2018年10月31日
バカとつき合うな
話題の本を読んでみました。すぐに読みたかったので、Kindle版です。ホリエモンこと堀江貴文(ほりえ・たかふみ)さんとキングコングの西野亮廣(にしの・あきひろ)さんの共著です。堀江さんの本は、以前に「お金はいつも正しい」と「もう国家はいらない」を紹介しています。西野さんのは「えんとつ町のプペル」ですね。
Facebookの堀江さんの投稿に、この本の出版を記念した企画をやろうという話があり、2人が飲み屋のママをやって100冊買ってくれた人を招待する、ということでした。で、その100冊を買った証拠をどうするかということで、最終的に100冊を持ってきてもらうことにしたのだとか。「そんなバカ、いるか!?」という企画ですが、さっそく何人かのバカが申し込んでいたようです。これを読んで「面白い!」と思い、読んでみたくなったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページはありません。コピペの制限もあるので、途中からはKindle版の位置情報が一部なくなります。ご了承ください。
「あなた は いま、 自由 です か?
あなた は 自由 で ある べき だ。
なのに もし、 あなた が いま 自由 で ない と し たら、その 理由 は 簡単 です。
バカ と 付き合っ て いる から です。」(Kindle の位置No.11-13)
まず冒頭で、「自由」と「バカと付き合う」ことの関連性を指摘します。
「つまり、 バカ は 遍在 する。
バカ は ある 意味、 普遍的 な ん です。」(Kindle の位置No.19-20)
「大きな 話 を する なら、 そんな バカ の 存在 が、 人類 文化 の 足 を 引っ張り つづけ て き た ん だ と 思い ます。 正確 に 言う なら、 人類 の 自由 を 邪魔 し つづけ て き た。 同じ 人類 で あり ながら。」(Kindle の位置No.21-22)
昔も今も、そして未来も、「バカ」は存在し続けると言います。そしてその「バカ」によって、自由が邪魔されてきたのだと。
では、どうすればいいのか? 攻撃する必要もなければ、仕方なく受け入れる必要もないと言います。
「だから、 あなた が できる こと は ただ ふたつ だけ。
「バカ と 付き合わ ない こと」 と、
「バカ に なら ない こと」 です。」 (Kindle の位置No.24-26)
これが本書の結論になります。ただ関係を持たないこと。そして、自分自身がそうならないよう気をつけることですね。
しかし、そうは言っても、いろいろなしがらみがあります。そう簡単に付き合わないようにすることは難しい。そう考えがちですよね?
それに対して堀江さんは厳しいことを言います。
「環境 や 付き合う 人間 を 選べ ない と 考え て しまう のは、 バカ の 思考 です。」(Kindle の位置No.165-166)
そう考えていることが、もうすでに自分がバカになっていると言うのです。
「想像力 って、 生まれ 持っ た 能力 とか では ない。 想像 でき ない という のは、 単に 情報 を 持っ て い ない こと に すぎ ない。 情報 が ない から、 想像力 も ない ん です。
情報 を 取り に いく こと に 消極的 で、 運 任せ で、 その 結果、 想像力 が ない 人。 ぼく は そういう 人 を、 バカ と 呼び ます。」(Kindle の位置No.193-196)
環境に従うしかないと思っている人は、想像力が足りないのだと堀江さんは言います。他人や環境のせいにせず、運任せにせず、主体的に生きる。そういう生き方をすれば、バカと付き合わないという決断もできるのだと。
「この 現代 において、 上司、 先生、 家族、 友人…… それ が 誰 で あっ ても、「 みんな と 同じ こと を やり なさい」 という 人 は、 全員 バカ です。」(Kindle の位置No.198-199)
西野さんは、日本の同調圧力を否定します。これは私も同感です。むしろ、他人と違うことをやるべき。これは、投資をやる人なら、みんな知っていることですけどね。
日本では、同じように動く工場労働者とか、命令どおりに一糸乱れぬ動きをする兵隊を、子どものころから養成しているような教育です。
