これは随分前に、何かで親鸞聖人の話があったので、関連本を読みたいと思って買った本です。これまたずっと積読(つんどく)状態だったのですが、やっと読む順番が回ってきました。(笑)
著者は、哲学者の伊藤健太郎氏と真宗史学研究所研究員の仙波芳一氏。けっこう分厚くてしっかりした本ですが、値段はそれほど高くありません。読み始めてみてわかったのですが、とても読みやすく、かつわかりやすく書かれています。しかも、その内容はかなり深いものがあります。これなら、親鸞聖人のことを知るのに、入門書としては最適ではないかと思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「人は死ねばどうなるのか。この世が終わったら、どこへ旅立つのか。後生(ごしょう)(来世)は有るのか、無いのか、どうなっているのやら、さっぱり分からない。未来は真っ暗がりだった。この「死んだらどうなるか分からない心」を、「後生暗い心」という。
この「後生暗い心」を解決し、この世から永遠の幸福になることこそ、仏教の目的なのである。」(p.30 - 31)
親鸞聖人は、比較的に豊かな家に生まれ、両親の愛情を受けて育ったようです。しかし4歳で父と死別し、8歳で母とも死別します。次は自分の番だと思った時、死んだらどうなるのかという不安に襲われ、9歳で仏門に入ったのです。
出家がやっと認められましたが、得度の式が翌日になると聞いた親鸞聖人は、次の歌を詠んで、すぐにも得度したいと訴えました。
「明日(あす)ありと 思う心の あだ桜(ざくら) 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかは」(p.32)
これが9歳で詠んだ歌ですからね。元々の教養の高さと、道を求める強い気持ちを持っていたのです。
比叡山にこもって修行していた親鸞聖人が26歳の時、妙齢の女性との出会いがあったそうです。そのころ比叡山は女人禁制の山でした。しかしその女性は、自分には深い悩みがあってそれを何とかしたいので、山に連れて行ってくれと言うのです。断る親鸞聖人に対し、その女性はこう言ったそうです。
「伝教大師ほどの方が、「涅槃経(ねはんきょう)」を読まれたことがなかったのでしょうか。「涅槃経」には「山川草木(やまかわそうもく) 悉有仏性(しつうぶっしょう)」と、説かれていると聞いております。全ての者に仏になれる可能性があると、お釈迦さまはおっしゃっているではありませんか。」(p.41)
「親鸞さま。女が汚れているから、といわれるのなら、汚れている、罪の重いものほど余計、哀れみたもうのが、仏さまの慈悲と聞いております。」(p.42)
こう理詰めで迫られては、親鸞聖人もたじたじだったのではないでしょうか。しかし、この女性の言うことは道理に合っています。人間ですらできの悪い子ほどかわいいと言うのに、仏ができの悪い人間をかわいがらないはずがない。この女性とのやり取りは、後の浄土真宗の考え方につながって行きます。
女性はまたさらに、こう言います。
「親鸞さま。このお山には、鳥や獣のメスはいないのでしょうか。汚れたメスが入ると、山が汚れるといわれるならば、すでに鳥や獣のメスで、この山は汚れています。」(p.42)
これにはぐうの音も出ませんね。動物のメスが入っている山に、どうして人間のメスだけ入れないのか? 比叡山は、仏法の精神に反しているとしか言えません。女性は親鸞聖人に、いつか真の仏法を開いてくれとお願いして、その場を立ち去ったそうです。
この話は親鸞聖人が、これまでの仏教がいかに間違ったものであるかを端的に示すために作った、作り話かもしれません。いずれにせよ、この女性の指摘は考えさせられるものです。
「だから仏教では、「殺るよりも 劣らぬものは 思う罪」といわれて、実際に体で殺すより、「あいつ死んでくれたら」と心で殺す罪のほうが、もっと重いと教えられる。」(p.46)
