2018年09月30日

食に添う 人に添う



何の紹介で買った本だか忘れましたが、安全な食に関する本を読みました。著者は「食といのちを守る会」代表の青木紀代美(あおき・きよみ)さんです。

半分くらい読んだあたりで、違和感を感じました。「あれっ?これって食の安全について書かれた本じゃないの?」どうやらこれは、青木さんの自伝のような本だったのです。

そういう意味では期待を裏切られたのですが、別の意味でとても感銘を受けました。それについては後ほど。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

青木さんの一人息子、淳(あつし)さんは、1700gの早産で生まれ、身体がひ弱だったそうです。そのため青木さんは、「よい食べ物」を求めて奔走することになるのです。

その淳さんが、「おいしい」と言って飛びついたのが牛乳でした。そこで青木さんは、おいしい牛乳のことを考えていて、北海道の農協牛乳にたどり着きます。そこで岡田米雄氏と出会い、食について学ぶことになるのです。

人間が考えた牧草や人工的に作った飼料ばかり食べさせていると、あるとき牛は脱柵します。柵の外に生えている草を食べるために、電気が流れている鉄条網を踏み倒して外に出るそうです。いのちを守るためには、集団で脱柵することもあるとか。」(p.55)

狭いところに閉じ込めて配合飼料ばかり与えている牛からは、おいしい牛乳が出ません。青木さんは、自然な放牧によって、時には毒を持つ草も必要に応じて食べるような牛を育てられる北海道の放牧に注目します。そこでは牛が自分の生命を守るために、生命の危険を冒してでも身体によい草を食べようとして脱柵することがあることを知るのです。

そういう生命の不思議を一つひとつ学びながら、青木さんはおいしい牛乳を作ってくれる生産者を訪ね、共同購入という仕組みを作ります。

本土の酪農家を守るために政府は、飲用の牛乳は本土の酪農家だけに許可し、北海道の牛乳は加工用に決めていました。本当はそのまま飲めばおいしいのに、あえておいしくない牛乳を飲まされる仕組みになっていたのです。

牛乳の殺菌についても、いろいろあるようです。日本では高温殺菌が普通に行われますが、酪農が盛んなヨーロッパなどではノンホモという脂肪球を粉砕せず低温殺菌された牛乳が当たり前なのですね。こういうことも、青木さんは学びながら、おいしい牛乳を求めて活動されたのです。


先生の姿勢は一貫して「生産者による消費者運動」という立場でした。生産者から消費者へのアピール−−生産者はこういうことを考えています−−と訴えることでした。化粧品や家電でも、テレビCMなどで「うちの商品はこんなにすごいですよ」とアピールするのがふつうです。これは企業から消費者に対する情報提供で、ある種の消費者教育です。しかし、農業や酪農にはこういう活動はありませんでした。」(p.85)

岡田氏は、生産者からその活動を否定されたことから、日本での啓蒙活動をやめられたのだそうです。せっかく流通の仕組みを作ってきた青木さんたちでしたが、生産者の方が「おいしい牛乳を届けたい」という情熱をなくしてしまったのです。高く、たくさん、売れればいい。農産物が商品になり、商品は売れさえすれば何でもよくなったのです。


どんな緊急事態にあっても、落ち着いていることの大切さを母から教わりました。生きるか死ぬかというとき、人はあわてます。動けなくなってしまいます。それが当たり前です。しかしそれでは正しい判断ができなくなってしまいます。大変な事態のときこそ、冷静であれ。母は、そのことに気づかせてくれました。」(p.119)

青木さんのお母様のエピソードは、どれもこれもすごいです。ここでは、甲府が爆撃にあった時の話です。いつもと違うことから、布団をかぶって用水路に避難したそうです。その布団もお母様の機転。お陰で火傷せずに済んだとか。

ところが、爆撃が終わって自宅に戻ると、焼け出されたたくさんの人が、家を占拠していたそうです。青木さんの実家は小地主で、それなりに豊かな家だったようです。お母様は、その避難した人たちを無理に追い出そうとはせず、まずは炊き出しをされたのだとか。人は空腹だと何をするかわからないからと。

