作られてきたものであって、どれも一朝一夕にできたものではない。しかるに、我が国ではそうした歴史抜きで憲法を作らなければならない。ゆえに、この憲法を制定するに当たっては、まず我が国の『機軸』を定めなければならない。……ヨーロッパにおいて、その『機軸』となったものは宗教である。ところが、日本においては『機軸』となるべき宗教がどこにもない」(p.397)
「「我が国にありて機軸となすべきは、ひとり皇室あるのみ」
すなわち、天皇教こそが近代日本を作るための機軸だというわけです。」(p.398)
このように、日本を急速に近代化させるために、天皇教を作って利用したのだということなのです。伊藤博文は、単に形だけ憲法を導入しても近代化に役立たないと見抜いていたということになります。
デモクラシーというのは、制度を整えればすぐに出来上がるというものではないと小室氏は言います。つまり、国民の精神が大きく変わる必要があるのです。そして時間を経て、大正時代には日本のデモクラシーも花開きました。
「藩閥政府が何と言おうとも、議会は断固、抵抗した。それどころか、言論の力でついに内閣をも倒すに至った。これが今紹介した、尾崎咢堂の弾劾演説です。日本のデモクラシーはとうとうそこまで成長したのです。」(p.409)
デモクラシーは、国民の代表としての議会において、自由に議論がなされて、言論によって政策が決定されることです。横暴な内閣なら、議会がそれを言論で弾劾し、替えさせるだけの力を持つ。それが重要なポイントなのです。
しかし小室氏は、戦前戦中、日本のデモクラシーは死んだと言います。2.26事件などで軍部が力を持ち始めたころは、まだ議会はデモクラシーを護っていました。浜田国松代議士は「腹切り問答」で寺内陸相に詰め寄りましたが、けっきょく除名されることもなく懲罰も受けなかったのです。
しかし昭和15年、支那事変が始まった後の議会において、斎藤隆夫代議士が「事変」の目的を政府に問いただした時は、聖戦目的を侮辱する発言だとして議会は彼の除名を決議し、発言も議事録から削除してしまいました。軍部を支持する国民の声を背景に、言論の府であるはずの議会が、自ら言論の自由を放棄したのです。
民主主義は国民の民意をもとにしたもの。したがって、政府がその意に反するなら、予算を通さない、総辞職させるか議会を解散させて民意を問う、などの力が議会にはあります。しかし、その議会が自らの自由な言論を封じるなら、もはやデモクラシーではないのです。
そこで重要なのは、議会に言論の自由を捨てさせたのは国民の声だったという点です。国民が、軍部の自由にさせろと言ったわけです。したがって、デモクラシーを捨てさせたのは国民自身であるとも言えます。
これは、ヒトラーの独裁を許したドイツと似ています。ヒトラーが台頭したのは、国民が彼を求めたからです。そして議会が全権を彼に移譲した。これもまた、国民の声でした。民意が独裁者を生んだのです。日本の場合は、独裁軍部を生んだのです。
「山本七平氏は、日本は「空気」(ニューマ)が支配する国であるという、きわめて注目すべき指摘をしています。
この戦争は正しい、軍部を批判する奴は卑怯者だ……こうした「空気」が世間に充満してくると、もはやそれには誰も逆らえない。」(p.434)
最近の日本でも、そういう事例がありましたね。大阪維新の議員が、北方領土を取り戻す方法は戦争以外にあるのかどうか、という議論を仕掛けたことが問題視され、党から除名された事件です。日本にはすでにデモクラシーがない、と思える事件でした。
小室氏は、戦後の日本にも同様にデモクラシーを喪失した事件があったと指摘します。それが田中角栄元首相のロッキード事件です。
まず小室氏は、田中元首相はデモクラシーの権化だったと絶賛します。その証拠として、新米議員でありながらわずか8年の間に26件の法律を作ったことをあげます。現在は議員立法が皆無であることを考えると、これがいかにすごい数字かがわかります。
田中元首相は議会での討議をいとわず、巧みな演説で賛同者を増やし、法案を通したのです。これぞまさにデモクラシー、ということなのですね。
ところが、ロッキード事件において、日本のデモクラシーは死んだと小室氏は言います。検察は世論を味方につけ、見切り発車で逮捕しました。それでも証拠がないため、ロッキードのコーチャン氏に対して贈賄罪、偽証罪で起訴しないことを条件に証言を得るという司法取引をしたのです。そんな司法取引という法律がないにも関わらず、裁判所もそれを認めました。
