話題になっていた小説を読みました。著者は韓国人のチョ・ナムジュ氏。訳は斎藤真理子氏です。
韓国で100万部売れたというのですから、韓国人の心を捉えた内容なのだろうと思いました。帯にあるように、映画化も決定し、この翻訳された本も、日本国内でかなり売れているようです。女性の共感者が多いようですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
まず、この小説はとても風変わりです。そのことが訳者あとがきに書かれていたので、それを引用します。
「一人の患者のカルテという形で展開された、一冊まるごと問題提起の書である。カルテではあるが、処方箋はない。そのことがかえって、読者に強く思考を促す。
小説らしくない小説だともいえる。文芸とジャーナリズムの両方に足をつけている点が特徴だ。リーダブルな文体、ノンフィクションのような筆致、等身大のヒロイン、身近なエピソード。統計数値や歴史的背景の説明が挿入されて副読本のようでもある。「文学っぽさ」を用心深く排除しつつ、小説としてのしかけはキム・ジョンの憑依体験に絞りこんで最大の効果を上げている。」(p.186)
主人公のキム・ジョンが、ある時、まるで他の人が憑依したかのように、多重人格の症状を見せます。それを心配した夫が精神科医に診てもらうようにしたのですが、その精神科医のカルテという形で、キム・ジョンの生い立ちが書かれていきます。
しかし、正直に言うと、読みながら飽きました。面白くないのです。それは、ここにも書かれているように、まったく小説らしくないからです。延々と女性差別の実体が語られているような内容です。
キム・ジョンの両親は、貧乏の中で子どもたちを育てました。内職をする母に対して父は、苦労をかけることを詫ます。すると母は、次のように言ったそうです。
「あなたが私に苦労させてるわけじゃなくて、私たち二人が苦労してんの。謝らなくていいから、一人で一家を背負ってるみたいな深刻な顔しなさんな。そんなこと誰も命令してないし、実際、そうじゃないんだし」(p.27)
このセリフの背景を考えると、夫が家族を支えるのが当たり前という社会的風潮が根底にあることが伺われます。
ただ、たしかに正論なんですが、そういう社会的背景があることを前提にするなら、もう少し夫を思いやる言い方があってもいいのではないか、とも思うのです。女性だけが差別を受けて苦しんでいる、という被害者意識が、かえって生きづらくしているのではないか、と感じました。
この本には、学校や家庭や会社や社会での、様々な女性蔑視が描かれています。セクハラもあります。話題になったトイレの盗撮という事件も描かれています。子どもを生むのかどうか、生むなら男かどうかなど、家族や親戚からの干渉も描かれています。
ここで描かれた内容は、かつての日本にも普通にあったと思いました。しかし、日本ではかなり改善されていると思うのですけどね。それは、私が男性だからそう思うのでしょうか?
たしかに、そうかもしれません。いまだに、子どもをつくるのかどうかで干渉する人は多数いますから。でも、そうでない人も、日本では多いと思います。跡取り息子という言葉も死語に近くなってきたし、「家」という概念がほぼなくなっているように感じます。
キム・ジョンが大学の時、付き合っていた彼氏と別れた直後に、ある事件がありました。
前からキム・ジョンに好意を抱いていた先輩に対して、他のサークル仲間が応援するから頑張れと話しているのを、キム・ジョンは聞いてしまったのです。寝具に埋もれてうたた寝していたので、他の人たちは本人がいることに気づかなかったのですね。
その時、頑張れと言われた先輩は、みんなにこう言い返しました。
「要らないよ。人が噛んで捨てたガムなんか」(p.85)
キム・ジョンは、優しい先輩だと思っていただけに、この言葉にショックを受けます。
「酔っているのかもしれない。照れているのかもしれない。または、友だちがよけいなお世話をするのではと思って、わざと乱暴な言い方をしたのかも。可能性はいろいろあったかもしれないが、だからといってキム・ジョン氏のすさまじく傷ついた心は癒されなかった。」(p.86)
こういうところも、なんだかなぁと思うのです。本人を傷つけようと言ったわけではないし、面と向かって言った言葉でもありません。それに、彼の立場を充分に想像できるのに、と。
とは言え、そう言われたらショックを受ける気持ちもわかります。ここにも背景があって、男の女性経験は問題にされないのに、女は1人の男に仕えるべきだという考え方です。処女信仰という言葉もありましたね。
ただ、この部分も現代の日本では、ほぼなくなった社会背景ではないかと思うのです。韓国ではまだあるのでしょうけど。
日本では考えられない女性蔑視が、韓国にはまだまだあるのだろうと思います。たとえば、キム・ジョンが就職面接に行く時にタクシーを拾ったら、運転手からこう言われたのです。
「ふだんは最初の客に女は乗せないんだけどね、ぱっと見て面接だなと思ったから、乗せてやったんだよ」(p.93)
いやいや、こんな運転手は日本では絶対にいないでしょう。でも、韓国ではよくいるのでしょうね。
たしかにかつての日本にも、女は汚れているという考え方がありました。大相撲では女性を土俵に登らせないとかありますからね。でも、そういう特別な場所以外で、女性が汚れてるという価値観を持つ人は、まずいないと思うのですけどね。
しかし、韓国の方が進んでいるところもあります。