仏教では、口(言葉)、体(行為)、心(思い)の3つで人間を評価するそうです。しかし、口や体は心の命令なしには動かないので、心を最重視するのだと。たとえば、判断力のない少年がそそのかされて誰かを殺したら、実際に殺した少年よりもそそのかした人の方が罪が重い。そういうふうに考えるそうです。
「神との対話」では、人は思考、言葉、行為の3つで創造すると言っています。創造の大本は思考なのです。またキリスト教でもイエスが、情欲の思いで女を見たものは姦淫をしたのと同じだと言っています。心が大本だという仏教の考え方は、それらと同じようなことだと思います。
「阿弥陀仏は、僧侶も在家(ざいけ)の人も、男も女も、老いも若きも、一切の差別なく救うと誓われている。全ての人が、ありのままの姿で救われる「弥陀の本願」こそ、真実の仏法であることを明らかにするために、親鸞聖人は肉食妻帯(にくじきさいたい)をあえて決行されたのである。」(p.60 - 61)
これまでの仏教では、僧侶は女性に触れてはならないとされていました。ましてや結婚などあり得ません。そういった戒めを親鸞聖人は堂々と破り、自力ではなく他力(阿弥陀仏の力)でしか救われないという仏法を示したのです。
「親鸞聖人が主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に、「それ真実の教を顕(あらわ)さば、すなわち『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』これなり」と道破された根拠は幾つもあるが、まず釈迦が自ら『大無量寿経』を説く時に、
「私がこの世に生まれ出た目的は、一切の人々を絶対の幸福に導く、この経を説くためであったのだ」
と明言しているからである。
そして最後に釈迦は、
「この教は、一切の経典が滅する時が来ても残り、全ての人が真実の幸福に救済されるであろう」
と予言されている。」(p.70)
これは本当でしょうか? 私は確認していないので何とも言えないのですが、これが本当なら、もはや何も迷うことがありません。しかし、それならばなぜ、法華経が最高だという考え方が広まっていたのでしょう? その疑問に、この本は答えていません。
※「大無量寿経」の現代語訳は、こちらにあります。「現代語 無量寿経 (巻上)」「現代語 無量寿経 (巻下)」
「上」にある「法蔵菩薩の48とおりの願い」の中の第18が、いわゆる「弥陀の本願」と呼ばれるものです。
これを読むと、「五逆」の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)る者は除かれるとありますね。このことからすると、「すべての人を救う」というのは間違った解釈のように思います。
「下」に、その「五逆」とされる罪が書かれています。また、念仏による往生もありました。
解釈するのは難解で、他にも様々な解釈が可能かもしれません。
「今、溺れて苦しんでいる人に、溺死したら助けるという者はない。今、腹痛で苦しんでいる人に、死んだら治すという医者もいないだろう。ましていわんや大慈悲心の阿弥陀仏が、「この世の苦悩はどうにもできぬ、苦しくても我慢しなさい。死んだら助けよう」と誓われる道理がないのだ。」(p.75)
親鸞聖人は34歳の時、法然門下の法友と大論争を3度やっているそうです。これを「三大じょう論」(※「じょう」は淨のサンズイがゴンベンの漢字)と呼ぶのだとか。その1つ目で、救われるのは生きている時か、それとも死後かという論争がありました。親鸞聖人は生きている時と主張し、師の法然もそれを支持したのです。
「三大じょう論」の2つ目は、信心は人によって同じか、違うかという論争です。これも同じと主張する親鸞聖人が勝ちました。信心は自力で得るものではなく、他力で与えられるものだからです。
3つ目は、念仏で救われるのか、それとも信心一つで救われるのか、という論争でした。これも信心一つで救われるとした親鸞聖人が、師の法然から支持されました。念仏で救われるという考え方は、自力になってしまうのですね。他力で与えられるのが信心なら、それだけで救われるのです。
