たしか「みやざき中央新聞」で取り上げていたセーラー服を着た歌人に興味を覚え、本を探してみました。歌集もあったのですが、それよりこちらの方が面白そうに感じたので買った本を読みました。サブタイトルに「拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」とあります。帯には「母の自殺、小学校中退、施設での虐待、ホームレス生活−−」とあります。いったいどれだけの逆境を乗り越えてきたのか、その人生に興味が湧いたのです。
作者は岩岡千景さん。中日新聞(東京新聞)の方のようです。2人の娘さんを持つシングルマザーとのこと。本の中にも書かれていましたが、この主人公の鳥居さんに共感される部分が多々あったのだろうと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「大人になった今でもセーラー服を着ているのは、「小学校や中学校の勉強をやり直す場を確保したい」という気持ちを表現するためです。」(p.17)
義務教育の場合、たとえ学校に通えなくなっても、卒業させられるのだそうです。そして、この件は後で触れますが、一度卒業してしまうと、もう二度と入り直すことができなかった。鳥居さんの場合、自分で新聞を読んで漢字を覚えたりしたものの、英語も算数も習っていないため、いわば知識がチグハグなようです。それを自覚されていて、小学校の勉強からやり直したかったと思われたようです。肩書は一応、高校中退のようですね。
「「虐待」とは通常、保護下にある者に対して行われる暴力や嫌がらせなどの行為を指します。しかし鳥居は、施設で年長の男の子や女の子から受けた暴力やいじめのことも、あえて「虐待」と呼んできました。
保護者である大人たちがそうした状況を、見て見ぬふりをしていたからです。
そして、そうしたひどい状況に置かれた子たちがいることを、「多くの人に知ってほしいし、関心を持ってほしい」と思っています。また、「多くの人に知られることが、状況を変えることにつながる」とも思っています。」(p.82)
たくさんの虐待を受けた鳥居さんですが、施設の先生や子どもたちに対して恨みはないと言っています。そういう人たちには、そういう人たちの理由があり、それぞれに大変な思いをしていたのだろうと思い遣るのです。
私たちが何か声を上げれば、すぐに改善されるわけではありません。また虐待をしていた人を責めたとしても、問題を矮小化してしまうだけだと私は思います。鳥居さんが言われるように、まずは知ること、関心を持って知ろうとすることが重要なのではないかと思います。
「母が他人の痛みを自分のことと感じる人だったように、鳥居も、事件のニュースを見聞きすると、被害者だけでなく被害者を守れなかった家族の思い、事件を起こすまで誰にも鬱屈(うっくつ)した気持ちに気づいてもらえなかった加害者の思いなども痛々しく感じてしまうようです。」(p.86)
サブタイトルからすると、ホームレスをしながら落ちていた新聞を拾って字を覚えたかのように感じられたのですが、そうではなかったようです。施設の中に積まれていた職員が読み終えて捨てるばかりの新聞を読んでいたのです。
テレビで「通り魔殺人」などのニュースを見聞きするのは、耐えられなかったと言います。一方、新聞は冷静に淡々と書かれているので、安心して読めたそうです。鳥居さんの感受性の豊かさ、想像力の深さが感じられます。
「それらの短歌と出会って以来、鳥居にとって、短歌は”目の前の「生きづらい現実」を異なる視点でとらえ直すもの”になりました。
自分を否定しなくて済む「居場所」となったのです。」(p.142)
鳥居さんは、人は誰でも生きていくのに、現実以外の場所が必要なのだと言います。それが映画だったり、ディズニーランドだったりします。鳥居さんにとっては、短歌の世界がそうだったのですね。
「居場所」という言葉は、前に読んだ「だから、居場所が欲しかった。」という本で出会った言葉です。そこにいれば安心していられる。人は、どこかでありのままの自分で安心していられる場所を探しているのだと思います。
「鳥居の先祖は、「八百万の神が集まる場所」とされる出雲の出身です。
また鳥居自身も、伊勢神宮(天照大御神(アマテラスオオミカミ)などを祀(まつ)った日本を代表する神社)がある三重県の空気を吸って育ちました。
また、見えざる世界と現世との「境界に立つということ」に興味があることも、このペンネームをつけた大きな理由だそうです。」(p.163)