こういう知恵を持っておられたお母様でした。青木さんは、そのお母様の生きる指針を受け継がれたようです。


「お役目ご苦労といわれるような仕事はしない」、これが母の口癖で、その後に、「仕事はこともなげに静かにするのですよ」「他人様(ひとさま)の仕事をするときはその相手の人の身になって、もっとも喜んでくださるような仕事をするのです。自分で精一杯したと思ってから、もうひと仕事することがないかを考えることが大切ね」と続きます。」(p.126)

青木さんが子どものころ、身体が弱いお母様に代わって水汲みをしてあげた時のエピソードです。お母様は褒めなかったばかりか、むしろたしなめたのです。それは、青木さんが「なんのために水汲みをするのか」を考えていなかったから。厳しいとも感じますが、青木さんはこういうことから、お母様の教えを身に着けていかれたのですね。


「いくら勉強ができてもだめ」と戒めながら、一方で、プライドを傷つけないように対応していたのです。あの秀才が寝小便だなんて! 私や長男が気づいていたら、バカにしたり、からかったりしたかもしれません。」(p.130)

青木さんの次兄が、小学校6年まで寝小便をしていたことを、還暦を前に話してくれたのだそうです。同じ部屋で寝ていたにも関わらず、誰もそれに気づかなかった。お母様は、冷たく接していたように思われた次男に、実は温かく接しておられたのです。

寝小便が終わったのは、次男が修学旅行へ行く直前。その時、お母様は「大丈夫よ。もう終わったから」と次男に言ったそうです。そして、その通りに寝小便をしなくなったのだとか。まるで超能力者ですね。(笑)

実は私も、小学校6年まで寝小便をしていました。いえ、中学生になっても、1〜2回したと思います。考えてみると、私の母も、一度も私を責めませんでした。それでも恥ずかしかったのですから、もし責められていたら、たまらなかっただろうと思います。寝小便を責めず、文句も言わずに濡れた布団の始末をしてくれる母親は、本当に偉大だと思います。


難しい問題があると、「これ、どういうこと?」とよく母に聞きました。母の対応は、「その問題を大きな声でちゃんと読んでご覧」「もう一回読んでごらん」と決まっています。国語はもちろん数学も、「大きな声で読みなさい」が決まり文句でした。
 不思議なことに、それでわかるようになるのです。
」(p.137)

女子師範に進学されてたお母様は、子どもたちの教育にも熱心だったようです。ただし、いちいち手取り足取り教え込むのではなく、ただ大きな声で読ませるだけだったとか。国語だけでなく、数学でもそうだったようです。これによって、わかるようになったというのですから、面白いですね。

実は私の中学の先生が、関連するようなことを言っていました。すべての教科に関係するのは国語力だと。つまり、文章を理解できなければ、数学も理科も、問題を解けないと言うのです。私は読書は人一倍やっていましたから、国語はほとんど勉強せずに良い点が取れました。すると、数学や理科も良い点が取れるんですね。苦手だったのは、記憶が必要な英語や社会などです。


結婚するとき、功(いさお)さんからは「人間、本来自由だからね、好きなようにするんだよ」といわれました。よくわかりませんでしたが、私はただ「はい」と答えました。自由な時間など持ちようがありませんでしたが、夫はできる範囲で私を自由にしてくれました。ああしろ、こうしろといわれたことはありません。
 結婚して一緒に暮らしはじめると、確かに彼は自由人でした。食事以外、私は夫の世話をすることはありませんでした。
」(p.149)

私は、夫婦間の自由を求めた先駆者だと思っていたのですが、まったく違いましたね。(笑)青木さんは結婚した時、ご主人から「自由だ」と言われていたのです。そういうご主人の理解もあったから、青木さんは食の活動に奔走できたのだろうと思います。


そうして私は気づきました。本物の生産物を作る人をあと押しするのも、私のするべきことだと。本物の生産物を作ろうと思いながら、環境がそれを許さず悩んでいる人もいるでしょう。そういう人と出会い、私にできるささやかな力づけをすることも私の役目なのだと。」(p.202)