このように親鸞聖人は、ことごとく論争に勝ったことで、法友たちからは妬まれ、恨みを買ったようです。後に法然の後を引き継いだ弟子は、親鸞を浄土宗の仲間と認めずに妨害を続けました。なので、親鸞一門が浄土真宗と名乗ることができたのは、明治になってからのことだそうです。
「釈迦が仏教を説かれた目的は、弥陀の本願一つを教えるためであったが、その真意が分からず、『大無量寿経』以外の経典に基づいて立てられたのが、聖道仏教(しょうどうぶっきょう)の各宗派である。
例えば天台宗は『法華経』を、真言宗は『大日経』や『金剛頂経(こんごうちょうきょう)』、法相宗(ほっそうしゅう)は『解深密経(げじんみっきょう)』、華厳宗は『華厳経』を最高の経典としている。」(p.95)
法然上人は、聖道諸宗の学者といずれが優れた経典かという論争をして、論破したことがあったそうです。ただしその説を押しつけるようなことはせず、自分は優れていないから自力で悟ることができず、他力にすがる他ないのだと述べたとか。
「これは一切の諸仏は、最後は、阿弥陀仏のお力によって仏になったということである。諸仏でさえそうなのだから、全ての人は、阿弥陀仏によらねば絶対、救われない。だから釈迦は『大無量寿経』の結論として、
「無量寿仏(阿弥陀仏)に一向専念(いっこうせんねん)せよ」(阿弥陀仏のみを信じよ)と教えられたのである。」(p.102)
これほど明確に釈迦が言ったと経典にあるなら、先ほどと同様に、何の問題も起きないと思うのですけどね。本当に、どうして迷いが生じてしまったのか、そちらの方が不思議です。
「親鸞聖人の教えの特徴の一つは、祈祷の仏教を、無祈祷の仏教にしたことである。」(p.163)
空海の真言宗はもちろん、最澄の天台宗でも、やはり加持祈祷によって病気を治すなど、現世利益をもたらすことが普通に行なわれました。これは、時の貴族たちがこぞってそれを求めたからでもありますが。そういったこれまでの仏教を否定し、悟りを求めることこそが仏教の真髄であるとしたのです。
「天台・真言宗などは、「日本の著名な神は、実は仏が神の姿となって現れたものだ」と主張した。経典には、「仏は衆生(しゅじょう)を救うために、一時、いろいろなものに姿を変えて現れる」と説かれており、これを「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という。この本地垂迹を都合よく解釈した、「神社の神も元は仏であり、神も仏も一体だ」という説が、天台・真言によって広められ、社会の常識となったのである。
仏典には、神を拝んではならないと、厳しく教えられている。だが仏教は日本で骨抜きにされて他宗教と化し、僧侶が平気で神を礼拝するようになった。
そこへ法然上人と親鸞聖人が現れ、「一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)」を強調し、阿弥陀仏以外の仏・菩薩・神を捨てよと説かれたのである。」(p.170)
神仏の融合が、天台宗や真言宗から始まったのですね。そして、浄土宗や浄土真宗の教えは、神を拝むなと言うだけでなく、他の仏や菩薩も拝むなと言っています。これはある意味、とても厳しい教えだと思います。
「親鸞聖人は、浄土仏教には「真の浄土仏教」と「仮の浄土仏教」があるから、気をつけなさいよ、と教えられている。証空(しょうくう)のように、”念仏さえ称(とな)えていれば、死んだら極楽へ往(ゆ)ける”と教えるのは「仮の浄土仏教」であり、速やかに捨てなければ助からない。」(p.175 - 176)
親鸞聖人は、まず仏教以外の一切の宗教を捨てること、次に仏教の中でも聖道仏教を捨てて浄土仏教を信じるよう言っています。さらに、浄土仏教の中でも仮の浄土仏教(自力)を捨てよと言うのですね。
「このように親鸞聖人の教えは一切の妥協を排し、徹頭徹尾あらゆる不純物を払いのけ、釈迦の真意を明らかにされる、冷厳無比な廃立(はいりゅう)の教えである。」(p.177)
