2018年03月14日

食べない生き方



森美智代(もり・みちよ)さんの本を読みました。森さんの本は、以前に「「食べること、やめました」」を紹介しています。また、翌日の記事「病気が教えてくれること」でも、森さんの本の内容を引用して紹介しています。

森さんは、若くして難病にかかり、数年のうちに死ぬことになるという運命を、甲田療法によってひっくり返された方です。その中で、断食、少食、生菜食という食事療法を、自分に合った形で進めるうちに、今のように1日に青汁1杯だけ(50Kcal)という食事になりました。それをもう20年も健康で続けておられるのですから、現代科学では理解できない存在と言えます。

なお、森さんの病気は、脊髄小脳変性症というものでした。そう言えばつい最近、その病気にかかって亡くなられた少女の日記をまとめた本「1リットルの涙」を読みました。何だかつながっているなぁ、という気がしました。

その森さんの新たな本が出るということをFacebookで知って、買うことにしました。読んでみると、甲田療法の詳細も書かれていますが、それ以上に、少食の意義を訴える内容となっています。少食が人類を救うという使命感を持たれていて、それを広げるための本のようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私が、本書を通して、皆さんにお伝えしたいのは、きわめてシンプルで素朴な思いです。
「現在の食生活を見直しましょう」
 このたった一行の短いフレーズには、しかし、深い意味が込められています。なぜなら、「食べ方」は「生き方」をも大きく揺り動かして、その人の生きる価値観を根底から変えてしまうほど、強く影響を及ぼすことだからです。
」(p.6)

食べ方を見直せば生き方が変わる。だから、生き方を変えるために食べ方を見直しましょうという訴えなのです。


例えば一枚の葉っぱを食べたら、それは葉っぱの栄養素をいただくだけでなく、その葉が生き続けるためのいのちを丸ごと受け継ぐ、すなわち、目に見えないエネルギー、「気」そのものをいただくことになる。その葉を煮たり焼いたりするよりも、生のままのほうが、より自然のエネルギーを丸ごと損なうことなくいただくことができる、と考えるのです。」(p.31)

生野菜が体に良いのは、熱によって栄養素が壊れないからというよりも、「いのち」のエネルギーがあるからだと森さんは言います。この後に書かれていますが、生の葉なら、そこから根が出てきて育つ植物もあります。しかし、煮炊きすれば、後は腐れるだけです。その差が、生のエネルギー、つまり「いのち」なのです。


病気を引き起こすもとになった体内環境を一変させるには、食の改善が一番です。
 断食・少食・生菜食をすると、体は浄化モードになり、体中のゴミが一気に出ようと動き始めます。皮膚からも腸からも尿からも、耳、目、鼻、息からも老廃物が噴出します。その最たるものが後で詳しく述べる宿便です。
」(p.36)

断食や少食の目的は、体を浄化モードに変えることにあると森さんは言います。口臭や体臭がきつくなったりしますが、これらは瞑眩(好転)反応なのですね。


甲田療法では、ガンや難病、アレルギーなども、宿便を原因とみるケースが非情に多く、したがって断食や生菜食で宿便を出すことが、病気が治る第一歩だと位置づけています。」(p.88)

森さんは甲田医師から、お腹にガスが溜まっているので、「宿便を排出できれば病気は治る」と診立てられたそうです。そして実際、「すまし汁断食」をした時に宿便が出て、病状が好転したのだとか。


しかし、私もそうだったのですが、「宿便」に対して懐疑的な見方があります。便が腸肌にこびりついて出てこないなんて、そんなことがあるでしょうか? 森さんはこのことについて、不思議なことを言われます。下剤を使って腸壁がつるつるになるまでにして、大腸ファイバースコープで見ても宿便が見られない状態にまでした人のケースです。

ところが、そうした宿便がないと診断された人でも、断食をすると、なかったはずの宿便が出てくることもあるんですね。
 または、一年くらい生食を続けていたら、大量のくさい便が出てきたというようなことも起こります。宿便については、そういうマジックのような、まだまだ解明されていない部分がたくさんあります。
」(p.93)

甲田医師は、「腸の細胞の老廃物が出る」と言われていたそうです。森さんは、「体の中の古い細胞の一部ともいえる老廃物も一緒に排出されているのではないか」と思っているそうです。これについては何とも言えませんが、出てくるのは確かですから、どこからか老廃物が出るのでしょうね。


また、少食にしてカロリー制限をしながら、併せて青汁を飲むことによって、若返り遺伝子である「サーチュイン遺伝子」が活発に働き始めることもわかっています。」(p.116)

飢餓状態で目覚める「サーチュイン遺伝子」は、細胞中のミトコンドリアを活性化させてエネルギー効率を高めるのだそうです。マウスの餌を減らすことで長生きしたという実験は有名です。

