2018年04月30日

これでいいのだ



赤塚不二夫さんの本を読みました。サブタイトルが「赤塚不二夫自叙伝」とあるように、これは赤塚さんの自伝です。メンターの吉江さんが紹介していたので、読んでみたくなって買いました。

赤塚さんのマンガはよく読みましたが、自伝があることは知りませんでした。赤塚さんのマンガ、特に「天才バカボン」は、非常に示唆に富んだ内容です。子どものころはただ笑うだけでしたが、そこに深い意味があると感じたのは、大人になってからでした。

この自伝のタイトルは、バカボンのパパの名セリフ、「これでいいのだ〜!」から来ています。これは、生き方としてとても重要なことを教えてくれます。ですから、この幸せ実践塾でも、何度も紹介しています。前に書いた記事、「これでいいのだー!」でもこのセリフを紹介しました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

また、かあちゃんやぼくがよくおやじに言われたのは、
「中国人から絶対ものをもらってはいけない!」
 という命令だった。
 当時、日本人の大人も子供も中国人に対して多かれ少なかれ優越感を持ち、こちらが欲しいものは相手の気持と関係なくもらって当然、という風潮があった。他国や他民族を侵略するということは、末端の人間の気持にも無意識にこういう傲(おご)りを持たせるものだと思う。
」(p.16 - 17)

赤塚さんの一家は、満州で暮らしていたのですね。そんな中でお父様は、中国人を下に見ない生き方をされていたようです。


砦には時々、さまざまな物資を積んだトラックが到着した。おやじはその物資をよく村人に分けていた。
「敵も味方も同じ人間じゃないか」
 何か見返りを期待したわけではない、こちらに真心さえあればそれは必ず相手に通じるはずだ−−これがおやじの人間感だった。
」(p.18 - 19)

分け隔てなく憐れみの思いを持つ。そういうお父様の生き方が、その後、家族が無事に帰国できる遠因になった、と赤塚さんは思っておられるようです。


天才バカボンのパパがよく口にする”これでいいのだ”は、ぼくのおやじの生き方と共通するものがある。果たして”これでいいのだ”という人生をおやじは生きたかどうかはわからないが、少なくともそういえるような生き方を目指したことはたしかだと思う。」(p.20)

バカボンのパパの名セリフは、赤塚さんのお父様の生き方であったようです。それと共に、赤塚さん自身の生き方でもあったように思います。


このごろよく思うのだが、最近の身体障害者への社会の対応のしかたには疑問を感じる。彼らだってハンデを背負ってるなら背負ってるなりに、頑張ろうという気持を持っているはずだ。なにかっていうとすぐに施設へ入れたり隔離したりするのは問題だと思う。」(p.89)

赤塚さんは、ご自身の子どものころの体験から、こういうことを言われています。私も同感です。隔離して見えないようにするのではなく、一緒に暮らすことが大事だと思うからです。

私たちは健常者だけの存在ではなく、いろいろな人がいて「ひとつの社会」だからです。障害者はいない方がいい(暮らしやすい)という価値観の社会では、本当の意味では健全になれないと思うのです。


赤塚ギャグは、人生の教科書だ。馬鹿が馬鹿と戦う漫画だ。馬鹿くらべ。本当に面白くて、タメになる漫画だ。
 それは、赤塚不二夫が筋金入りの馬鹿だったから描けた作品だと思う。
 くだらない漫画をひたすら描き続ける情熱、これは馬鹿にしかできないこと。赤塚だからできたこと。
」(p.220)

この自伝に寄せた武居俊樹さんの言葉です。赤塚さんの作品を絶賛する声は、井上ひさしさん、三島由紀夫さん、大江健三郎さんなど、多くのモノを書く方々から上がっているそうです。

テレビで大活躍しているタモリさんを見出し、育てたのも赤塚さんでした。多くの人が赤塚さんと出会い、才能を開花させたようです。そういう人間的な魅力が、赤塚さんにはあったのだと思います。


これでいいのだ
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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