黒砂糖は、サトウキビの絞り汁を煮詰めて造ります。それが本来の黒砂糖です。しかし、その作業が大変なため、ザラメと廃蜜を使って、見た目が黒い黒砂糖もどきを造る業者が増えました。しかし、表示はどちらも「黒糖」です。消費者にはわかりません。それで青木さんが消費者庁に働きかけて、「黒糖」と「加工黒糖」の表示分けをさせるようにしたのだとか。

青木さんは、岡田さんの後を継いで、生産者の思いを消費者に伝えることをされているのだなぁと思いました。


「あのね、私の手から電気が出るみたいで、さすってあげるとみんな気持ちいいっていうの、だから高橋さんのおなか、さすりましょうか?」
 高橋さんは不思議そうな顔をしています。
」(p.223)

これが、青木さんが不思議な手の力を実感したきっかけだそうです。この後、青木さんは、4時間ほど高橋さんのお腹をさすり続けたそうです。

実は高橋さん、劇症肝炎で大変な状況だったようです。この後、青木さんは10日間ほどお腹をさすってあげたそうですが、それによって劇的に症状が改善していたのだそうです。


さすられているあいだ、多くの人はとにかくよく眠ります。深い眠り。よっぽど疲れているのでしょうか。その人に寄り添って手を当ててさすっているだけですが、相手の方はそれだけで気持ち良さそうです。」(p.230)

この部分を読みながら、これはまさにレイキだなと思いました。しかし青木さんは、そのことには気づいておられないようです。


Oさんからいわれたことは、私が体をさすると眠くなり、恐怖や不安でコチコチだった頭がゆったりして、いい気持ちになること。しかし、なぜそうなるのか、私にはさっぱりわかりません。」(p.236)

筋萎縮性側索硬化症(ALS)に罹っていたOさんは、3年で亡くなると言われながら、週に1回の手当てで当初の願望だった8年を無事に生き、その後は月に1回の手当てながら、20年を生きながらえておられるそうです。


あれはね、青木さんの気がわかった瞬間です。何かというと、今日の患者さんの脳波で一番反応があったのがアルファ波だった。すべての人の針が振り切れるほど、アルファ波の反応が起こりました。つまり患者がいい気持ちになったということです。
 治らないかもしれないといわれた患者さんや手術後の患者さんは、ものすごい恐怖で、不安だらけになっています。眠るとか、ゆったりするという気持ちになれず、ベッドで悶々としてしまいます。医者としては、仕方なく安定剤や睡眠薬を使って強引に寝てもらうんだけど……。
 患者さんにとっては、リラックスしてなんかいい気持ち、というアルファ波の脳は状態が一番必要なのに、こればっかりは医者の力ではどうにもなりません。しかしあ奥さんが気を当てると、能の中でアルファ波を示す針が振り切れるくらいになりました。青木さんの気は、脳内をアファ派で満たすんです。それが病気を治すときの大切な要素なんです
」(p.238)

青木さんの手当てを科学的に測定した時、九州大学の藤野氏が語った言葉だそうです。私も、レイキをした時に眠くなるのは、アルファ波かシータ波の脳波になっているのではないか、と思っていました。おそらくそうなのでしょう。そういう実験がすでになされていたことに驚きです。


残念ながら、最初に期待していた「良い食」に関する具体的な情報は、それほど多くはありません。どこかの味噌がいいとか、そういう情報はあります。なので、それが欲しい人は、青木さんの会に問い合わせてみると良いでしょう。

しかし、それ以上に得るものがありました。それは、1つは青木さんの生き方です。特に、お母様のエピソードは、素晴らしいと思いました。そして、もう1つは手当ての話です。私は、アチューンメント(霊授)を必要としないレイキを教えていますが、青木さんはまさにその実現者です。

これを、青木さんだからできたのではなく、誰でもできるということになっていくと、素晴らしいなあと感じています。そんなヒントを与えてくれる本でした。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 01:11 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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