ただ、ここでの森さんの説明は、それほど科学的なものではありません。青汁を飲むと「サーチュイン遺伝子」のスイッチがONになるという科学的な実験結果はありませんので。また、「サーチュイン遺伝子」そのものに懐疑的な見方も、科学者の中にはあります。まだ確定したことではないのです。


つまり、普通食の「腹いっぱい群」では体の外に捨てられてしまう尿素を、生菜食群や少食群では再利用して、栄養源として使うことが、この研究データからも裏づけられたのです。」(p.124 - 125)

森さんの体の中では、通常なら捨てられてしまう老廃物の尿素が再利用され、アミノ酸になっているということです。アミノ酸はタンパク質になり、それが筋肉になります。したがって、筋肉を溶かしては再利用し、新たな筋肉を作っていることになります。

しかしそうは言っても、1日に200gほど分解されるという筋肉が、再利用分だけでできるとは思えません。なので、奥田医師も次のように言っています。

森さんがなぜ食べなくても体重が減らず、二〇年も栄養不足にならず、元気で過ごしているのか、現代の栄養学では説明がつかない。」(p.125)

世の中には、まだまだ科学が及ばないことがたくさんあるのです。


この検査では、私を含め生菜食のグループも皆、普通の食事を摂っている人の四倍も、インターフェロンαの血中濃度が高いことが判明。食べないほど免疫力が上がる−−という結果によって、現代の西洋医学や栄養学の常識を大きく覆すことになりました。」(p.132)

少食によって免疫力が上がるということは、昔から言われていることです。昔は免疫力という言葉ではなく、「病気知らず」とか「医者いらず」と言っていますが。免疫学の権威、安保徹医師も、大食いしているとマクロファージが余分な栄養処理に使われて、病原体などの異物処理にまで手が回らなくなると言っているのだそうです。


かつては子どものときに、三九〜四〇度くらいの熱が出る病気を三〜四回することによって、免疫が正常に働くように成長することができました。だから、お医者さんも、喘息やアトピーの子どもに対しても、以前なら小学校に上がる頃には治りますよ、と言ったものです。それが今では少しでも熱が出たら、すぐに注射や薬で熱を下げてしまう。だから、いくつになっても免疫のバランスが調(ととの)わないのです。」(p.144)

これは対症療法の弊害ですね。熱が上がるのは、免疫反応であることがまだ理解されていないのです。最近やっと、解熱剤や下痢止めなどは、あまり飲まない方が良いと言われるようになりましたが。


漢方や鍼、マッサージ、整体など、いろいろな療法がありますが、何でもお任せで治してもらおうという受け身でいるうちは、なかなか治りません。それプラス、自分でも少食や運動療法を実行していくことで、快方に向かっていくのです。」(p.153)

自分の体なのに、医者に治してもらうという姿勢でいることの問題点を、森さんは指摘しています。これは、ある意味で仕方がない部分でもあります。なぜそうするのか、そうしなければならないのか、素人にはわからないのです。それをしつこく尋ねて、医師の機嫌を損ねたくない。そういう弱い立場に患者が置かれたから、「お任せする」という思考習慣が身についたのです。

しかし、それでは本当にはダメなのですね。自分の体の主人は自分です。自分で自分の病気を治すという意思を持って、なぜそうするのかを考え、自分の意思で決定する。病気を治すとは、自分の体の主人の座を取り戻すという意味でもあるのです。


イエス様もお釈迦様も、合う人ごとに、次々と癒すようなことはされませんでした。サイババもむやみに人を癒されなかった。西勝造先生も甲田先生に−−お二人とも目には見えないヒーリング能力をお持ちでしたが、たとえ超能力で診察することができたとしても、その力を使って治療しないようにと、注意されていたとのこと。ヒーラーが、患者さんの宿題をおせっかいして、先走って解いてはいけないのです。病気が治るかどうか、最終的には、その患者さん本人の「治そう」という決意の強さが、非情に大きく作用します。」(p.157)

たしかに、病気は治る時に治ります。そして、病気を治しているのは、その人の自然治癒力です。ですから、その人の「治ろう」とする意思によらずに他人が病気を治してしまうことは、差し出がましいことであり、その人の自由を奪う行為です。ですから、ヒーラーはそういうことをしてはならない、ということが言われます。

しかし、この書き方だと、病気が治らないのは本人が悪いからだ、と本人を責める考え方にとられがちです。実際、最初に紹介した本の少女は、森さんと同じ病気で亡くなりました。他にも大勢の人が、同じ病気で亡くなっています。では、森さんだけが治そうという意志があったから治り、他の人にはその意志がなかったことになるのでしょうか?

