また津留晃一(つる・こういち)さんの本を読みました。前回紹介した「人間らしくて、いいじゃないですか」が3冊目でしたので、これで4冊目になります。
この本は、アマゾンでは売られていないようです。なので、発行所の「集合人編集局」のリンクを貼っておきます。こちらでご注文ください。
本のサブタイトルに「どうしても幸せになりたい人へ」とあります。月刊誌「アネモネ」に1998年11月から2000年1月まで、毎月連載された「幸せテクニック講座」の第1回から第15回までを集めたもので、幸せになるための実践講座になっています。また、その実践編として公開セッションの様子が載っています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これまでの本で紹介した内容は、なるべく割愛するようにします。
「真の幸せを獲得するためには、心の使い方を、今までのものとは完全に取り替える必要があります。私たちの脳は右脳と左脳のふたつで出来上がっています。そのどちらもかけがえのないものです。このふたつの脳をバランスよく使うことによって、真の自己改造が始まります。いつもこのことを意識に置いていて下さい。
あなたはこれまでの、「創られた者」としての人間から、「創る者」としての自覚を有する人間へと変化します。左脳を使い、まず知る必要があります。理解することが必要です。理解がその実質的変化を助けるからです。
そして右脳を使って、実際にエネルギーを変えていきます。あなたは「創る者」へ変わろうとしています。ですから、それを誰かにやってもらうことは出来ません。誰かにやってもらう人は「創られた者」だからです。」(p.3 - 4)
まず左脳を使ってしっかりと理解することが重要だと言います。それから右脳を使うのですから、イメージ(感性)によって実践していきます。
私の「幸せ実践塾」でも理論と実践が重要と言っていますが、まずは「知る」ということから始めるという点で、アプローチが似ていますね。
「宇宙をシンプルにとらえます。全宇宙は『小さい私』と『大いなる私』の2極構造であるというとらえかたです。「小さい私=小我」とはあなたが今自覚している私です。そして「大いなる私=大我」とは目に見えない本当の私ということです。小我は部分であり、大我は全体です。小我は創られた者であり、大我は創った者です。」(p.4)
まず、自分(宇宙)というものを、このような2極構造でとらえるのですね。神という別人格が存在するのではなく、それもまた私なのです。
「大いなる観点から見た時、自己が自分の願望を実現していくというこの世界のとらえかたと、決まったシナリオの中を歩んでいくだけだから、我々に成す事は何もないという委ねる生き方とが全く矛盾しない、単なる見えかたの違いだとわかります。
この観点を手に入れた者が「集合人」です。我々はそんな集合人間に変わっていきます。
ここがこの講座のゴールです。ここからものごとを見るようになると、全ては完璧で美しい世界にしか見えなくなります。このゴールを見据えながら、焦らずにいきましょう。」(p.5)
「思い」を持ち、それがすべて叶えられるという生き方は小我のとらえ方で、何か特別な意図を持たずに当初のシナリオ通りに動かされているだけという見方は大我のとらえ方なのですね。「神との対話」でも、神には特別な意図はないとありました。
「「幸せテクニック講座」の第一歩は、もうこれ以上ストレスの原因を増やさないというところから始まります。そのためにはまず気付くことです。自分が「意識の焦点」を合わせているものに。」(p.8)
何か不都合なものを感じると、私たちはたちまちそこに意識を向け、延々と考え続けます。「どうしてこんなことになったのか?」「なぜ私がこんな目に合わなければならないのか?」こうやって、対象にエネルギーを送り続けます。それがストレスの原因なのです。
「私はもう人は救わない。自分自身を救います。」(p.10)
「「ちょっと、そうじゃないだろう」と相手に意見を言いたくなった瞬間、このフレーズを思い出して下さい。相手を正そうとしている自分に気づいて下さい。それは他人救済なのです。」(p.10)
「自己救済」がポイントだと言います。「かわいそうに」という思いも他人救済です。私がよくやることですね。「老婆心ながら・・・」と余計なおせっかいをしたがる癖があります。重要なのは他人じゃなく自分。自分を救済することです。