しかし、私には疑問があります。どうして他力で救われるのに、真の浄土仏教を信じなければならないのでしょう? 阿弥陀仏の本願で無条件に救われるのであれば、そこに条件は不要ではないでしょうか? 仮に他の宗教を信じていても救われる。それが完全な他力だと思います。このことについて、この本には答えがありませんでした。
「この世で弥陀の本願に救い摂られた人は、たとえ、どんな死に様であろうとも、必ず弥陀の浄土に生まれられる。だからこそ、平生、明らかに救い摂られること(信心獲得(しんじんぎゃくとく))こそが、最も大事なのである。
親鸞聖人は常に、「私が死んだら、鴨川へ捨てて、魚に与えよ」と言われ、墓や葬式など、全く問題にされていなかった。それは、焼けば灰になる肉体の後始末より、魂の解決(信心獲得)こそ急がねばならぬという教誡(きょうかい)である。」(p.243 - 244)
大勢に見守られて死ぬとか、死に顔が穏やかだとか、そんなことは関係がないと言われるのですね。それよりも生きているうちに信心を得ることが重要なのだと。
しかし、その信心は阿弥陀仏に与えられるものであり、自力で得るものではないと言っていますよね? では、どうすれば信心が得られるのでしょう? 間接的に読み取れるのは、法話を聞くことだったり、念仏を唱えることだったりするようですが、でも、それによって信心が得られるのではおかしくなります。それらは自力ですから。このあたりも、この本には答えがありません。
また、他の本で、浄土真宗など新興宗教が広まったのは、葬式を行うようになったからだとありました。親鸞聖人がこういう考え方なのに、葬式を行ったのでしょうか? それとも、それは後の時代からでしょうか? もしそうだとすると、親鸞聖人の考え方から外れているようにも思います。
「仏教では特に、私たちが最も知りたい、幸福の原因と結果の関係が詳しく説かれている。それを釈迦は、「善因善果、悪因悪果、自因自果」と教えている。」(p.259)
良いも悪いも、すべて自分が作ったもの。これは「神との対話」などでも言われている通りです。しかし、この本ではあまり詳しく書かれていないので、これだけだと疑問が生じます。様々な妨害を受け、流罪にまでなったのは、親鸞聖人の悪因悪果でしょうか? 息子に裏切られて勘当までするハメになったのも、自業自得でしょうか? この答えとも思える部分は、他に書かれています。
「死は一〇〇パーセント確実な未来である。一〇〇パーセント墜落する飛行機に乗る者はいないが、全ての人間は、生まれた時に、そんな飛行機に乗り込むのである。
自分の乗っている飛行機が墜落すると分かったら、どうなるか。食事も喉を通らないし、映画どころではない。恐怖のあまり泣き叫ぶだろう。」(p.274)
これは面白いたとえですね。それに的を射ています。最初にあった「後生暗い心」というのは、まさにこういうことなのでしょう。
「仏法では幸福を「相対の幸福」と「絶対の幸福」の二つに分ける。相対の幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、やがては必ず壊れたり、悲しみや苦しみに変わったりする幸福をいう。」(p.281)
好きな人と結婚できたなどというのは、「相対の幸福」なのです。それで幸せになれたように見えても、次の瞬間にはその幸せは消えます。これは、幸せに条件があるという考え方ですね。何かを手に入れたり、何かを成し遂げることによる幸せ。そういう幸せを追い求めると、翻弄されてしまうのです。
では、「絶対の幸福」とは何か? ここに先ほどの答えと思えることが書かれていました。越後流刑になった親鸞聖人は、そのことに対して激怒されたそうです。しかし後になって、次のように思われたとか。
「同時に親鸞聖人は、「法然上人が流刑に遭われなかったら、親鸞も流罪にならなかった。もし私が流刑に遭わなければ、越後の人々に弥陀の本願を伝えられなかったに違いない。全ては法然上人のおかげである」と感謝されている。
このように、苦悩がそのまま喜びと転じ変わる世界が、本願の不思議に救い摂られた世界なのである。」(p.285)
