すでにお知らせしている通りですが、妻の実家へ移住します。妻の実家には、妻の母と弟夫婦、その子どもが暮らしていますが、そこに同居することになります。まあ、言うなればマスオさんですね。しかも無職の。(笑)
他のブログですが、「引っ越しまで1ヶ月を切りました」という記事を書いています。こちらでは、「リストラブログ」と呼ばれて、リストラされてから後のことを語っていますので、よろしければ読んでみてください。
またこちらのブログを主催されている吉江さんも、私の記事をメルマガで紹介してくださいました。その内容は、「これからの時代に支持されるミッション」という記事になっていますので、こちらでご覧ください。
どんな生活が待っているのか、それはまだわかりません。ただ、この田舎暮らしのことを、こちらのブログに載せようと思って、新たなカテゴリー「タイの田舎・イサン地方暮らし」を作りました。今日は、その最初の記事になります。
これまでの経緯などは、先程紹介したリストラブログをご覧くださるか、こちらのカテゴリー「ブログ」に2016年5月22日に載せた「リストラされてわかったこと」以降の記事をご覧くださると、だいたいわかるかと思います。
もし興味がありましたら、左サイドバーにあるメルマガの、「幸せ実践塾通信(SJ通信)」に登録してください。そこに詳しく書いていますので。こちらのまぐまぐ配信になって以降の過去ログは見られますから、そちらもご覧になってください。
さて、それではまず妻の実家があるタイの田舎のことをお話しましょう。
タイには76の県とバンコク都があり、国土面積は日本の約1.4倍もあります。大きく4つの地域に分けられていて、北部、中央部、南部、そして東北部です。その東北部のことをイサン地方と呼びます。それぞれ言語や文化に特徴があります。
私の妻の実家は、イサン地方にあります。日本の東北地方とイメージが重なるのですが、多くの人が首都バンコクなどに出稼ぎへ出ています。バンコクのタクシーの運転手やメイド(メーバーンと言います)のほとんどは、イサン地方出身者です。タイで運転手やメイドという職業は、学歴のない人がやる仕事とされています。奴隷制度の名残でもあるように感じます。
タイの経済は、中央部が最も豊かで、次が南部です。肥沃な土地があることから、2毛作や3毛作が可能だったり、暖かくてゴム園を経営できるなど、土地が豊かだったことが大きい要因のようです。北部は高い山が多いのですが、土地そのものは肥えているようです。
一方、タイで最も人口が多いイサン地方は、赤土の大地で、灌漑が整っておらず、乾季には作物を育てることができません。したがって、米作も年に1度の1毛作です。多くの農家がカオニァオ(もち米)を作っており、主食はカオニァオです。経済的に、タイの中で最も厳しい地域となっています。(だから出稼ぎに出るわけですけどね。)
妻の実家は、そんなイサン地方の中のサコンナコーン県にあります。イサン地方の中では比較的に経済的に豊かなウドンタニー県の東側になります。北はノーンカーイ県、ブンカーン県、西はナコーンパノム県です。この3県はメコン川に接していて、その対岸はラオスとなっています。ラオスは言葉がイサン語と近いものがあり、民族的にも同じと言われています。
妻の実家は、サコンナコーン県の中でも最も北に位置するバーンムアン郡にあります。したがって、ウドンターニー県、ノーンカーイ県、ブンカーン県と県境を接しています。空港はサコンナコーン県の県庁所在地のムアンサコンナコーン郡にもありますが、地理的にはムアンウドンターニー郡の空港の方が近いです。
バンコクからだと、北バスターミナル(モーチット2)から深夜バスも出ていて、約10時間で終点のバーンムアン郡の中心に到着します。飛行機ならドンムアン空港からノックエアかエアーアジアでウドンターニー、またはスワンナプーム空港からタイスマイルでウドンターニーへ行き、そこからロットゥーなどでバーンムアン郡の中心まで来られます。しかし、そこから妻の実家までは、さらに10km以上離れてます。
そんな辺鄙なところへ、今月末には引越します。これまで、もう10回くらいは泊まりに行ったでしょうか。ですので、生活の様子などはよくわかっています。しかし、行く度に思ったのは、「もう二度と来るものか!」ということです。それほど、私にとって快適な場所ではなかったのです。
それでも、そこに移住することに決めました。さて、どうなりますか。そんなことを、このカテゴリに書いて行こうと思いますので、どうぞ応援してくださいね。
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