「いわゆる 受験 までの 学校教育 は、 従順 で ある こと が 成績 に つながり ます。 テスト で いい 点 を とる という こと は、 出題 者 の 気持ち を 忖度 する よう な もの です。 ぼく も 東大 の 入試 では、 答案 に「 出題 者 が 書い て ほしい 回答」 を 書き まし た。
それだけ なら まだ いい。 怖い のは、 学校 に 従う こと に 慣れ て いっ て、 勉強 の 内容 とは 関係 の ない 習慣 も 刷り込ま れ て いく こと です。」 (Kindle の位置No.260-264)
出題者が正解と決めたものだけが正解。日本の学校教育は、だいたいにおいてそうです。どんな素晴らしい発想をしても、学校教育では否定されます。ネットで見ると、ピーマンの絵を見せて4文字の答えを書かせる問題で、「パプリカ」と書いた子どもが不正解になった、というものがありました。ピーマンでもパプリカでも正しいと思うのですが、先生の答えに合わなかったということなのでしょう。
「学歴 エリート の 得意 科目 は、 数学 や 英語 では ない。 彼ら の 本質的 な 得意 科目 は、 従う こと と 我慢 です。 サラリーマン という 社会 の 歯車 を やる には 最適。」 (Kindle の位置No.268-270)
自分で考えずに、ただ従うことだけ考える。そういう人間になってしまうのです。
「ただ厄介なのが、こういう人たちにかぎって、「自分と同じようにせよ」って他人に強要してくるんですよね。このへんは西野くんも書いている通り、バカは強要してくるんです。
ぼくに言わせれば、理由はふたつ。
そういう人たちは、自分から勝手に我慢を選んでいるくせに、「自分は我慢しているのにあの人は我慢をしていない、不公平だ、ズルい」と頭の中で論理がスライドしてしまっているから。
もうひとつの理由は、彼らがストレスを溜めているから。そういう人が口出ししてくるときってたいてい攻撃的です。そうやって人にあたって、結局ストレス発散をしてるんです。
自分勝手に我慢して、それで他人に迷惑かけてんじゃねーよ。」 (Kindle の位置No.345-)
こういう人、たしかに多いですよね。やたらと自分の価値観を押し付けてくる。たいていそれは、マナーがどうのこうの、常識がどうのこうのといった、我慢させるものです。
「いまの時代に必要なのは、我慢出来ないほど、「これをやりたい!」と欲望する力です。我慢とは真逆の力。」 (Kindle の位置No.358-)
堀江さんは、我慢グセは多かれ少なかれほとんどの人が持っているから、ゆっくりでいいから我慢グセをやめて、自分がやりたいことをやっていくようにしましょうと言います。それが自分の可能性を広げるのです。
「なにかをやってみて、成功することも失敗することもあるでしょう。成功も失敗も、経験値が上がるという意味では等しいものです。失敗も、重ねれば重ねるほど経験値が溜まっていく。経験の積み重ねだけが、勘の鋭さを磨きます。」 (Kindle の位置No.388-)
西野さんは、未熟なのに勘に頼るのはバカだと言います。もっと論理的に考えて行動せよ、ということです。しかし、重要なのはたくさん行動することです。行動して体験して経験値を積んでいくこと。それが重要なのです。
「座学というスタイルの中に、「行動するな」というメッセージが含まれてしまっているんです。」 (Kindle の位置No.423-)
「既存の学校教育の中では、「行動せず黙っていられる子」が偉くなっていく。
そんな環境の中にいるうちに、「やりたいことを我慢する」ではなく、「やりたいことがない」に変わっていく。「欲望する能力」を失っていく。もともとは全員が持っているものなのに、いわば、去勢されていくんですね。」 (Kindle の位置No.426-)
堀江さんはゼロ高というスクールを作られていますが、そこでは座学を少なくしているのだとか。たしかに日本の学校教育は、我慢する子、じっとして黙っている子を育てているように思います。そして、その典型的な良い子が私でした。まさに、去勢された子どもとして育ったのです。
「ぼくの考えはシンプルで、やりたいことは本当はあるんです。あるいは、かつて持っていた。我慢せず行動する友人たちに囲まれたら、抑えつけられた「欲望する能力」もだんだん復活してきます。」 (Kindle の位置No.441-)
本当に、そうだと思います。私も、子どものころに、こういう話を聞きたかったなと思います。
まあでも、それで親を恨んだり、ただ嘆いていたりするつもりはありませんけどね。常に、今、これからですから。まだ遅すぎるということはありませんから。