「「怒っている人を見ると気分が悪くなる」という病気も、体質改善してあげれば治ります。その原因となっている、内的エネルギーを抜き取ってしまえば、アッという間に治ります。怒っている人を見て、そのまま怒らせてあげることが出来ます。」(p.14)
怒っている人にさえ反応しなくなるんですね。
「怒っている人を見ても、苦しんている人を見ても、見えている状態と、自分の幸、不幸がリンクしなくなります。いっさい外界からの影響を受けない人となります。不動心を得ます。宇宙のマスターとなります。単に自分の内的エネルギーをお掃除するだけで……。
外界の影響を受けなくなったら、どうなると思いますか。外の世界で起きている事と、自分の感情がリンクしなくなったら、未来の事などどうでもよくなります。ですから不安が消えます。これが幸せな状態です。揺らぐ事のない、絶対的幸せです。」(p.15)
まったく反応しなくなった時、私たちはただいるだけで幸せでいられるのです。
「自分の中にストレスがある場合は、それを解放してあげるしかありません。「あっ、ごめん。今、ストレスを感じているからちょっとひとりにさせてくれないか」と言ってみましょう。
そう言えたとしたら、あなたは今、自分の中にストレスがあることを自ら認めています。これだけであなたの感情は半分に減っていることでしょう。」(p.22)
怒りはもちろん、感情を感じ切ることが重要だと言われますが、そのためにはまず自分がその感情を感じていることに気付くことが重要なのですね。
「ただ次の瞬間も、またその次の瞬間も、豊かな自分のハートを感じて下さい。そんなあなたにはどんな問題も起きてくることはありません。ちょうどパニック映画を見ているあなたが、幸せを感じられるのと同じです。何を見ようと動じる必要性はありません。」(p.29)
今、この瞬間の自分のハートを感じる。そのハートが開いていれば、何も心配はないと言います。つまり、目の前の出来事がどうかに関係なく、ハートは幸せでいられるのです。
「今、あなたの目の前には、愛以外は存在してはいません。ですからどうぞどんなものも、受け入れてみて下さい。受け入れれば細胞は開きますから。どんなものも良きものと思えるようになってきます。」(p.30 - 31)
「ですが、肯定しようとしても出来ないものもあるでしょう。そこにあなたのブロックがあるからです。こんな時こそ、ブロックのお掃除のチャンスです。」(p.30)
本質的には「愛」しか存在しないのですから、私たちを害するものは存在しません。それがわかれば、心をオープンにしていられるはずです。しかし、エネルギーのブロックがあると、そこに抵抗を感じる。でも、その時こそがブロックを掃除するチャンスなのですね。
「漠然と「何だか今、胸の辺りが重苦しい、どうしてだか落ち込んでいる、辛いなー」と、ストレスを感じている時に、「どうして? どうして? どうして? どうして?」とその言葉だけに集中してください。
決して答えを求めないで下さい。答えがやってきたら「それはどうして?」と質問を切り替え、すぐにまた集中に入って下さい。これを集中力がなくなるまで続けて下さい。ほんの5分で充分ですから……。誰でもそんなに長く集中できるものではありません。慣れてくれば3分ですむようになり、やがて1分もかからなくなります。」(p.33)
これがブロックを掃除する浄化のテクニックの1つです。そのストレスをじっと見つめることが重要だそうです。
「「どうして?」という想念は、自然にその原因となっているブロックへエネルギーを向かわせます。ですから「どうして?」に意識を集中するとは、その原因に意識の光を送り込むことになります。実際には3分も意識をきっちり合わせることが出来さえすればどんなブロックもたちまち消滅してしまいます。」(p.34)
「神との対話」でも不安を見つめることを勧めています。見つめていれば、それは幻想だから、正体を現さずにはいられないのだと。ここで言われていることも、同じようなことだと思います。
「答えを受け取れない人こそ幸せな人です。浄化が終わるまでじっとそこに留まることが出来るからです。
原因は今、ここにあります。それはエネルギーブロックです。過去に起きたそのエネルギーブロックを作った出来事は、過去のことに過ぎません。ですからそんなことはどうでも良いことなのです。」(p.35)
答えを出そうとするのは自我の働きです。しかし、自我には問題解決能力はありません。ですから、答えを求めるのではなく、問題そのものを見つめることが大切なのです。
