白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの最新刊を読みました。白駒さんは最近、古事記にハマっておられるそうです。今回の本は、その古事記に込められた想いを解説するものです。
一般的には古事記を「こじき」と読みますが、本のタイトルには「ふることのふみ」とルビが振られています。昔はそのように呼んだそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「全知全能のゴッドを神話に持つ西洋の人々は、
「自分の力で物事を解決する」
ということに重きをおく傾向があります。
それに対し、日本人は、
「起こった出来事を受け入れる」
という道を選ぶのが、自然な対処法になります。」(p.31)
古事記を紐解くに当たって、まずは西洋と比較しようということです。西洋は、目標を定めてそれを追求していく生き方ですが、日本は、与えられた環境や出来事を受け入れて生きていく。それが神話に表れていると白駒さんは言います。
「『古事記』を読むと、日本の神々は仕事をしている、
つまり、働いているんですね。
『聖書』に描かれている”楽園”は、
働かなくても食べていけるところです。」(p.34)
労働に対する考え方が日本と西洋ではまったく違うということは、かねてから言われてきました。そこにも、神話が大きく影響を与えているのです。
「あいまいさや、白黒つけない姿勢が、物語を通して貫かれているのです。
西洋の神話が、「始まりはこう、終わりはこう」と、
明確に記載されているのとは、対照的です。」(p.40)
白駒さんは、日本の神話は意図的にそうしているのではないかと言います。始まりがなければ終わりもない。誰が始めたわけでもない世界は、誰も終わらせることができない。そういう永続的に続く世界観を描いているのだと。
「相手が持っているものや条件など、
内容も、将来設計もあまり関係なく、
何も決まっていない状態で、
日本の女性は男性を選んできました。
そして、その人に賭けて、ともに一歩を踏み出すのです。」(p.54)
西洋は契約が重要ですが、日本はそういう保障を求めません。見込んで信じるのです。
後で出てきますが、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治する決心をした時、クシナダヒメは彼と結婚することを決めました。どこの馬の骨ともわからない相手ではあっても、何のゆかりもない自分たちのために命を賭ける決心をしたその心意気に惚れたのです。見通しも、保障もない。けれども、その意気込みに惚れて、一緒に歩む決意をしたのですね。
「男性は、目の前の困った人を助けようという優しさと思いやり、
そしていざとなったら、命を賭ける勇気を持つこと。
女性は、男性に対し、条件や見かけではなくて、
その人の本質を見抜き、
優しさ、勇気、さらには自分に注がれた愛の深さにほだされて
一緒になる気概を持つこと。
そして、男女ともに、役割は違えど、
力を合わせて困難を乗り切ること。」(p.64 - 65)
白駒さんは、男性の出世は女性によって決まる、というのが古事記のメッセージだと言います。それは裏返せば、女性の幸せはいかに男性の本質を見抜くかで決まる、ということでもあるのだと。
「普通なら、誰もが兄の立場をうらやむでしょう。
大国主命がしたこと(兄たちにさせられたこと)は、
普通は人が嫌がることです。
でも、大国主命は、それをやり遂げた。
「ちぇっ、なんで自分だけが……」とふてくされることもなく、
むしろ笑顔で、誇りをもって−−。」(p.73)
大国主命の兄たちは、大国主命に荷物をすべて持たせて、因幡の国の八上姫という絶世の美女を嫁取りに行ったという話です。けっきょく八上姫は、兄たちではなく大国主命を選びます。
ここにも、男性の心意気をしっかりと見抜くことが大切だというメッセージがあるのですね。
白駒さんは、貴い三柱の神様と、三種の神器と、和の心が、次のように対応していると言います。
「アマテラス大神 = 鏡 = 素直な心
スサノオ = 剣 = 困難に立ち向かう心
ツクヨミ = 勾玉 = 思いやりの心」(p.106)
ツクヨミについては、古事記には1ヶ所しか書かれておらず、謎の多い神です。しかし白駒さんは、このように並べてその意味を探ります。
そして、河合隼雄氏が西洋と日本のリーダーシップの概念を比較して述べた「中空均衡構造」について説明します。これは詳しくは本書をお読みくださいね。