そういう検察と司法が一体になっての違法な裁判を、マスコミは叩くことをせず、国民もその違法裁判を支持しました。これではまさに中世の魔女狩りと同じではありませんか。
「権力というのは、無実の人間を罪人にしかねない。そういうことが行われていないかを監視するのが裁判官の役目です。
ところが、このロッキード裁判をごらんなさい。裁判所と検事がグルになって、刑事免責などという、法律のどこにも明文化されていない条件を与えた。」(p.445)
「裁判官と検察がグルになれば、どんな被告だって有罪になってしまいます。裁判官が検事に同情しているのでは、どこをどうしたって被告が勝てるわけがない。」(p.446)
まさに、冤罪はこうして作られるという見本でしょう。さらにこの裁判では、裁判所は憲法違反まで犯しています。コーチャン証言は嘱託尋問調書と呼ばれるもので、検察はアメリカへ行って証言を得ました。つまり通常の検事調書と違って、被告側にはコーチャン氏に対する反対尋問の機会が一度も与えられなかったのです。
これは日本国憲法第37条第2項に明白に違反すると小室氏は指摘します。そこには、被告側がすべての証人に対して審問する機会が充分に与えられ、かつ公費で強制的手続きによって証人を求める権利を有すると書かれているからです。
証人に対する反対尋問もできないのであれば、その裁判は公正だとは言えません。そんなものが証拠として採用されることがおかしいのです。そして、おかしな捜査によって起訴された場合は、被告は無罪になる。刑法とは犯罪者を裁く法ではなく、検察を裁く法だからだ(第1章)と小室氏は言うのです。
「何度も繰り返しますが、近代デモクラシーにおける刑事裁判の鉄則は「デュー・プロセス」、すなわち法にのっとった裁判を行うことにある。
刑事裁判では、権力の側は1つとして法を踏み越えてはならない。この鉄則を破れば、どんなに心証が真っ黒でも、その被告人は無罪になる。」(p.449)
このロッキード裁判は、1審、2審で有罪となり、最高裁で争っている途中で田中元首相が死亡し、公訴棄却となりました。その時、最高裁はコーチャン証言に適法性がなかったと言ったそうです。しかしそうなら、最高裁に控訴した時点で裁判を無効にできたはずだと小室氏は指摘します。日本の裁判には、もはや自浄能力がないのです。
最後に小室氏は、日本は独裁国家だと指摘します。
「明治憲法に始まった戦前日本のデモクラシーは、軍部の台頭とともに滅びたわけですが、今日の日本において軍部の代わりに現れたのが、霞ヶ関の官僚たちです。
霞ヶ関のエリート官僚たちは、議会を乗っ取って議員たちの代わりに法律を作り、また内閣を乗っ取って、首相や大臣の代わりに政策を決定している。」(p.456)
「彼らは司法権力をも自分のものにしている。つまり、司法・行政・立法の三権はすべて彼らの手のうちにあるのです。まさに官僚は戦後日本の独裁者になった。」(p.456)
ここで言う「司法」とは、通常の裁判のことではなく、通達とか地方の条例などに関するものです。その解釈を決めるのは、最終的に霞ヶ関の官僚です。それに反抗しようものなら、様々な方法で締め付けます。
さらに日本の官僚は、日本経済全体が自分の所有物であるかのごとく錯覚していると小室氏は指摘します。それが、この間まで行われていた銀行の「護送船団方式」です。銀行は大蔵省の役人の顔色を見て、カレンダーを作るのでさえ役人に伺う必要があったと言います。
「つまり銀行の経営権を実質的に握っているのは、株主でもなければ経営者でもない。大蔵省の役人が銀行を事実上「所有」していたのです。」(p.465)
では、そういう官僚を制御するためには、どうすればよいのでしょう? 小室氏は、中国の例を上げて、官僚と対抗するグループがあれば制御できると言います。しかし、そういうグループを別に作ることも難しいので、現実的には政治家が重要なのだと。
「政治家たちが上手にコントロールして、初めて官僚の力を活かすことができる。その好例が田中角栄です。」(p.472)
しかしその田中角栄を暗黒裁判にかけたのは日本国民でした。官僚の独裁を許しているのも日本国民。今の日本は、そういう状態なのです。
