また、ひすいこたろうさんの本を読みました。この本は、企画プロデューサーの石井しおりさんとの共著になります。「常識を疑う」というタイトルの言葉にピンと来て、買った本になります。
サブタイトルは「嵐の時代を生き抜くヒント」です。常識外れの生き方によって、道を切り開いた人の話が読めそうです。帯には、「あなたの常識、押しつけないでよ!」とあります。痛烈な風刺ですね。たしかに、常識を押し付けたがる人が多いですからね。そういう人の言葉に流されず、自分らしく生きるヒントが得られそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。
気づいたら、「それ、ほんと?」と疑ってみましょう。
ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいいんです。」(p.29)
「神との対話」では、感情は魂の声だと言っています。嫌な感情が湧くということは、魂が「これは私じゃない」と言っているのだと思います。ですからその声をしっかり聞いて、不要だと感じたなら、もうそういう考え方(価値観)はしないと決めることです。
「みんなと仲良くしなければいけない」「他人に迷惑をかけてはいけない」「遅刻してはいけない」「失敗するのは恥ずかしいこと」などなど、単なる思い込みの価値観を、どれだけしっかりと握りしめていることか。そうそう、「不倫は良くない」というのもね。「勝手な常識を押しつけないで!」と反発することで、自分らしい生き方ができますね。
「「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」
これはエジソンの言葉だと知られていますが、ロイスは最高の作品を作るのに、ひらめきと努力は10%に過ぎないと断言します。もっとも大切なのは、自分のアイデアを正当化する力だと。」(p.69)
伝説の広告マン、ジョージ・ロイスの話です。アイデア(ひらめき)が優れているかどうかよりも、自分のアイデアに惚れ込む力の方が重要だと考えたのですね。しかも90%がそうですから、どれだけナルシストなんだという気がします。(笑)
しかし、そうやって完全に自己肯定する人は、失敗しても自分を責めません。ですから何度でも挑戦します。だから最後には成功してしまうのでしょう。おそらくエジソンも、「努力」という言葉に悲壮感はなかったと思います。彼は研究を楽しんで、それに没頭していたのですから。自分のアイデアは実現するはずだという信念は、完全な自己肯定感から生まれるのだと思います。
「例えば、ご主人や奥様に不満がある場合。
うちの旦那はこんなとこがダメ、あんなことがダメっていろいろあると思いますが、
「ご主人が隣のおじさんだと考えてみたら」
と正観さんは言います。
隣のおじさんが、毎月給料を届けてくれたら、
それは涙がでるほど有り難いことですよね?(笑)」(p.168 - 169)
小林正観さんの話です。正観さんは、「私は夢も希望もない男です」と言われたそうです。その真意は、夢や希望があるというのは、今は不足があるということであり、現状に不満があることになるからです。その不足、不満の心があれば、どんなに多くのものを手に入れても幸せにはなれないのです。
しかし、そんな不足、不満な現状も、見方を変えれば「感謝」になる。それが上記の話です。たしかに、「私の旦那」と思っているから不満に感じますが、「隣のおじさん」だったらすごいことです。奇跡としか言いようがありませんよね。
「夢や希望が悪いってわけじゃないんです。
恵まれていることに、気づいたうえで、夢があるなら、大いにそこに向かえばいい。不足から出発するか、感謝から出発するか、これでたどり着く先が大きく違います。」(p.170)
たしかに、夢や希望を否定されると、楽しみが消えてしまうように感じて、受け入れづらいかもしれません。しかし、正観さんが言われたのは、今の自分の在り方なのです。「神との対話」でも、「所有」や「行為」が「存在(在り方)」にはつながらないと言います。逆なのです。まず「在り方」を決め、そういう自分として考え、行動する時、それが「所有」につながるのだと。
「僕らは普段考え事をするけれど、その考え事をしている自分を外から意識したことがあるだろうか。
例えば、深刻になっているときに、「あ、わたし、いますごく深刻になっていた」
と、深刻な自分にふっと気づく自分です。
「考え事をしている自分」の背後にいる、考え事をしている自分に「気づいている自分」こそ、人生を自由に選択できるあなたなんです。」(p.186)
これは驚きました。スピリチュアル系では、こういう話はよく出てきます。「観察者」としての自分です。瞑想も、こういう自分に気づくことが1つの目的でもあります。観察者としての自分は、この肉体を持った自分がどんな窮地に陥っていても、冷静に観察しています。
「「人生RPG」のところで触れた、考え事をしているあなたがゲームのキャラクターで、考え事に気づいている自分があなたというキャラを動かすプレイヤーの方です。」(p.186 - 187)
ゲームを楽しんでいても、ゲームのキャラに自己同一化はしません。たとえキャラがやられて死んでも、どーってことないはずです。「しょうがない、また最初からやるか。」くらいなものでしょう。そのプレイヤーこそが本当の自分であると言います。そうだからこそ、何があろうと人生を楽しめるのです。
あとがきに、石井さんの文が載っています。この本ができる経緯が書かれていました。石井さんが、俳優の浅野忠信さんに人生相談したことが書かれていました。試験前だったので緊張がほぐれる一言を求めたら、「0点でもいいよね」と言われたとか。
「神との対話」でも、私たちには何かをしなければならないとか、何かにならなければならないということはない、と言っています。私たちは、ただ存在するだけでOKなのです。なぜなら、体験することだけが人生の目的だからです。
「生きているだけでOKなんだ!
「じゃあ、何する?」
って。何かしたとしても、成果は0点でもいいんです。」(p.198)
体験すればいいのであれば、成功するとか失敗するとか、行為の結果はどうでもいいことになります。その結果が何であれ、その結果を基にまた考え、行動することになります。それが次の体験です。体験は続くのです。どんな結果であれ、体験が得られます。それを楽しめばいいのですね。
いつものように、サラッと読めてしまうひすいさんの本です。すでに知っている内容も含まれていますが、何度も同じようなことを読み、考えることは、とても重要だと思います。「刷り込み」という言葉がありますが、繰り返すことで習慣化するからです。
ネットを見ていると、自分の価値観こそが絶対的に正しいという信念を持って、他人を批判非難する人が大勢います。そういう人たちは、他人からの評価が得られないと不満に感じるようです。だから執拗に自分の価値観を押し付けてきます。そういうのを見ると、「あぁ、この人たちは苦しんでいるなぁ。」と感じます。「他の価値観があってもいいよね」と思えさえすれば、もっと自由になって楽になるのにと。そのためにも、ぜひこの本を読んでみてくださいね。
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