2018年10月21日

この土の器をも



前に紹介した「道ありき」に続いて、三浦綾子さんの本を読みました。これも三浦さんの自伝的な小説になります。サブタイトルに「道ありき 第二部 結婚編」とあります。

「道ありき」が、三浦さんの闘病から結婚までを描いたものでした。この本は、結婚後の生活に関して書かれています。



ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

全文切りつけるような文面だった。
 この手紙を見た三浦は言った。
「一人の結婚は、十人の悲しみという言葉があるね。桜井良也さんの手紙といい、国村さんの手紙と言い、考えさせられる手紙だね」
 結婚は必ずしもすべての人の喜びではない。それ故にこそ、只二人だけ仲が良ければよいという閉鎖的な家庭であってはならないと、三浦は言った。
 わたしたちは、自分たちは、自分たちの家庭を、多くの人を受け入れ、愛する家庭にしなければならないと、しみじみと話し合った。
」(p.18)

三浦さんが結婚したことに対し、祝福の手紙はもちろんですが、批判する手紙もあったようです。三浦さんは、自分の友だちのことや届いた手紙のことなどを、包み隠さずご主人に話していました。最初からそういうオープンな関係であること、そして、批判する者さえ受け入れようとするキリスト教的な精神は、なかなか真似できないことだと思いました。


彼は、さっさと先に部屋の中に入って行った。わたしは、玄関で彼の靴をなおしながら、ふとためらいを感じた。三浦の留守に、異性の友人を家にあげてよいのだろうか。そう思う自分に、わたしはふしぎな気がした。
 これは曾(か)つて、結婚前には一度も感じたことのないためらいである。
」(p.42)

三浦さんは闘病中から、異性の友だちがたくさんいました。三浦さんのおおらかな性格は、彼らが1人でやってきて、家族がいない時に三浦さんと二人きりになっても、それを問題視しなかったのです。それに慣れている友だちは、結婚後も遠慮なくやってきたのです。

結婚前の友だちと同じように付き合い、それを今度は夫婦の友だちにする。そう考えていた三浦さん夫婦です。それでも当時の常識からしても、現代の感覚からしても、なかなかできないことだろうと思います。三浦さんはためらいながらも、オープンにすることを選ばれたのです。


「聖書には何と書いてある。許してやれと書いてあるだろう。いいかい綾子、許すということは、相手が過失を犯したときでなければ、できないことなんだよ。何のあやまちも犯さないのに、許してやることはできないだろう。だから許してやりなさい。弁償せよなどと、決して言ってはいけないよ」
 言われてわたしはシャッポを脱いだ。
」(p.65)

クリーニングに出したご主人の大事な背広の上下を、クリーニング屋が元店員に盗まれたのです。非常に服を大事にするご主人ですから、三浦さんもそれをどう告げてよいか困ったようです。そして、盗まれたことを伝えてこなかったクリーニング屋に腹を立て、不注意で盗まれたのだから弁償させると息巻いたのです。

それに対してご主人は、みごとに聖書の言葉通りに生きておられたのでした。許すという機会が与えられただけだ。大事にしていた服への執着を微塵も見せず、そう言い放つのです。これも、なかなか言えることではありませんね。


「失敗した時は、誰だって、あ、しまったなと思っているのよ。しまった、悪いことをしたと思っている時に叱ったら、もう、そのすまないという思いは消し飛んじゃうのよ。ぐだぐだ言ったって何の役にも立たないわ」
 彼女はそう言って笑い、つけ加えて言った。
「女って、感情的でしょ。おんなじ失敗をしても、ある時は怒ったり、ある時は怒らなかったり、自分のご機嫌次第になるのよ。そんなのは教育上よろしくない」
 と、彼女は冗談めかして笑った。この寛容な態度、許す態度に、わたしは舌を巻いた。
」(p.70)

これは三浦さんの友人のK子さんのエピソード。娘さんが醤油差しを板の間に落として割った時、眉1つ動かさずにいたそうです。そして、娘さんが醤油を入れ直してきた時、「けがしなかったの?」とさりげなく言ったとか。なかなかできることではありませんね。

しかし、この話にはオチがあります。実はこのK子さん、まめにご主人を送り迎えする良妻賢母のようでありながら、裏では恋人を3人も作っていたのです。そして1年後、隣家の高校生に刺されて亡くなったとか。その高校生も恋人の1人で、嫉妬されて殺されたのです。人間というのは、本当にわからないものだなぁと思いました。


それは、大げさに言えば、わたしにとって一つの大きな開眼であった。いかに人間というものが、日常の生活の中で、自分の立場でしか、ものを考えないものか、とわたしは痛切に知らされたのである。そして、ごく単純な事柄であっても、公平に判断するためには、検事的な立場も必要であり、弁護士的な立場も必要であり、また判事的な立場も必要であることをわたしは知った。」(p.111 - 112)