「結局、戸主制度は廃止された。二〇〇五年二月、戸主制度は憲法で保証された両性平等の原則に違反し、憲法に合致しないとの決定が下され、まもなく戸主制度廃止を主たる内容とする改正民法が交付され、二〇〇八年一月一日から施行された。」(p.124)
韓国は、夫婦別姓なのですが、子どもは父親の姓を名乗っていました。戸主は男と決まっています。日本にも家制度がありましたが、それが続いていたのですね。
日本は、家制度そのものは廃止したものの、戸籍は残ったままです。そこには戸主が記載されます。もちろん、女性でもいいのですけどね。ただ、家制度の名残があるために、相変わらず男性が一家の大黒柱という考え方が残っています。学校でも「父兄参観」のように、「父兄」という言葉がいまだに使われているようです。
「これに腹を立てたキム・ジョン氏は、時差出勤する気はありませんからと言ってしまった。みんなと同じ期間に出勤して同じように働き、一分も丸もうけする気はないと。だが、だからといって破裂しそうな地獄の通勤列車には耐えられそうにない。結局キム・ジョン氏は一時間早く出勤することにし、うっかり言ってしまったあの一言を後悔しつづけた。それにもしかしたら、女性の後輩の権利を奪ったのかもしれないという気もする。与えられた権利や特典を行使しようとすれば丸もうけだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の同僚を苦しめることになるという、このジレンマ。」(p.132)
妊娠したキム・ジョンは、会社の規定で30分のフレックスが利用できたにも関わらず、それを選ばなかったのです。
この葛藤はよくわかります。もちろん、男性社員の「いいよなぁ女性は」と言いたくなる気持ちもわかるのですけどね。「だったら女になって子どもを産めよ!」と言い返されたら、シュンとするより他にないのですが。
ただこれは女性差別というより、違いを理解し合えてない、受け入れていない、ということではないかと思うのです。会社側(男性社会)にも、女性に優しくしようという気持ちはあって、それでこのような制度を創ったのでしょうから。
女性の側にも、甘えてはいけないというような価値観があって、素直に恩恵を受けられないという問題もありそうです。
そもそも違いがあるのですから、男女をまったく同じように扱うことは不可能です。生理休暇や妊娠休暇などが男性に認められないからと言って、不公平とは言えないでしょう。では何日だったら公平なのか? 質が異なるのですから、どう決めたとしても、万人が公平とは感じない可能性があります。それでもどこかに線を引いて、公平と思われる基準を打ち立てるしかないのだろうと思うのです。
その後、出産を機に、キム・ジョンは退職することになります。夫の方が稼ぎが多かったし、その方が一般的だったから。その時、夫から言われたことにキム・ジョンは反発します。
「「子どもがちょっと大きくなったら短時間のお手伝いさんに来てもらえばいいし、保育園にも入れよう。それまで君は勉強したり、他の仕事を探してみればいいよ。この機会に新しい仕事を始めることだってできるじゃないか。僕が手伝うよ」
チョン・デヒョン氏は本心からそう言い、それが本心であることはよくわかっていたけれど、キム・ジョン氏はかっとなった。
「その「手伝う」っての、ちょっとやめてくれる? 家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うって、何よそれ。この家はあなたの家でしょ? あなたの家事でしょ? 子どもだってあなたの子じゃないの? それに、私が働いたらそのお金は私一人が使うとでも思ってんの? どうして他人に施しをするみたいな言い方するの?」」(p.136 - 137)
妊娠うつのような状態だったのかもしれません。しかし、これを言われたら夫の立つ瀬がないよなぁとも思うのです。
もちろん正論ではあるのですが、それぞれに分業しているのですから、相手の業務を「手伝う」と言っても悪くはないでしょ。もちろん、「産む」という仕事は女性にしかできませんが、子育てや家事は夫がやってもいいのです。キム・ジョンが復職して、夫のチョン・デヒョンが主夫になることだってできるでしょう。
ただこの部分は、最初のキム・ジョンの母親の言葉とよく似ています。おそらく背景に、ずっと抑えつけられてきたという無意識の思いがあるのでしょうね。
全編を通して、何だか重い空気を感じます。キム・ジョンの被害妄想的なものを感じるからです。
訳者あとがきで「処方箋がない」という言葉がありましたが、まさに何ら解決策が示されません。明確に悪者がいるわけでもないため、怒りの持っていきようがない感じです。
けっきょく、私たち一人ひとりが意識を変えていくしかないのでしょうね。そのためには、現状がどうなのかを知ることも大事なのでしょう。
男性から見れば「大したことない」と思えることも、女性からすれば「大したこと」と感じることがある。それは、個人差もありますが社会背景や性差もあるでしょう。
違いは、理解し合えるなら理解した方がよいのですが、理解できないなら相手の思いをそのまま受け入れるしかないのだろうと思います。相手がそう感じていることは事実なのですから。たとえそれが理由がないことに思えても、理解できない何かがあると思って、受け入れるしかないと思うのです。
本の内容としては、私は申し訳ないけれども面白いとは思えませんでした。でも、読んでみる価値がないとは思いません。いろいろと考えさせられましたから。
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