2018年02月21日

みかづき



友だちから紹介されて、内容もよくわからずに買った本です。森絵都(もり・えと)さんの小説になります。帯を見ると、書店員さんが選ぶ「本屋大賞」の第2位や、「王様のブランチ ブックアワード2016」の大賞を受賞した作品のようです。

私は作者の銛さんのことをまったく知らなかったのですが、初めて読ませていただいて、とても面白い小説を書かれるなと思いました。500ページ近い大作ですが、内容に惹かれて3日かからずに読み終えてしました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。その前に小説なので、その概要を説明しますね。

これは、千葉県の片田舎、八千代台から始まった塾とそれに関わる人々が、様々な問題を乗り越えながらも発展し、成長していく物語となっています。塾のことがテーマですが、広く学校教育を含む子どもへの教育にまで話題が及びます。

時代は、私が生れた昭和36年から平成20年代まで。その間の教育に関わる出来事はもちろん、流行っていたもの、その時代の問題、使われていたものなど、実に多くの点でその時代背景にマッチしたものが登場します。私もまさにこの時代を生きてきましたが、その出来事などが実際にいつどろだったのかなど、まったく覚えていません。ですから、よくこれを綿密に調べたものだなぁと感心しました。

そして、その間の教育がどのように変化していったかを、見事なまでにトレースしています。そしてそういう教育界の出来事が、この塾の方針や、その方針をめぐる対立などに、実に上手く反映されているのです。ひょっとしたらこれは森さんの自伝ではないかと思ってしまうほどに。(森さんは昭和43年生れですね。)

主人公は、大島家の人々です。塾を立ち上げることに情熱を燃やす千明。その千明に見初められた用務員の吾郎。千明の母の頼子、千明の連れ子の蕗子(ふきこ)、二人の子どもの蘭、菜々美、蕗子の子の一郎など。この家族が、変遷する教育に関わる価値観に翻弄されつつも、自分の教育観に正直であろうとします。時には挫折し、道を踏み外しながらも、たくましく生きていくのです。


塾教師の役目って、私、その気になればいくらでものびていく子どもたちの火つけ役になることだと思うんです。つまりはマッチですよね。頭こすって、こすって、最後は自分が燃えつきて灰になったとしても、縁あって出会った子たちの中に意義ある炎を残すことができたななら、それはすばらしく価値のある人生じゃないかって。」(p.71 - 72)

吾郎と意気投合し、小さい塾同士の合併相手となった勝見のセリフです。塾教師という仕事に、情熱を持って取り組んでいる勝見は、教育の役目は、子どもの心に火をつけることだと言います。これはまさに、喜多川泰さんの考え方と一緒ですね。喜多川さんは今、そういう思いで塾を経営されながら、子どもたちを啓蒙するような小説を書かれています。


そこに手をのばせば届く高等教育があるのに、求めるなと誰が言えますか。どんだけきれいごとをならべたところで、貧乏暮らしからぬけだすには、まずは勉強するしかないんです。だとしたらせめて、私は彼らに意味のある勉強をさせてやりたい。試験対策をつめこむだけの授業に可能性はありません。火ですよ、火。」(p.73)

同じく勝見のセリフです。昔の日本は、身分制度がありました。ですから競争などありませんでした。しかし、明治に敷かれた学制によって、教育次第で誰でもいい仕事につけるようになった。だから、教育において競争が生じるのは当然だと勝見は言います。

「受験戦争」という言葉が生れたのは、この頃だったでしょうか。それとも、偏差値が導入されたもうちょっと後だったでしょうか。いずれにせよ、私が中学生の頃には偏差値があり、受験戦争とマスコミは呼んでいました。少しでも良い点を取って、少しでも良い高校、良い大学に入り、良い会社に就職する。それが勝ち組の生き方だったのです。


「蕗子は心配いらないわ。あの子は人を許せる子だから、きっと幸せになれるでしょう。菜々美も大丈夫。おおらかというか、鈍感というか、あの子は、もともと人を裁かないから。ただ、蘭がねえ」
「やっぱり?」
「あの子は人を裁いて、そして、許さない。あの子、幸せになれるのかしら。」
」(p.152 - 153)

3人の孫の行末を案じる義母の頼子と吾郎の会話です。ここで思ったのは、「人を許せる」「人を裁かない」という資質が、本人の「幸せ」と直結しているという考え方です。なるほどと思いました。


目的は達せられずとも、蕗子と語らい、孫を抱いた。それだけでも遠路訪ねた甲斐はあった。来た道を戻っていくあいだ、数歩ごとに天を仰いでは、千明は自分に言いきかせた。もうこれ以上を望むまい、と。
 よくも悪くも自分は自分の道を行く。娘は娘の道を。たとえそれが永遠に交差しない運命のもとにあったとしても。
」(p.224)