簡単に説明すると、西洋はピラミッド型でトップのリーダーが引っ張るタイプです。しかし日本は、ピラミッドをひっくり返した形で、リーダーが一歩引いて、ヤジロベエのように他の2点を支えるタイプなのだと。
「ツクヨミという神様が、貴い神様でありながら、
存在感があまりにも薄いのは、
残りの二柱の神様を引き立たせているからなのです。」(p.112)
ツクヨミが出しゃばらないことが、アマテラスとスサノオを引き立て、三柱で1つの世界を成り立たせている。そう読み解くのです。
「為政者と民の根っこは一つであり、
日本は一元の国である、私はそう感じています。」(p.132)
西洋では、勝ち組と負け組、支配者と被支配者のように、対立する二元から成り立つと考えます。なので、武士道と似ている騎士道も、それは特権階級の生き方であり、庶民とは無縁だったのだと。一方の日本は、武士道を庶民が受け入れ、それと対立するのではなく、融合するものとして農民には農民の、商人には商人の、生きるべき道があると考えたと白駒さんは言います。
ですから為政者は民を子どものように慈しみ、民は為政者を親のように慕った。こういう全体で1つになる一元的な考え方が、日本の特徴だと言うのです。
「何かを始めようとする時、
”足りないもの”に目を向ければきりがありません。
足りないものに目を向けるのではなく、今あるものに目を向けること。
手持ちのものを最大限に生かして始めること。
あなたの持っているもので挑戦すること。」(p.187)
天照大神が孫のニニギノミコトにこの地を「知らす(治める)」ことを命じた時、与えたものは三種の神器と稲穂でした。万全の準備をさせたのではなく、たったこれだけを与えて放り出したようなものです。
しかし天照大神、「必要なものはすべて与えた」と言っているのだそうです。つまり、これだけで道は開けることを示しているのです。
前にも出てきたように三種の神器は、「素直な心」「困難に立ち向かう心」「思いやりの心」の象徴です。そして稲穂は、私たちの持ち味(個性)だと言います。つまり、今あるありのままの自分で挑戦できる、他には何も必要ない、というメッセージなのです。
「未知の森に分け入って、そこで経験したことを、
元いた場所に戻って、みんなに伝えて貢献する。
そういう行動をとれれば、みんなが英雄になれます。」(p.221)
神話学者のジョセフ・キャンベル氏が世界の英雄伝説を調査して発見した英雄のポイントは、2つなのだそうです。1つは、慣れ親しんだ安全な場所から未知の暗い森へ入っていき、試練に直面し、独力で歩むこと。そういう勇気が重要なのだと。そして2つ目は、元の場所に戻ってきてその経験を共有することなのだと。
成功するとか、何かを得るとか、そういうことは関係ないのですね。恐れずに困難に飛び込む勇気を示すこと。その結果の経験を分かち合うこと。それが英雄なのです。
「あなたが、あらかじめ頭で考えた目標に、辿り着くのではなく、
あなたの想像を超えた、天から授かった役割へと誘われていくのです。
そんな天命によって運ばれていくという生き方を、
”天命追求型”の生き方と呼ぶことにしましょう。」(p.241)
西洋は目標達成型と言えます。自ら目標を立て、そこに向っていく生き方だからです。ですから、目標への行く手を阻むものはすべて「悪」であり、それらを蹴散らさなければなりません。
しかし、日本の天命追求型は、まずはありのままを受け入れます。これを白駒さんは「受けて立つ」と表現しています。そこには積極的な姿勢があるからです。
日本の神話は、あまりに人間らしい個性的な神様たちが、こういう天命追求型の生き方を示しています。ある意味で、神々とは私たち自身でもあるのです。
「そして、「幸きくませ」とは、
「あなた自身が、幸せでありなさい」ということです。」(p.267)
天照大神がニニギノミコトに命じたのは、「知らせ(治めなさい)」ということと「幸きくませ」だそうです。まずは自分自身が幸せでありなさい、と命じたのですね。
幸せなあり方を選び、その状態で民を治めること。ねじ伏せるのではなく、愛し、慰撫し、懐かせることで統治する。それが日本らしい社会なのです。
古事記には、他にも多くの物語があります。そこには、私たちがどう生きるべきかという問いへのメッセージがあります。
日本が唐から攻められるかもしれないという国難の時、日本人が一致団結することを願って編纂されたという古事記。その心を受け継ぎ、私たちは次の世代に伝えていかなければならない。白駒さんのその想いに、私も共感します。
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