宿泊したのは、ウブド地区にあるラバック・リバー・ホテル(LABAK RIVER HOTEL)です。
いつもの習慣で、タイ時刻の5時直前、こちらの6時前に自然と目覚めました。
ちょっと早すぎたので、そのままベッドでうとうとしていると、夜が明けました。

8時に朝食の予定でしたから、シャワーを浴びたり、メールをチェックしたりと、余裕で過ごしました。
朝食の後、9時集合で「マルガ英雄墓地」へ向かいました。
ここには、インドネシア独立戦争を戦った兵士たちが祀られています。
その中には、わかっているだけで12名の日本人が葬られているのです。
ホテルから1時間くらいで到着しました。
そこは、巨木のある公園墓地でした。


まずは、その記念碑のあるエリアに入ります。
後から気づいたのですが、この施設は五角形で造られています。
どういう意味かはわかりませんが、あらゆるところに五角形が使われていました。

入ってすぐのところに、独立を勝ち取ったことを誇らしげに宣言しているような像がありました。
実際は、戦闘では負けていたようですが、4年数ヶ月も粘っている間に、国際世論の変化などもあり、オランダが手を引くことになったようです。
敷地内にも、縦横それぞれ20m以上はあろうかという巨木がありました。


そして、独立戦争の英雄、グスティン・ングラライ将軍が寝たというベッドが展示されていました。
この将軍の名前が、デンパサールの空港名になっていますし、50,000IDR(インドネシア・ルピア)札の肖像として使われています。


その後ろには、慰霊塔が立っているエリアがあります。


インドネシアが独立宣言をしたのは、「17/8/05」となっています。
8月17日はわかるのですが、05年というのは、何とも不思議です。
実はこれ、皇紀2605年(1945年)を意味しているのです。
日本人からの影響がない状況で、インドネシアの人たちがあえて皇紀を使ったということが、先の大戦の意味を示しているように思います。
そしてこの慰霊碑ですが、土台が5段、屋根が8重、高さが17mになっていて、まさに独立宣言の日を表しているのです。
慰霊塔の塀には、いろいろな彫り物があって、いかにもインドネシアというか、バリ島らしい感じです。

そして、その奥にある英霊墓地に向かいました。

インドネシア独立のために戦って亡くなられた方々の墓地です。
その中に、わかっているだけで11基12人の日本人のお墓があります。
日本人兵士の墓があるのは、少なくとも1,000名以上の日本兵が、インドネシアの独立戦争に協力したからです。
敗戦後も、大東亜共栄圏の思想にしたがい、欧米の支配からアジアを独立させることに命を捧げたのです。
こういう歴史は、インドネシアだけでなく、ビルマやベトナムにあるようです。
インドも、あの悪名高いインパール作戦を独立戦争の一部としているように、日本の協力によって独立を勝ち取りました。
インドネシアで日本人兵だとなぜわからないかと言うと、1つの理由として、彼らがインドネシア人の名前を名乗っていたからだそうです。
それは、何かあった時にインドネシアに迷惑がかからないようにするためだったのだそうです。
また、なぜ墓の数より人の数が多いかと言うと、負傷した仲間を助けようとした時に撃たれて亡くなった2人が、後になって離そうとしても離れなかったのだとか。
それで、一緒に葬られたのだそうです。
私たちは、日本人の英霊のお墓に付けられていた日の丸鉢巻を外し、新たな日の丸鉢巻を結びました。
実はこれ、元々はアニキが始められたのだそうです。
最初にアニキが結ばれた紐が、今も残されています。
その上に、私たちの日の丸鉢巻を結び直し、線香を手向けて感謝の気持ちを捧げました。
そして最後は、みんなで君が代を斉唱しました。
この英霊たちの思いを、これからも引き継いで行きたいという思いです。
そして、その近くにある資料館へも行きました。

そこには、この英霊墓地のミニチュア模型もありました。
また、英雄たちの像や写真が飾られていました。

また、実に粗末な服装や装備で、独立戦争に臨んだことを示す人形も展示されていました。

英雄墓地を出た後、ホテルに戻る途中で昼食をとりました。
そこの入口は、どう見てもレストランとは思えないものでした。

2Fは外国人専用で、1Fが地元の人向けと分けているのではと感じました。
私たちは、2Fで涼しい自然の風を感じながら、おいしい食事をしました。


私が選んだのは、チキンのサティです。サティと言うのは、マレー語で串焼きを表すのだそうですね。(友人談)
タイ語でも、ムーサテと呼ばれるカレー風味で甘い味付けの豚肉の串焼きがあります。
他の人は、カレーとか、何かよくわからない(笑)料理をたのんでいました。


まあでも、いずれも美味しかったようです。
私も、ビールを大瓶で2本いただき、それだけでも充分に満足です。
移動中に、街の様子を動画に撮りました。
移動中に、白駒さんの講演もありました。
こうして、午後にホテルに戻ってきました。
そして、夜20時の食事まで、部屋でまったりと過ごしました。
夕暮れ時、窓から外を見ると、コウモリがたくさん飛んでいました。
だんだんと、日が暮れていきます。
夕食は20時からで、ホテルのレストランでいただきました。
このホテルができて以来、ここで働いているという日本人シェフのお任せコースで、とっても美味しい料理をいただきました。
料理の全部は写真に撮らなかったのですが、このデザートを見るだけでも、どれだけのコースだったかがわかるかと思います。

22時過ぎまで話し込んで、お開きとなりました。
明日は朝10時から、アニキが暮らすネガラに向けて出発します。
そうそう、昨日、白駒さんからいただいた中津のお土産がありました。

粟おこしのようなお菓子で、とても美味しかったです。
今日は、ビールもたっぷり飲んで、食事もおやつもたっぷり食べて、もう思い残すことがありません。