「「自分はああいうやり方をしない」と言うだけなら結構。批判上等。けど彼らは「怒って」いました。感情で反応していました。
なぜ感情的にならざるをえなかったか。
ようは、怒っていた人たちは、その常識がどんなロジックで成り立っているか、本当はわかってなかったんじゃないかと思います。自分が作ったわけではないから、実はロジックはわからない、でもそれが正しいと教えられていた。だから、いざ例外が登場すると、ロジックで議論できないから、感情で反応してしまった。」 (Kindle の位置No.488-)
西野さんは、「えんとつ街のプペル」をネットで無料公開されましたが、それに対して非常に大きな反発があったそうです。「コンテンツはつねに有料」という常識に反していたからです。和を乱す者とされ、攻撃されたのですね。
たしかに、こういう意味も知らず常識を振りかざす人は多いですね。そして、西野さんが指摘するように、すぐに感情的になって押さえつけようとします。困ったものです。
「たまたま、数十年前の高度成長期に、終身雇用幻想が実現する「例外的な時代」がたしかにあった。厄介なのは、その次代を経験した上世代が、それが「例外的な時代」だったことに無自覚だということです。だから下の世代に向けて「大学を出て会社に就職しなさい」と言いつづけてしまう。
自分がたまたま恵まれていただけという自覚がないのは、バカです。」 (Kindle の位置No.623-)
堀江さんは、ひとつの仕事を続けることで大成するのは、イチロー選手のような天才だけで、凡人にはそんな生き方は難しいと言います。堀江さん自身も凡人であり、だからたくさんのことをやっているのだと。そのため、「多動力」を重視し、やりたいことを複数持って、そのどれもをやることを勧めているそうです。
「必要 に 迫ら れ なかっ た 進化 なんて ない という 話 です。 天才 の 話 も これ と 同じ。 極端 な 才能 も、 極端 な 環境 によって もたらさ れ た もの な ん です。 環境 が 先。 そこ に 帳尻 を 合わせる よう に、 才能 が 出 て くる。 天才 に なる 必要 が ある 環境 に 人 を 追い込め ば、 その 人 は 天才 に なる ん です。」(Kindle の位置No.650-654)
ピンチがチャンスになるというのは、こういうことですね。苦しい環境に置かれるから、そこに適応して才能が開花する。だから、設計図を描いてその通りに生きようとするのではなく、自分を信じて好きなことに飛び込め、と西野さんは言うのです。
「多くの人は、人生の時間を、なににどれくらい投じるかについて、主体的に選択していません。学校もそうだし、労働もそう。」 (Kindle の位置No.722-)
「人生とはなにか。人生とは単純に、時間のことです。」 (Kindle の位置No.729-)
堀江さんは、社会から自分の時間を取り戻せと言います。何にどれだけ時間を掛けるかは、自分が決めるべきだと言うのです。
「それを象徴するのが、日本の高校以前の学校に飛び級がないこと。だから学校には、年齢の多様性がない。大学も結局、18、19歳で入学する人がほとんど。優秀層だけの問題ではありません。逆に、勉強が苦手な子どもが、小学校を12年かけて18歳で卒業するということも許されない。」 (Kindle の位置No.737-)
たしかに、決まった時間で勉強しなければなりません。そうやって、大量に落ちこぼれを作っているのが、日本の学校教育です。
堀江さんは、仕事時間だって自分で決めるべきなのだと言います。会社に使われていてはいけないのです。
「人の時間を奪うことに鈍感な人間が多すぎる。
たとえば、電話をかけてくるバカ。
電話は、他人の時間に割り込みをするツールです。あなたが電話をかけるとき、相手は必ずなにかほかのことをしています。」 (Kindle の位置No.817-)
これは同感です。私も、電話がかかってくると「邪魔だな」と感じることがあります。また、なるべく電話はかけないようにしています。だって現代では、メールもあればLINEなどのチャットツールもあるのですから。
「メールのほうが早く書けるのにわざわざ手書きで書くというのは、無駄な時間を使って、つまり自分の時間を差し出すことで、相手にへりくだっているつもりなんでしょう。その理屈がもう、キモい。」 (Kindle の位置No.840-)
たしかに、手書きの手紙が好きな人はいますね。私などは、やはりメールで済ませたい派ですから、今や年賀状も出しません。