「どうしても、どうしても幸せになりたい人は、幸せを諦めることです。あえてこんな否定的言葉を使わせていただきます。「諦める」という言葉にくっついている、否定的感情のエネルギーを中和するために……。こんな表現をしてしまったらこの先を読みたくなくなるかもしれませんね。
「幸せ、そんなものどうでもいいじゃない」と思えるようになった人には、至福の方が向こうから近寄ってきます。不思議ですね。あなたがすることは、幸せになろうとすることではなく、幸せを諦めてしまうことだとしたら、何と皮肉なことでしょう。これがこの世界がパラドックスであるゆえんです。」(p.64)
私がよく言うように、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。
「「もうこんなのイヤだ」と思ったら、憎しみを声に出して表現し、そんな自分をまるまる抱きしめて下さい。
憎しみを出しつくし、その想念を自分で受け入れて下さい。自分が出した想念をまた自分にもどします。
自分の出したカルマを自分自身で刈り取ります。こうしてカルマの連鎖に終止符が打たれます。」(p.66)
これが、「M2テクニック」などで示されている浄化(エネルギーブロックの掃除)の本質的なことです。沸き起こる感情を感じ切り、それをじっと見つめ、出てきてくれたこと、体験させてくれたことを喜んで、その体験を受け入れるのです。
「感情は外に出さない限り、心の中に残ります。慣性の法則です。ですから出してしまいなさいと言われます。手紙に書いて燃やしてしまう。これはカルマを発生させない、うまいやり方です。燃やして終わらせているからです。」(p.70 - 71)
イライラを他人にぶつければ、そのイライラのカルマは解消しますが、ぶつけたことによるカルマが発生するのですね。つまり、原因である思考が現実という結果を創るのです。
これまでの時代、このカルマの成就には時間がかかり、時には来世でカルマを解消することになったりしていましたが、今は成就までの時間がとても短くなっているそうです。
「でも、あなたは人の愚痴を聞きたくありません。それはあなたの中に同質のエネルギーを貯蔵したままでいるからです。愚痴を聞かされていると、あなたの中に閉じこめている古いエネルギーが動き始めてくるからです。
さあ、これもあなたのチャンスです。あなたが蓄えていることすら忘れてしまっている、古いストレスのエネルギーを解放させる時がやってきたのです。」(p.73)
愚痴を聞かされてイライラするのも、原因は自分の中のエネルギーブロックなのですね。
「まず自分を癒すことが先決です。そうでないと、愚痴をこぼす人が憎くなってしまいます。ブロックの掃除の終わった人だけが、真に同情心の持てる人へと変わります。もっとも難しい同情愛の持てる人になってしまいます。なろうとしていなくても、なってしまいます。」(p.74)
愚痴は、ただ聞いてあげるだけで相手は喜ぶもの。そうわかっていてもそれができないのは、自分がまだ癒やされていないからなのです。
「幸せは心で感じますね。ですから、あくまでも幸せというのは、心の内的作用でしかありません。すなわち、外的世界と隔絶された、全く別の世界の話です。外的条件に影響を受ける心はありますが、不幸感は外的条件によって決まるものではありません。どこまで行っても内的作用です。
外的条件に影響を受ける心は、内的世界にあるエネルギーブロックの働きです。ですからエネルギーブロックさえなければ、心はいっさいの外敵条件に影響を受けなくなります。外側で何が起きようと涼しい顔でいられます。」(p.77)
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という心境は、まさにこういうことなのでしょうね。
「怒りの感情を嫌う私が、怒りの感情を表現できるはずがありませんでした。ですから私自身の浄化の旅は確かに苦しく険しいものでした。
しかし私に続いて下さる方々が既に出始めております。一人がそうなると、その次の人はもっと容易にその道を通り抜けることが出来ます。一人一人、だんだん浄化のスピードは早まっていきます。
ですからあなたがまず変わって下さい。それが何よりの社会への奉仕です。私たちはこのシンプルな原理により、シンプルに浄化を進める準備が整いました。すぐに始めて下さい。あなたから……。」(p.84)
自分で自分を救うことが、世界の救済につながるのです。