教育者の妻が夫に先立たれてノイローゼになり、2人の子どもを殺して自殺しようとしたが死にきれなかったという事件があり、三浦さんはその裁判の傍聴に行かれたそうです。その時、単純な事件のようでありながら、それぞれの立場でそれぞれの見方があることを知ったのです。これにより三浦さんは、一方的な思い込みで判断してはいけないと思ったそうです。

こう考えて来ると、夫の浮気の問題、子供の非行の問題、親戚兄弟のもろもろの問題、三面記事に書かれた様々な事件、政治のあり方の一つ一つに、わたしたちはもっといろいろな角度からものを考え、せっかちでない判断を下さなければならないような気がする。」(p.112)


わたしはいきなり打ちのめされたような気がした。わたしは何と同情のない人間だろう。なぜこんなにも同情心がないのだろう。
 わたしは、人間関係に苦しんだことのない人間である。むろん自分自身の弱さを知ってはいた。だが、姑や小姑(こじゅうと)、そして夫などの間に立って、現実に苦しむことのないわたしには、彼女の二十年間の苦しみがわからなかったのだ。不貞は悪いと、一方的に決めつけることは知ってはいても、そこに追いこまれる弱さを、わたしは決して同情もしなかったし、思いやることもしなかった。
」(p.143)

幼馴染のM子さんのエピソードです。彼女が結婚後に浮気をして、家を飛び出したというような身の上話を聞かされ、三浦さんは白けて腹立たしかったそうです。ところがその夜、いつものように聖書を開くと、そこにはイエスが姦淫の罪で引き出された女に同情された話がありました。それを読んだ三浦さんは、とても反省されたのです。


「刑務所から出たなんて、あんまり威張って歩かないでよ。後から出て来る仲間が迷惑するわ。それに、刑務所の中の人間も、刑務所の外の人間も、心の中はそう変りはないのよ」
 死刑囚を何人も知っていると言っただけで、わたしはやや優位に立った。わたしも三浦も、死刑囚や無期懲役の人と、親しく文通をしていた。
」(p.170)

三浦さんの家には、物乞いばかりか、刑務所から出てきたばかりだと脅して金を無心する者も訪れてきたそうです。そんな時、三浦さんは、強がって刑務所には知りあいがたくさんいるなどと言ったのです。

しかし、ここで三浦さんが言われたように、刑務所に入った人と入ってない人と、どれだけ違うだろうかという気がします。法を犯したかどうか、法を犯したとしても捕らえられたかどうか、それだけの違いです。イエスが、これまで罪を犯したことがない者が姦淫の罪の女に石を打てと言われたように、人はみな多かれ少なかれ罪を犯しているのではないかと思います。


わたしは内心激しく怒った。耳採血しなかった初診の医師も、不潔な点滴注射をした看護婦も、わたしは共に許せないと思った。もしこのまま三浦が死んだなら、わたしは一生この二人を憎みつづけずにはおかないと思った。その時ふと、聖書の言葉が浮かんだ。
「吾(われ)らに罪を犯す者を、吾らが許すごとく、吾らの罪をも許し給(たま)え」
 という祈りの言葉だった。毎日、わたしたちが祈る「主の祈り」の一節であった。ふだんは何の抵抗もなくとなえていたこの言葉が、いきなりわたしの前に立ちはだかったような気がした。
」(p.179)

ご主人が盲腸炎で死にそうな状態になったエピソードです。医師の誤診、そして看護婦のいい加減な処置、それらに三浦さんは腹を立てたのです。しかし、聖句を思い出すことで、自分の愚かさに気づかれたそうです。


わたしは結婚以来、三浦の弁当には心を使った。お菜入れに、いろいろなお菜を詰め合わせ、塩辛などを小さなビニール袋に詰め、黄色いリボンで結んで、片隅に入れる。すると三浦は、弁当箱の中に、わたし宛の紙きれを入れてくれる。
「綾子、今日のお弁当もおいしかったよ。いかの塩辛の黄色いリボンが美しかった。ありがとう」
 そんなメモが、よく入っていたものだった。
」(p.190)

それにしてもご主人は、よくそんなマメなことができたなぁと驚きます。しかし、そうあるべきなのかもしれないと思いました。ここに書かれているように、愛情を込めていろいろしてくれることに対し、たった一言の「おいしかった」も「ありがとう」もないなんて、その方がおかしいのですね。