これは「神との対話」で言っているように、出来事そのものに「良い」「悪い」はないということです。その出来事を「悪い」と考えていれば、怒りや恨みが生じます。でも、見方を変えることで「良い」と考えれば、感謝の思いが出てくるのです。
このように、出来事に翻弄されないことが「絶対の幸福」だと思います。そして、その境地に至れば、すべては自分のために起こっており、そこに仏の慈悲を感じるのではないでしょうか? そうなれば、「善因善果」となり、「自因自果」を受け入れられるのです。
「阿弥陀仏の本願は、生きている時は絶対の幸福に救い摂り(不体失往生(ふたいしつおうじょう))、死んだ後は極楽へ生まれさせて、未来永遠の幸福に生かし切る(体失往生)という誓願である。」(p.288)
「往生には、現在の往生と、死んでからの往生と二つあるが、現在ただ今、往生できている人だけが、死んで往生できるので、親鸞聖人は「生きている時の往生を急げ」と叫び続けられたのである。」(p.288)
これは法友と論争した時の話ですね。生きている時に往生(絶対の幸福を得る)していなければ、死んでから阿弥陀仏の浄土へ行く(往生する)こともできないと言います。そうなると、先ほども書いた疑問ですが、どうやったら生きている時に往生できるのか? ということになります。いくら急げと言われても、他力によるのであれば、どうしようもないように思います。
「なお、ここまで「無明の闇(むみょうのやみ)」を「後生暗い心」と説明してきたが、これは言い換えれば「自力」であり、「弥陀の本願を疑っている心」にほかならない。この自力の心こそが、過去幾億兆年より我々を苦しめている元凶だから、親鸞聖人の教えは「自力を捨てよ」で一貫されているのである。」(p.295)
あまり詳しく解説されていないのですが、ここに先ほどの疑問のヒントがあります。つまり、自力とは、自分で何とかしなければという焦りであり、不安からくるものです。そしてその不安があるのは、他力を疑っているからですね。阿弥陀仏の本願により救われると信じていれば、不安は消えるはずです。
その信心さえ、他力で与えられるものというのは、完全に自力を捨て去らなければ得られないからでしょう。つまり、こうすれば信心が得られると考えている間は、何か条件をつけて成し遂げようとしているのですから、成し遂げられない可能性が残るのです。
こういうことは、「神との対話」などを読んでいるから理解できることです。この本には、そこまで詳しいことは書かれていません。まあ入門書ですからね。
「親鸞聖人は念仏を、称える心の違いによって、三とおりに分けられた。「万行随一(まんぎょうずいいち)の念仏」「万行超過(まんぎょうちょうか)の念仏」「自然法爾(じねんほうに)の念仏」の三つである。」(p.296)
「万行随一の念仏」とは、念仏は尊いものだから、唱えていれば悪いことが起こらないという考えで行う念仏です。「万行超過の念仏」とは、念仏には素晴らしい功徳があるから、念仏さえ唱えていれば救われると考えて行う念仏です。この2つは、自力の念仏だと言います。
最後の「自然法爾の念仏」は、阿弥陀仏を信じることで絶対の幸福に救われた人が、そのご恩にどうやって報いようかと吹き上がる喜びから唱える念仏、つまり感謝の念仏です。これが他力の念仏で、これこそが真の念仏だと言います。
つまり、念仏を唱えるから救われるのではないのです。他力で救われると信じることで、自然と念仏を唱えたくなる。そういうものなのですね。
これは「神との対話」で、先に在り方を決めるという話と似ています。先に幸せであれば、あらゆることに感謝の気持ちが湧いてきます。自分が決めた在り方から思考が沸き起こり、言葉となり、行為となって、現実が創造されるのです。
これまで、多少は知っていたつもりの浄土真宗の思想でしたが、この本を読むことで、もっと深いものがあったのだとわかりました。なんだか親鸞聖人のこと、法然上人のことに、とても興味が湧いてきました。
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