小室氏は、今の日本がこういう状態なのは、憲法に構造的な欠陥があったからだと指摘します。それは、GHQによって日本国憲法が作られたからだと。ただし、押し付けられたから悪いという意味ではなく、デモクラシーは当たり前という文化を持つアメリカ人によって作られたことが間違いだったのだと言うのです。
これは、伊藤博文が憲法を作るに当たって腐心したことと関係しています。つまり、象徴天皇にすることで、機軸であった現人神の天皇を取り除いたことです。
「ところが戦後の憲法では、「天皇の前の平等」という考えは取り除かれ、いきなり「平等」だけが与えられた。このことによって、戦後日本における平等は、ひじょうにいびつなものになってしまいました。
つまり、それは「機会の平等」ならぬ「結果の平等」という誤解です。」(p.480)
その誤解は教育の現場に持ち込まれ、かけっこでも順位をつけないなどの指導に表れていると言います。本来は「身分からの平等」だったのに、「結果の平等」という思想が広まったのだと。
さらに同じことが「自由」についても言えると小室氏は言います。
「戦後の日本で「自由」は、「何をやってもいい」ということだと誤解された。最近では「人を殺す自由」を主張する子どもさえ現れています。
しかし、デモクラシーにおける自由とは、元来、「権力の制限」を意味しました。」(p.481)
何をやってもいい自由と思われているという指摘には同意できませんが、自由が権力からの自由だという意味はわかります。
「自由にしても、平等にしても、それは与えられるものではありません。現に欧米人たちは、みずから平等や自由を勝ち取った。自由も平等も、その前提になっているのは権力との戦いです。
そのプロセスを抜きにして、いきなり自由や平等を与えるとどのような結果になるか。図らずもそれを証明しているのが今の日本なのです。
権力と戦うことなく人権を手に入れたものだから、戦後の日本人は権力を監視することも忘れてしまった。その結果が、官僚の独裁であることは言うまでもありませんが、民主主義とは国家権力との戦いなのだということが忘れられると、自由も平等もたちまちにして変質してしまうのです。」(p.482)
アメリカ人(GHQ)が善意からアメリカ流の民主主義憲法を日本に与えたことが、今の日本の混乱を招くことにつながったという小室氏の指摘です。
この後、小室氏は社会には「権威」が必要だという話をします。たとえば人殺しをしないのは法律で禁止されているからと考える前に、そもそも人殺しは良くないことだという価値観を、権威によって与えられているからだと。その権威とは、身近には父親であり、キリスト教などでは神です。
その権威が否定されると、その社会は無秩序になり、どうしていいかわからず混乱するのだと小室氏は言います。第一次大戦で負けて権威を失ったドイツは混乱しましたが、そこに現れたヒトラーに人々は新たな権威を求めた。これは精神分析学者のエーリッヒ・フロムの分析だとか。
戦後、天皇教を失った日本にも、この権威の喪失が起ったと小室氏は言います。「父なき社会」になってしまった日本は混乱し、モラルの欠如をもたらしたのだと。
この部分の分析には、私はあまり同感できませんが、1つの考え方ではあると思います。小室氏はデメリットしか見ていないようですが、私は逆に、そのことによるメリットもあると考えるからです。
さて、こういう民主主義を失い、憲法が死んだ状態の日本ですが、どうやって復活させることができるのでしょうか?
小室氏は、誰かから与えてもらおうという発想を改めることが重要だと言います。現実を直視し、亡国の淵に立っている日本の現状をしっかりと認識して、自ら第2の明治維新を起こそうとすることが大切なのだと。
「その覚悟ができたら、次は自分なりに考えて第1歩を踏み出すのです。そのヒントはこれまでの講義の中にいっぱい隠れているはずです。
それが正しいか、間違っているかは気にする必要はない。とにかく歩き出すのです。それこそが日本をふたたび憲法の国、デモクラシーの国に戻す道です。」(p.492)
後半部分しか引用できませんでしたが、前半にも数多くの目からウロコの情報や視点がありました。これ1冊を読むだけで、欧米の歴史の大半が理解できるのではと思うほどです。
それにしても、小室氏の視点には驚かされます。そしてそれが空理空論ではなく、多くの事実に裏付けされている点も驚きでした。やはり、「学ぶに如(し)くはなし」ということですね。
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