これは、非情に微妙な問題だと私は考えます。スピリチュアル的に言えば、本人(魂)が死を選ばない限りは死なないのです。ですから、病気が治らなくて亡くなった人も、その魂はこの世では充分なことをやったと満足し、旅立っているはずです。またレイキでも、寿命以外の病気は治るという言い方をしています。つまりこれは、亡くなったならそれが寿命だと考えることもできるわけです。

言葉で的確に説明することが難しいのですが、治らないのは自分が悪いからだ、と自分を責めることは、意味がないと思います。自己卑下をやめ、罪悪感を捨てて、ただ淡々と病気に向き合う。そして結果は放棄する。それで良いのだと思います。


人生で、何か困ったことが起こったら、それこそがあなたのテーマ。あなたの宿題だと想い定めて、しっかり取り組んでいきましょう。
 私の場合は、難病を生菜食・断食によって克服していく中で、自分を磨いていくチャンスを与えられた、そのように導かれたのだと思っています。
」(p.161)

森さんは、ご自身が難病になったおかげて天職とも言える鍼灸師の仕事に巡り会えたし、周りのすべてのもものに感謝できるようになったと言います。つまり、難病は「敵」ではなく、自分を導いてくれる「天使」だったというわけですね。


お腹がいっぱいでも”別腹”を求めてしまうのは、実はその人の心の中に問題があります。精神的に満たされていない証拠で、いわば愛が足りていない。愛の代償として、手っ取り早く身近にある食べものに手を伸ばしているだけなんですね。」(p.172)

おやつやデザートをやたらと食べる人は、本当にお腹が空いているからではなく、口が欲しがるのです。その意味は、愛情不足だと森さんは言います。愛が足りなくて満たされない精神の思いを、身体で代償しようとしている。

しかし、それでは精神が満たされるのは一時的なもの。いくら食べても食べても満たされない、それこそ餓鬼になってしまうのです。


皆さんの中にも「手当療法」というのをご存知の方もいらっしゃると思います。
 お母さんが、お腹や頭が痛いという子どもの患部に手を当ててあげると、痛みが落ち着くことがあるでしょう。あれです。体のどこか悪いところに手を当てて、気を送ると、何となく気分がよくなったり、症状が和らいだりすることがありますね。
 そうした手当によるヒーリング能力を促す方法として、「四〇分合掌行」というのを、甲田医院の断食合宿では、皆で行うのが慣例になっています。
」(p.211)

レイキも手当て療法の一種ですが、レイキでなくても手から気は出ます。人間の本能であり、自然に備わった能力ですから。それを甲田療法では、「四〇分合掌行」という、肩より肘を高くした状態で40分間合掌をするという修行によって身につけるのだそうです。そういうやり方もあるのでしょうね。


心をこめて丁寧に作ったものには、目に見えないエネルギー、言ってみれば愛のようなものが入っています。その愛の気持ちは食べる人にも伝わって、ただ口に入れるだけではない、自分が愛されている喜びもプラスされます。」(p.243)

食事を作るという行為もそうですが、食べる(いただく)という行為にも、心を込める(愛を込める)ことで、その行為の意味というか質が変わってくるのですね。


「愛と慈悲の少食」とは、どういう意味ですか? とよく訊かれます。
 ここには、二重の意味が込められています。一つには、少食にすればたんに食べ物にする動植物の殺生を少なくすることができる、ということ。そしてもう一つは、少食によって、自分自身の細胞や意識、心というものも、大切にしなければならないという「愛と慈悲」の気持ちが湧いてくる−−そうした意味も含まれているのだと、甲田先生はおっしゃっていました。
」(p.262)

生命全体への責任を果たそうという思いですね。食べる生命を尊重するから、なるべくそれを減らそうとする。また、自分自身の身体を大切にしようとするから、食べるものを減らす。その両方とは、要は、存在する生命を最大限に生かそうという意志だと思います。


このように紹介してきたのですが、これを読んで、甲田療法さえ行えば難病がすべて治ってしまう、と考えるのは早計だと思います。この甲田療法を実践しているばかりか指導していた方が、ガンで亡くなっているという事実もあるからです。岡部明美さんの「約束された道」に書かれていました。

ですから、上記で書いたように、自分のやり方が「悪い」から病気が治らない、と考える必要はないのです。また、自分が「悪い」から病気になったと考える必要もありません。すでに起こったことをあれこれ悔やんでみても、意味がありませんから。結果は結果として受けとめ、今、自分がどうするべきかを考える。そういう前向きな生き方として、この本を役立ててもらえるといいと思います。

私自身、多くの本を読む中で、少食こそが最大のポイントだと感じるようになりました。1日1食にした時期もありましたが、今はそれにこだわらず、なるべく食をコントロールし、お腹と相談しながら食べるようにしています。そうすると、自然と少食になるし、好みはあっても食に執着する気持ちはなくなるように思います。

食べない生き方
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:17 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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