ただ、手書きの文字に温もりを感じて、それが好きだという人もいます。ですから、一概に否定されるべきでもないかなと思います。
さらに堀江さんは、三国志の「三顧の礼」という故事を否定します。
「現代では反面教師にすべき故事成語です。立場が上とか下とか関係なく、現代だったらLINEで「軍師やって」って送って終わりでしょ。俺が欲しければ同じことを言いに三度訪ねて来いなんてやつ、名軍師じゃない。バカです。」 (Kindle の位置No.846-)
これまたバッサリですね。(笑)たしかに、偉そうに見せるためであれば、それはナンセンスだと思います。
ただこの故事で諸葛孔明は、本当は軍師をしたくなかったのでしょう。劉備に会えば引き受けざるを得なくなる。だからわざと会わないようにした。しかし、三度も諦めずに訪ねてきてくれたという劉備の情熱にほだされ、意気に感じて引き受けたのです。そういう一面もあると思いますよ。
「どんなに合理的に説明しても、理屈の問題ではなくなってしまっている。なぜなら、おばちゃんの中ではそれは善だから。つまり、善というのが、思考停止をする口実になってしまっている。「これはいいことだからいいんだ!」みたいな。」 (Kindle の位置No.868-)
風の強い日に、軒並み倒されていた自転車を、おばちゃんが起こしていたのだそうです。それを見た西野さんは、また1台ずつ寝かせていったのだとか。まだ風が強かったので、起こした自転車はまた倒れると思ったからです。倒れれば傷つくし、壊れるかもしれません。だから、寝かせたままにしておく方がいい。それが西野さんの理屈だったのです。
けれどもそれはおばちゃんには通じず、たいへん怒られたそうです。被災地に千羽鶴を送るとか、何の準備もせずにボランティアへ行くなど、善意の空回りはよくあることです。重要なのは、そういうことがあると知っておくことと、やはりよく考えることでしょうね。
「独善的、つまり独りよがりの善っていう形容詞がありますけど、逆に、世の中に独善じゃない善ってどれくらいあるんですかね?」 (Kindle の位置No.885-)
西野さん自身、振袖詐欺の被害者を救うためのイベントをやったりして、善意の行動をよくされます。しかしそこには必ず「自分が喜ぶ」という要素があるから、独善性が入っていると言います。だから、独善だから悪いのではなく、空回りしないようにしっかり考えることが重要なのです。
堀江さんがツイートで炎上した事件ですが、新幹線で「シートを倒していいですか」と聞いてきた前の席の人に、そんなこと聞かずに勝手に倒せと堀江さんが批判したことがありました。堀江さんは、時間の無駄だからと言います。
また、国内線の飛行機の手荷物検査で、「ペットボトルの中身をお調べしてよろしいでしょうか?」と必ず尋ねることなども、同様に無駄だと言います。調べなければ乗れないのだからと。
「まず、ぼくの時間を無意味に奪っているのがダメ。そのうえ、よく考えてみると、他人の時間を奪っておきながら、その人もなにも得ていない。天気の話を振ってみたところで、自分もなにも得るものがないでしょ?ぼくだけじゃなくて向こうも時間を無駄にしている。」 (Kindle の位置No.906-)
ビジネスで会った時、最初に天気の話をするのさえ無駄だと言います。堀江さんらしいですね。
「マナーなんてどこかのバカが作ったものです。
ぼくには、「了解」のLINEスタンプだけでいいです。早いから。」 (Kindle の位置No.934-)
目上の人に「了解しました」はダメというビジネスマナーに対しても、堀江さんはこのように噛み付きます。合理主義を追求されているようです。
「いまでも取材で訊かれることがあるんです。「いわゆるライブドア事件の前後で、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、人間関係を失ったでしょう」って。そういうストーリーに落とし込もうとする下心が透けて見えて、大嫌いな質問です。
そりゃあ去った人もいるでしょう。でもそんなやつの顔なんてもう覚えてない。人間関係なんてつねに変わりつづけるものだから。」 (Kindle の位置No.990-)
「「孤独になったらどうしよう」と恐怖している人って、世の中に多いんですね。だから、なくならない人間関係の作り方について、ヒケツを教わりにくる。書店には人との付き合い方の本が並ぶ。
そういう書籍の中で、ぼくが薦められるのは『嫌われる勇気』(岸見一郎&古賀史健/ダイヤモンド社)だけです。あ、あと『バカとつき合うな』か(笑)。」 (Kindle の位置No.997-)