鳥居さんのペンネームには、こういう理由があったのですね。それにしても、私の故郷、島根県とも縁があったとは。なんだかそれだけで親しみを感じます。
「それでも、短歌に限らず、芸術がもっと広まったらいいのに、とその時も思ったんです。世界を美しく切り取った芸術に出会えて感動できたら、うつの人も、人生に面白みを感じて生きていけるんじゃないか。生きていると、つらいことばっかりだから……感動がなかったら、とてもやっていけない。そして、つらい思いが勝ったら、死のほうに心の針が振り切れてしまう。だから、人を感動させて、生かす、芸術家には尊敬の念と感謝の気持ちを抱いています。」(p.180)
鳥居さんは、大阪の梅田駅の前で、短歌の魅力を伝えるビラを印刷して配ったこともあるそうです。そういう行動に駆り立てたのは、芸術に感動すれば、誰かの死を止められるかもしれない、という思いだったようです。しかし、そういうビラ配りは、空回りだったようですね。
「慰(なぐさ)めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです
「大学生って、うらやましいな、”星が光っている理由”とか、知らないことを知れるって楽しいな、と思います。大学の先生が、”参考文献はこれこれです”と教えてくれると、良い本にもすぐに巡り会える。これは、すごく幸せだと思います。
でも一方で、中学から不登校だった子で、独学で国立の医学部に入った人を知っていますが、その人は苦労して入った念願のその大学を辞めてしまいました。理由は、”周囲になじめない”でした。この気持ちが、私にはすごくよくわかります。」(p.189 - 190)
勉強をしたい。でも、ストレートに進学している人たちと一緒だと馴染めない。そういう裏腹の思いがあるのですね。
「しかし、形式卒業で中卒の資格を得た人は、夜間中学校に入学できないのです。
形式卒業者でも、学び直したい人がいつでも学べる場所にしたい。それは、学ぶ機会を失った形式卒業者たち、そして夜間中学校の教壇に立つ先生たちの悲願でした。」(p.194)
「そして2015年7月。文部科学省は、形式卒業者も夜間中学校へ入学できるようにするよう、全国の都道府県教育委員会に通知を出しました。
形式卒業者・関係者たちの60年越しの願いが、ついにかなえられたのです。」(p.196)
鳥居さんも関わったこの取り組みが、みごとに花開いたのですね。それにしても、60年間も放置し続けたお役人さんたちって、いったいどういう考え方をしているのでしょうね。
「「私が今まで出会った人の中には、風俗やストリップの世界で働く人もいます。彼女たちは性行為が好きなわけでも、ブランドもののバッグがほしいわけでもない。学歴も、お金も、頼る人もなくて、生きていくための選択肢がほかにないんです。この連作には、女性には収入の少ない仕事が多いこと、貧困の子が学校に行くことの難しさ……いろいろな思いを込めました」
姉さんは煙草(たばこ)を咥(くわ)へ笑ひたくない時だって笑へとふかす」(p.205)
鳥居さんは、自分や自分の母親、DVシェルターで出会った女性たちを重ねて合わせ、「鈴木しづ子さんに捧ぐ」と題した短歌十首を作ったそうです。その1つが上記の歌ですね。
「不登校などを経験してきた参加者たちはみな、「学校に毎日通わなくてはいけない」「先生のいうことを聞かないといけない」といった、今の日本社会で当然とされているルールや価値観を、一度はとらえ直そうとしたことのある人たちでもあります。」(p.216)
鳥居さんは、「生きづら短歌会」(通称づらたん)という生きづらさを抱えた人たちが集まる歌会を開いたそうです。そこには、それぞれの人生の問題と向き合い、より深く人生を見つめ直した人たちがいたのですね。そういう人たちに短歌が役立つかもしれない。そして、そういう人たちと出会う中で、鳥居さん自身も生きる力を得られたのではないかと思います。
短歌を作って、それで生きていけるのか? そんなことが役に立つのか? 面と向かって、そんなことを言われたこともあったと言います。それでも鳥居さんは、自分を救ってくれた短歌こそが、自分が生きる道だと考えておられるようです。
ところどころに散りばめられた鳥居さんの歌は、とても小学校中退という学力レベルで書かれた歌とは思えません。しかし、普通ではない生き方をしてきたからこそ、その歌に力がこもっているように感じます。

【本の紹介の最新記事】