彼は後に、刑を受け、手紙をよこした。詫状(わびじょう)だった。幾度かわたしも手紙を出した。
「石にかじりついても、再び罪を犯してはいけない。立派になってから、わたしの前に姿を現わしなさい。心を入れ替えないMちゃんになら、わたしは会いません」
 慰めの言葉と共に、こんなきびしい言葉も書き添えてやった。甘やかしてはならないと思ったからだ。
 彼はほどなく退所したが、わたしの前に現われなかった。そして、わたしは、彼と同じクラスだった教え子から、彼の消息を聞いた。
「先生、Mちゃんは自殺しました。入所中、奥さんを人に取られて、親も家に入れないと言って、行くところもなくなったんでしょう。かわいそうなことをしました」
 それはあまりに悲惨な結末だった。
」(p.205 - 206)

三浦さんの教え子から詐欺を働かれて、いくらかのお金を取られたというエピソードです。他の犯行で捕まり、服役し、三浦さんに詫状を送ってきていました。しかし、出所したものの行き場をなくして自殺したのです。その彼に対し、三浦さんは後になって思ったそうです。悔い改められないならそれでもいいから、いつでも先生のところへ来なさい、と言ってやれば良かったのではないかと。

正義は、時として人を傷つけるものです。正義を振りかざすことによって、弱い人間を切り捨ててしまう。はたしてそれは愛なのだろうか? このようなエピソードから三浦さんは、神の愛を考えていかれたのでしょうね。


「もし綾子が酒を売らないなら、すべてはいいことになるよ」
「そう、じゃ、小説家になれる?」
「なれるとも」
 確信に満ちた三浦の声だった。
」(p.234)

家計を助けるために始めた雑貨屋。それが近くに商売敵の雑貨屋ができたので、三浦さんは酒の販売によって儲けようとしたのです。しかしご主人は、それに反対しました。それでも売るというなら離婚するとまで言って。クリスチャンだからと言って、酒やタバコが禁止されているわけではありませんが、日本の当時のクリスチャンには、そういうことをしないという美風があったそうです。

しかしご主人は、そういうことよりも、三浦さんがお金を稼ぐことに心を傾けていることを諌めたかったのでしょう。だから商売敵の雑貨屋に対して、むしろ向こうを儲けさせるようにとさえ言ったのです。自分たちに必要なものは神が与えてくれる。だから心配せずに、儲けよりも信仰を第一にしなさいと言って。

この時、三浦さんは朝日新聞が募集していた連載小説に応募しようとしていました。優勝賞金は1千万円。当時のご主人の給料が5万円ほどですから、相当な高額賞金だったようです。それに当選すると、ご主人は予言されていたのです。


「Tちゃん。人間の生活って、感覚的なものだけを満たそうとしたら、結局、いつまでたっても、満足することはできないわよ。刺激は刺激を求めるのよ」
 異性との交渉にあき足らず、同性を求めるようになり、同性にもやがてあき足らず、獣姦(じゅうかん)をさえ望むようになる古今東西の話を思いながら、わたしは言った。T子は、夫の淡白さがあまりにも不満で、他の男性と深い仲になったという。
」(p.241)

知人のT子さんのエピソードです。性生活の話になって、T子さんはご主人に不満で浮気していることを語ったのです。一方、三浦さんは体が弱いため、子ども作らないようにしていたそうです。しかしそれにコンドームなどは用いず、ご主人の自制によって行っていたとか。具体的にはわかりませんが、少なかったとあるので、生理の周期を利用する方法ではないかと思います。

この小説が書かれた時期を考えると、LGBTへの正確な知識がなかったのは、仕方ないかもしれません。そして話がこの後も続くのですが、性欲とセックスに溺れることは別のものだということも、気づいておられなかったように思いました。


そしてついに、三浦さんが書かれた小説は、当選することになります。それが「氷点」です。賞金の1千万円が手に入ります。それに対してご主人はすぐさま、次のように言われたそうです。

わたしは、この使い方も、神の御心にかなう使い方ができるようにと、早くから祈っておいた。神と人のために使うことだね」
 まことに三浦らしい言葉であった。
「綾子、神は、わたしたちが偉いから使ってくださるのではないのだよ。聖書にあるとおり、吾々は土から作られた、土の器にすぎない。この土の器をも、神が用いようとし給う時は、必ず用いてくださる。自分が土の器であることを、今後決して忘れないように」
」(p.262)

ご主人は、本当に素晴らしい信仰者だったのですね。それにしても、最初から当選することを確信し、その賞金の使い道まで祈って決めておられたとは。まるで「引き寄せの法則」をすでに使われていたかのようです。

そして、このご主人の言葉の中に、この本のタイトルがあります。三浦さんの結婚生活は、まさに信仰生活だったのです。


この小説に書かれたご主人の態度や言葉には、本当に感銘を受けます。私自身、神を信じると言いながら、これほどまでに信じていないことを自覚させられます。もっともっと、精進しなければいけないなあ。そんなことを、この小説から考えさせられました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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