堀江さんは、人間関係は常に変わっていくものだから、去る者は追わずでいいと言います。そうすれば、自然と新たな人間関係が生まれるからと。
「あなたが本当にやりたいことをやって、自分の時間を生きていたら、それにふさわしい「自分の人間関係」は、自然とできてくるものです。もっとも、自分の時間を生きている人に、孤独を恐れている人なんて見たことがないですけどね。」 (Kindle の位置No.1009-)
孤独になることを恐れず、自分の生き方を貫くこと。孤独が嫌だからと言って、バカと付き合っているようではダメなのです。
「「自分の時間」はあなたを守る。一方、「他人の時間」は、あなたを守らないどころか、最終的に孤独に追いやるのかもしれない。
まあ、ぼくは他人の時間を生きたことがないんで、わかんないですけどね。」(Kindle の位置No.1015-)
やりたくないことを嫌々やる。それが「他人の時間」です。そうやって恨んでいるから、孤独になっていくのです。
「でもぼくからの最重要メッセージは、「未来をあれこれ想像して、不安に思うことに意味はない」ということです。」(Kindle の位置No.1087-)
未来予想してみたところで、なかなか当たるものではありません。
「どうせそうなら、いま目の前にあるものが、あなたがワクワクできるものかどうかを大事にしてほしい。」(Kindle の位置No.1093-)
「過去や未来という概念は、人間がもともと生まれ持っていたものではありません。子どもを見てください。熱心に現在だけを生きているでしょ?
子どものように、真の現在を生きてください。それも、熱心に。」(Kindle の位置No.1097-)
堀江さんは、過去や未来にとらわれることなく、不安を捨てて今に生きるようにと言います。けっきょく、ここに行き着くんですよね。「前後際断」です。
西野さんは、ただ有名だという「認知度の高い人で」ははなく、「信用度の高い人」が勝ち組になっていると言います。
「信用度の高い人……言い換えれば「嘘をつかない人」ですね。
場がシラケようが、立場が悪くなろうが、不味いモノに対して「マズイ!」と言えちゃう人たち。」(Kindle の位置No.1115-)
自分に正直な人と言えるでしょうか。相手の顔色をうかがわない人です。そういう人は信用度が高く、お金はそこに集まってくる、というわけです。
「ツイッターで、アンチらしきアカウントがぼくの言動に粘着してくることはよくあるけど、どれもこれも総じてレベルが低い。行動が伴わない人の思考は浅いんです。レベルが低すぎて、ツイートの向こうに人間の思考を認識できない。ああいうアカウントって、自動botなんじゃないかと思ってるんですよね。つまり、ぼくにとっては存在していないのも同然なんです。
だからこれは、これまでに書いてきたバカとはちょっと違っていて、バカでさえない。バカ以下というか、無です。存在以前。」(Kindle の位置No.1161-)
たしかに、粘着質の人いますね。私もFacebookでよく絡まれます。絡んでくる人は、だいたい論理的な思考ができないし、批判のための批判ですから、どんなに説明しても納得はしません。「ああ言えば上祐(じょうゆう)」と言う言葉が昔流行りましたが、付き合うのがバカらしくなります。無視するに限りますね。
「考えることに時間を費やさなかった分、バカのほうが利口より時間コスパがいい。利口が考え詰めているあいだ、そして小利口がちょっと考えて結局足踏みしているあいだ、バカはもう行動しています。」(Kindle の位置No.1209-)
堀江さんは、こう「いいバカ」のことを言います。考えすぎず、たくさん行動する。前に出た「多動力」です。そして、それはまさに西野さんのことだと。
「そして堀江さんがルールを書き換えようとするのは、自分個人の利益のためなんかじゃなかったと思います。自分の後に続く新しい世代が、息苦しさを感じずに、より自由に行動していけるように。その下地として、彼はルールを書き換えなければいけないと考えていたと思う。」(Kindle の位置No.1434-)
西野さんは、堀江さんのことをこのように評します。誰かが作ったルールの中で戦っていたら、絶対にその作った人を超えられません。堀江さんは、社会のルールを変えようとしていた。パイオニア(開拓者)です。しかも後に続く世代のために。そういう堀江さんに対して西野さんは、嫉妬を感じると言います。それだけ、高く評価しているということです。
堀江さんは、本当にそういう人だと、私も思います。
