野口嘉則さんのオンライン講座の課題図書を読みました。サブタイトルに「思いこみで判断しないための考え方」とあるように、常識を疑うということがテーマです。著者は科学作家の竹内薫(たけうち・かおる)さんです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「科学は絶対的なものごとの基準ではありません。あくまでも、ひとつの見方にすぎないのです。
よく「科学的根拠」がないものは無視されたりしますが、それはまったくナンセンスです。
なぜなら、科学はぜんぶ「仮説にすぎない」からです。」(p.32 - 33)
ここまでに、飛行機が飛ぶ原理が解明されてないことなど、いくつかの驚くべき事実が書かれています。その上で、科学はすべて仮説だと言うのです。にわかには信じられなかったのですが、この本を読み終えた時には、その通りだと思えるようになりました。
「つまり、常識というやつは意外にもろいのです。常識はくつがえるものなのです。
ですから、この本では、そういった常識のことも「仮説」と呼ぶことにしたいと思います。常識は仮説にすぎないのです。」(p.57)
科学だけでなく、常識もまた仮説だと言います。真実ではないということですね。ここの前にガリレオの望遠鏡の話、コペルニクスの地動説の話などがあるのですが、当時の人が常識として信じてきたことが覆されてきた歴史がありました。
「「タブーに挑戦し、あらゆる仮説に触れてみよ」
とにかく、いろいろな仮説にじかに触れてみることが大切だ、というのです。
ガリレオの望遠鏡を否定した教授たちは、自分たちの仮説をおびやかす代替案に耳を傾けることを拒否しました。それは、社会でタブーと呼ばれるものです。
ファイヤアーベントは、あえてタブーに挑戦し、あらゆる仮説に触れることにより、知的な「免疫力」をつけろ、というのです。」(p.95 - 96)
自分の中にこびりついている仮説に気づき、本当はそうではないかもしれないと思えるようになるために、このようにアドバイスをしています。頭から否定するのではなく、タブーと思われていることこそ、それもあるかもと思って触れてみることが重要なのです。
「結果的には、ロボトミー手術というのは、とりかえしのつかない治療法だったということになります。世論が一八〇度変わってしまったわけです。
そして、一九七〇年代以降、この手術はもうほとんどおこなわれなくなりました。
この世には「正しいこと」などなにもない。
世界一権威のあるノーベル賞といえども、まちがえることはあります。」(p.108 - 109)
これはまったく知らなかったのですが、精神疾患の治療法として、脳の一部を切除するロボトミー手術というものがあり、それを人体に適用して広めたモニスという医師は、ノーベル賞を受賞しているのです。しかし後に、それがとんでもないひどい手術だったとわかったのですね。
このように、どんな権威が認めたことでも、それが間違っているということはあり得ると竹内さんは言います。ただ、今の常識を当てはめてモニス医師が悪いと断罪する必要はありません。当時はそれが正しかった。けれども今は正しくない。それだけのことなのです。
「人間が作りだす世界は言語がもとになっています。そういう意味では、文化のすべてが仮説だといっても過言ではありません。
でも、その仮説には、白から黒までの幅広いグラデーションがあり、また、専門家と素人で、その濃淡の感じ方も大きく変わることがあるのです。」(p.126)
その時代の大部分の専門家が正しいと認める仮説を白い仮説、大部分が認めない仮説を黒い仮説と呼ぶそうです。しかし仮説には、白と黒だけがあるのではなく、その中間のグレーもあり、グレーの濃淡も様々なのですね。
「ようするに、歴史も文化である以上、「裸の史実」など存在しないのです。
だって、日本史の一級資料であっても、その書き手がホントのホントに事実をそのまま書き写したと検証できますか?
つまり、歴史はあくまでも仮説の集まりであり、真実ではないのです。」(p.156)
指摘されてみればそうですね。今、目の前で見られない以上、確認のしようがありません。再現することもできませんから。そうなると歴史は、伝聞か、伝聞の伝聞か、ということになってしまいます。真実ではなく、仮説だということです。
だからこそ、歴史を疑う姿勢が必要なのですが、多くの人は真実だと錯覚します。そしてプロパガンダに騙され、判断を誤ってしまうのです。そういう意味では、騙されないことも重要ですが、プロパガンダを放っておかないことも大事だと思います。それがいつしか、真実として語られるようになるからです。
「わかっていないことについては、わかっていないとちゃんと教えるべきなんです。その線引きを曖昧にしてはいけません。
なにがわかっていないかということがはっきりすると、たとえば天才がでてきて、それをひっくりかえしたりします。
でも、一〇〇パーセントわかってはいないのに、一〇〇パーセントわかったかのように強制的にみんなに教えてしまうと、だれもが先入観としてもってしまって、疑問に思う人がいなくなってしまいますよね。」(p.175)
教える側としては、まだ検証されていない仮説、定まっていない仮説は、完全にわかっているわけではないことを教える必要があると言います。複数の仮説がある場合は、それをすべて教えるのが良いとも。自分で考えさせるようにするためにも、仮説にすぎないことを教えることは、とても効果的だと思います。
「そうすると、世間でいう「正しいこと」には絶対的な根拠がひとつもないことがわかってきます。
誤解を恐れずにいうと、人殺しですらある意味では悪じゃない可能性がある。
戦争でも、戦勝国の英雄は人殺しですが悪じゃない。でも、敗戦国の英雄は戦争犯罪人として裁かれるでしょう?」(p.199 - 200)
こういう極論は大好きです。(笑) なぜなら、真実がはっきりしますから。たしかに、人殺しさえ悪ではない現実があります。価値観次第では正義となり、殺せば殺すほど英雄になるのですから。
「つまり、話が通じないのは、自分の仮説が相手に通じていないということです。また、相手の仮説を自分が理解していないということでもあるのです。」(p.226)
意見が対立し、話が噛み合わない相手というのは、お互いの仮説が違っているからだと言うのですね。たしかに、そもそも前提とする価値観が違っていれば、話は噛み合いません。
竹内さんは、そういう時は相手の仮説(価値観)を理解しようとしてみることを勧めます。それがすぐに理解できないとしても、相手には相手の仮説があるのだと思って考えてみることで、自分のキャパが広がると思います。
新書版で、ちょっと小難しそうな印象を受けましたが、いざ読んでみるとまったく違いました。とても読みやすく、すいすいと一気に読んでしまいました。
常識がいかに常識ではないか。自分がいかに特定の仮説(価値観)を真実だと思い込んで生きているか。そういうことを知るのに、最適な本だと思います。それがわかれば、対人関係でも柔軟になれますし、怒りやイライラからも解放されるでしょう。
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