家を飛び出した蕗子が、以前に塾の教師をしていた上田と結婚し、孫ができていると知った千明は、蕗子を訪ねて秋田まで行きます。その目的は、蕗子をこれから立ち上げようとする私学の教師として迎え入れるためでした。しかし、蕗子はその申し出を断ります。反発して家を飛び出したこともありますが、それ以上に蕗子は、制限のある公教育の中に自分の目指す教育を見つけたいと思ったのです。

母と娘の、教育に対する情熱の対象は違っていました。しかしそれを、千明は受け入れることにしたのです。娘には娘の人生がある。ある意味で、子離れ、親離れができた瞬間と言えるかもしれません。


蕗ねえが言ってた、お兄ちゃんは、挫折を知っている人なんだって。青春時代の一番多感な時期に、大事な何かを賭けて闘って、徹底的に負けている。だから強いし、だから優しいんだって」(p.239)

菜々美が千明に話したセリフです。蕗子の夫の上田は、角棒を持ってデモをやっていたということですから、学生運動に傾倒していたのでしょうね。そのことを言っています。この考え方も面白いなと感じました。多感な時に、大事な何かのために闘い、徹底的に負けることによって、強さと優しさが備わる。そういうことがあるのかもしれませんね。


詰まる処(ところ)、それが役人の本音なのでした。ごく一部のエリートと、その他大勢の庶民。国民を二分し、各々に相応しい教育を施すことで日本の国際競争力を高める。」(p.255)

千明が、文部官僚のA氏と出会った頃の話です。高校進学が5割を超えた頃、文部省はあえて高校新設を急がなかったと言います。それは、エリートだけが高等教育を受ければよいと考えていたからです。庶民は最初から高等教育など目指さず、おとなしく従うことで安定した生活が送れる社会に甘んじると考えたのです。

しかし、その目論見は外れ、エリートの椅子を巡って熾烈な競争が繰り広げられることになりました。たしかに、そんな時代があったのですね。千明は、この教育に関わる意見の不一致もあって、A氏との結婚を諦めたのです。


今は万事小器用な人間がウケる時代かもしれんが、要領のいいタイプというのは、その場その場の小さな成功に満足してしまうきらいもある。時間をかけて大きな仕事を成すのは、要領よりもむしろ粘りに長けたタイプだ」(p.383)

孫の一郎に語る吾郎のセリフです。吾郎は一郎のことを、一度も将来を悲観しなかったと言います。むしろ大きなことを成しとげるのではないかと思っていると。これも面白い考え方ですね。儒教にも、こういう考え方があります。「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」大器は晩成するのです。


ああ、そりゃ楽じゃないさ。うちにかぎらず、少子化と平成不況のダブルパンチで、この業界はのきなみ青色吐息だ。が、それでも、わくわくするもんはしょうがない」(p.399)

一郎から塾の新人研修ノウハウを知りたいと言われた国分寺のセリフです。経営が楽でもないのに、一郎のために一肌脱ごうとしたのです。なぜなら、ワクワクするから。損得ではなく、それが教育に情熱を捧げる自分の生きる道だから。それが自分らしいから。そういう生き方を選ぶのですね。


絶対評価って、早い話が、主観ですよね。入試の選抜資料になる内申点だから、極端な話、担任に嫌われたら高校受験で不利に働く怖さもあるんです。それって、ものすっごいストレスなわけですよ」(p.415)

内申を気にしすぎる子どもたちを見て、一郎が不思議に思っていた時、仲間の阿里が語ったセリフです。数年前から始まった絶対評価は、内申点に対するこういう問題を起こしていました。阿里はそのころ、周りの空気を読まなければというようなプレッシャーを感じるようになったと言います。KYという言葉が流行りましたが、こういうことも一因としてあったのかもしれませんね。


最近の教育はなっていない、これでは子どもがまともに育たないと、誰もが憂い嘆いている。もっと改善が必要だ。改革が必要だと叫んでいる。読んでも読んでも否定的な声しか聞かれないのに最初は辟易したけれど、次第に、それはそれでいいのかもしれないと妻は考えはじめたそうです。常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と」(p.464)

吾郎が妻の千明について回顧する場面のセリフです。教育に欠けているものがあると責める声は、昔からずっと続いていました。どこまで教育に関する本を読んでも、それがなくなることがない。常に「欠けている」と指摘しているのです。そのことに辟易した千明ですが、ある時、それでいいのではと思ったのですね。なぜなら、それはもっと成長できるということだから。不完全であっても完璧なのだという悟りです。


私もかつては、教育の道を目指していました。(詳しくはプロフィールをご覧ください。)その道を断念してからも、何かにつけ教育に関係するようなことをやってきました。そして今も、このように「幸せ実践塾」というものをやっています。つくづく、教育に関わることが好きなんだなと思います。

そんな私ですから、この小説はツボにはまりました。ちょうど私が生きた時代ですし、その間にあった様々な出来事が心に蘇ります。それに、上記でも一部紹介しましたが、面白い考え方がいくつかあります。面白いというのは、「なるほどな」と感じるということです。これは、私自身へのメッセージなのかもしれない。そんなふうに感じたのです。

みかづき
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:31 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ

スポンサーリンク