2011年、私は堀江さんのツイートをフォローしていました。3.11の時、身内と連絡が取れなくなった多くの人が、堀江さんを頼りました。「誰が誰を探しているから連絡を」というツイートを、拡散してほしいという依頼です。堀江さんは、寝てないのではと思うほど、腱鞘炎になるのではないかと思うほど、ずっとリツイートをし続けていました。
私は、お節介ながら堀江さんに言いました。「もうやめた方がいいですよ。そういうことをしても効果は少ないし、堀江さんの身体がもたないから。」と。他のフォロワーから批判されました。役に立ったケースがあるのだからと言います。でも、論理的に考えて、そういうツイートでつながることはあまりないし、それでは堀江さんだけが負担になってしまいます。他の手段を講じるべきです。
それでもしばらく、堀江さんはリツイートし続けました。堀江さんは、そういう人なのです。だから私は、堀江さんのことを信用しているし、好きなのです。
「「断られるかもしれない」と何度考えてもその時間は無駄で、大事なのはその1回の「乗れよ」に早く出会うこと。そのために必要なのが、バカになることだった。」(Kindle の位置No.1539-)
堀江さんは、大学生の時にヒッチハイクをしたそうです。ほとんどは断られるのですが、10回に1回くらいは「乗れよ」と言ってくれたのだとか。それが「いいバカ」になる原体験だったと言います。
「自分がバカであるか天才であるか、あるいは普通の人か。
それを定義したところで、誰が得をするんでしょうか。それもぼくにとっては「考えてもしょうがないこと」のひとつ。そんなことを考えるのは思考のパフォーマンス低下の理由にしかならない。無駄。
自分の定義を追い求めることは、突き詰めると結局、人からどんなふうに見られているのかを意識しているだけにすぎません。」(Kindle の位置No.1551-)
まさにそうなんですよね。他人からどう見られているかが気になる。自分に自信がないから、他人の評価に頼ろうとしてしまう。私は、そういう人間でした。今もまだ、そういう面が残っています。
「だから真似することは、個性を育てるんです。
いいと思ったことは、好きに自由に、真似る。パクる。人と違うことをしなければと考える「自分探し」とは逆の道ですね。
これが最後まで読んでくれたあなたへの最後のアドバイスです。」(Kindle の位置No.1658-)
この本を読んで、堀江さんや西野さんの考え方、行動を真似るようにと堀江さんは言います。いくら真似ても、ミニ堀江、ミニ西野にはならないからと。守破離ですね。まずは完全な模倣から入ること。そして時期が来れば、自ずと自分の道が見えてくるのです。
「このときの踊りというのが、高尚でストイックなものなんかではなくて、裸踊りだったらしいんですよね。つまり、アメノウズメはバカをやった。それでみんなは笑って、なんだか楽しそうな外の様子が気になるアマテラスが岩戸をやっと開いたという。
アマテラスが出てきて、みんなに光が戻る。それをなしたのがアメノウズメであり、芸人であり、バカだったわけです。神さまですけどね(笑)。」(Kindle の位置No.1768-)
古事記にある岩戸の話です。私の田舎では石見神楽をやりますが、この岩戸も演目にあります。子どものころは興味がなかった演目ですが、おとなになってこのストーリーを知ってから、大好きになりました。特にこの天鈿女命(あまのうずめのみこと)が半裸状態で踊ったというところ。大好きです。
「日本で最初の芸人、アメノウズメはバカだった。バカをやって、まわりの人を笑わせて、アマテラスオオミカミを岩戸の外に出て来させて、世界に光を与えた。世界を明るくした。」(Kindle の位置No.1815-)
西野さんは、「いいバカ」は世界を明るくするのだと、このように言います。
「行動してください。
この本を閉じたら、すぐに行動してください。
当然、行動には恐怖や痛みは伴います。それでも、それら一切を受け止めて、走り続けてくだされば、
きっとぼくらは、どこかの酒場で出会えると思います。
その時は、堀江さんやぼくやぼくらの友人といった、バカとつき合ってください。」(Kindle の位置No.1862-)
西野さんは、最後をこう締めくくります。
いいですねぇ、いつかそういう日が来ますかねえ。いや、きっと来ると信じます。「いいバカ」を目指す。私も、そういう生き方をしたいと思います。
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