「神になるとは、神への道を上がっていくという作業ではなく、自分自身が神であったことを思いだしていく作業そのものです。ですからその作業の工程そのものが、神への道となるわけです。
「あなたが道である」というのはこういうことです。そしてその神である記憶を閉ざしているものが、エネルギーブロックです。
ですからエネルギーブロックを掃除するという作業は、記憶を取り戻すという作業そのものです。すなわち浄化のプロセスこそ、神へと帰っていく道そのものであるわけです。」(p.111)
「ところがこのエネルギーブロックは、さまざまな現実の中に、あなたにとって厄介な問題として顔を出してきます。不快な感覚としてやってきます。
このときわれわれは、その不快な感覚が、他人や環境からやってきたと錯覚し、環境整備や、他人との人間関係の構築に注意を向けてしまいます。
でもいくらそれをやっても、問題はちっとも真の解決を見ることはありません。あなたの魂は環境構築のために、今、そこにいるわけではないからです。多くの人が、人生のゲームを取り違えています。
ここに実在しているゲームは、過去を思い出すというゲームです。今のところは過去を思い出すゲームに熱中して下さい。幸いなことに、忘れている記憶のエネルギーはちゃんと残っていますから、感情によって我々はそれを知ることが出来ます。体験した記憶がとてもつらい場合、誰でもそれを隠してしまいます。これがエネルギーブロックです。」(p.112)
問題解決手法のホ・オポノポノも、けっきょくはこういうことなのだろうなと思います。過去の記憶のクリーニング(浄化)ですから。
「演劇を見に行ったとき、ある室内の場面から、舞台がぐるりと反転して、戦場の場面になったりします。じつは意識の世界で繰り広げられているのも、こんな感じです。ちょうど夢の中での体験のように……。
でも、我々は今、そうではないと思い込んでいます。時間というものをリアルな実体として経験しているからです。リアリティーというのは真実であるという事ではありません。リアリティーとは、共通認識にすぎません。「そうである」と合意が成立しているものには共通体験をして、これをリアリティーと呼んでいます。共通体験だからといって真実であるわけではありません。」(p.128)
ここの部分は、ぜひ全文を読んで欲しいところです。意識がそれぞれの物質の空間を創り出しているという話もあり、とても興味深いです。
「人に怒るなと言うことは、神と戦おうとしている状態です。怒るなとコントロールするのではなく、貧乏ゆすりをするなと言うのではなく、怒っている人を見て平気になる、貧乏ゆすりをしている人をみて平気になる、誤解されて平気になる、これが浄化なのです。どんどん、どんどん楽になっていきます。」(p.147)
そもそも他人は変えられないと言いますが、もう他人や外界を変えようとしなくなりますね。そんな心境になりたいと思います。
「痛みというのはエネルギーが抜けている状態です。貯めているエネルギーが物質化し、それが燃焼するとき痛みを体験するわけです。だから「ああ、よかった」と思えばカルマを貯めないで終わるのです。今のようなワークで、ただ起きてくる事にまかせて「ああ、よかった」とエネルギーを抜いてあげればそれで終わるのです。起きてくる事を、ただちょっと加速してあげただけなのです。ほうっておいても抜けていくのですよ。風邪の症状などがそうです。」(p.148)
風邪の症状だけでなく、痛みさえも浄化だと言うのですね。これは驚きました。しかし、この症状が浄化だという考えは、レイキと同じですね。
「痛みが残っていたら、まだ浄化されているわけですから、加速してあげるには、今のように痛いところに意識を向けてあげればいいのです。」(p.149)
「そこにエネルギーがあっても、痛みがなければ的がないでしょ。意識の向けようがないでしょ。痛みがあれば意識が向けられるわけです。だから痛みというのは標的なのです。」(p.149)
つまり、「痛み」というのは、ここに意識を向けてくれという身体からの信号なのですね。だから安心してそこに意識を向けていてやれば、浄化が早まるのです。
津留さんの本は、これで終わりです。4冊を読み終えて、こんな日本人がおられたのに、会えなかったことが残念です。いつか講演のDVDを買って、ビデオの中の動く津留さんとお会いしたいと思いました。
2019年02月05日
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