ひすいこたろうさんの最新刊を読みました。ひすいさんの本は、これまでにもたくさん読んでいて、その紹介記事は著者別一覧にまとめてあります。どうぞ、そちらもご覧になってくださいね。
しかしひすいさんは、そこで紹介した本よりはるかに多くの本を書かれていて、さすがにすべてはカバーできていません。どれもこれも素晴らしい内容なので、この本も期待できます。これまで、「天才コピーライター」と名乗っておられましたが、この本には「幸せの翻訳家」という肩書になっていますね。
この本は、ひすいさんが先生となり、1時限目の理科の授業から、給食を挟んで7時限目の図工の時間まで、授業を続けるという体裁になっています。最後はおわりの会で1日の学校生活が終わります。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「幸」は、両手にはめる刑罰の道具である手枷(てかせ)(手錠)の象形文字だったわけです。
なんで「手錠」が「幸せ」の意味になったのか?
「ふ−−。手錠をはめられなくてマジでよかったね!」
語源的にも、「不幸(雲)がない状態」=「幸せ」というわけです。」(p.9)
「はじまりの会」で、幸せを「晴れ」にたとえて説明します。雲の上はいつも晴れています。ですから幸せは常にそこにあって、ただ雲を取り払えば良いのだと言うのです。「ない」ものを探すのではなく、すでに「ある」ものに気づくだけ。それが雲を取り払うということ。つまり「見える化」すること。この本は、そんな幸せが見えてくる本なのです。
1時限目の理科の授業では、ビーカーに入った水について話をします。実はこれ、小林正観さんの話にも出てくる内容ですけどね。
この水の入ったビーカーを見て、3つの見方があると言います。1つ目は「水が半分しか入っていない」と不平不満を言う見方。2つ目は「水が半分もある」と喜ぶ見方。では3つ目の見方は…。
「B「半分も残してくれていてありがたい」と感謝で受け取る見方。」(p.25)
出来事をポジティブに捉える2つ目の見方でもいいのですが、「当たり前」というものはないという3つ目の見方がより素晴らしいと言います。「当たり前」の反対は「有り難い」ですからね。感謝のあるところには幸せがあるのです。
「ネガティブな感情こそ、傷ついたあなたをゆるし、寄り添い、守ってくれる優しい存在なのです。
ほんとうのポジティブとは、ネガティブさえ抱きしめることです。」(p.54)
ネガティブな感情は良くないとして押さえ込もうとすると、自分が受け入れられていないと感じて苦しくなります。ネガティブな感情は悪いものではありません。感情は感じ切ることが重要なのです。
そのための方法は、感じていることを口にすることです。「怒っているんだね」「寂しかったんだね」というように。このあと、「ふーん」とか「よしよし」というような言葉をつけて、俯瞰して見るのも良いと思います。
「「空腹」が「おいしい」という体験をするための「幸せの前半分」ってことです。
式にするとこう。
[空腹]+[おいしい]=[幸せ]
実は、空腹は幸せの一部だったんです。」(p.179)
「神との対話」でも、否定したい半分がなければ望む半分も存在しないと言っています。下がなければ上もなく、貧乏がなければ金持ちもいないのです。ひすいさんはそれを一歩進めて、その否定したい半分は、「前半分」だと説明します。空腹という体験がなければ美味しいという体験もなく、つまり幸せにはなれないのだと。
「以下は、あなたの自我(表面意識)は納得しないでしょうが、ストレートに真実を言います。
僕らの命は、全部を体験したいんです。
良いも悪いも。不幸も幸福も。
すべての体験を味わいたいんです。」(p.189)
まるで「神との対話」みたいな話になってきましたね。(笑) しかし、すべてはこういうことになるのではないかと思います。この世は、あえて苦難を創り出し、難しい条件を課して、達成できたりできなかったり、上手く行ったり行かなかったりという、すべてを体験する場。魂はそれを体験して楽しんでいるのです。
「だから、言わばこの世界は、自作自演の紙(神)芝居。」(p.192)
ですから、何も心配することはいらないのです。体験が目的ですから、難しくて達成できないなんてことはありません。怖れずに体験してやろうと考え、ネガティブな感情もすべて感じ尽くせばいいだけです。そしてあの世へ行けば、「あー楽しかった。次はどんな体験をしようかな。」とワクワクして、次の生を待つのです。
「幸せとは?
不幸がなくなることだけじゃないんです!
幸せとは、この涙の先に笑顔の自分がいるって信じられることを言うんです。」(p.254)
不幸がないのが幸せだと考えると、不幸を味わっている時は幸せになれません。その不幸な状態を何とかしなければと考え、もがき苦しむことになるでしょう。
しかし、本当の幸せは、この不幸な状態も含めて幸せだと知っていることです。この不幸な状態の先に、それすら感謝の気持ちで受け入れる自分がいると知っていることです。そうなれば、もう何も恐れるものはありません。それが最強の幸せです。
「答えはいつも愛なんです。
お母さんが勉強をしない子どもにイライラするのは、子どもに幸せになってほしいからです。
だから、隣の家の子がどんなに勉強しなくてもイライラしない(笑)。」(p.284)
私たちは、常に愛を求めているんですね。愛であろうとしているのです。どんな行為の動機にも、必ず愛があります。このことからも、私たちは愛そのものだとわかります。
ですから逆に言えば、すべての中に愛を見つけることができます。その愛を発見した時、愛に気づいた時、感謝の思いが込み上げてきます。感動の波が押し寄せてきます。それは、「ここに本当の自分がいた!」という魂の歓喜の叫びです。
ひすいさんの本に慣れたせいか、今回の本は今まで以上にスラスラと読めました。「ふんふん、なるほどね」くらいの軽い気持ちで。しかし、こうやってブログにまとめようとしてみると、その言葉の背後にある深い思いに触れて、しばしば筆が止まります。「あー、いいこと言ってるなぁ!」そんな気持ちに浸りたくなるのです。
ひすいさんの本はどれもお勧めですが、この本は「幸せ」というテーマに絞って書かれています。ひすいさんの「幸せ」観の集大成。そんな気がしました。
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