これも「読書のすすめ」さんで購入したかっこちゃんこと山元加津子さんの本になります。かっこちゃんの視点は、言われてみるとなるほどと思いますが、なかなか気づけないものがあります。それだけ心がピュアなのでしょうね。
この本も、かっこちゃんが多くの子どもたちと出会う中で気づいたことがたくさん書かれています。それぞれが素晴らしい話なので、そのすべてから引用することはできません。一部を紹介しますので、ぜひ読んでみてほしいと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「こんな足、いっそなければいいといつも思っていたけれど、足があったからこそ、おばあちゃんの手がさする場所があったのです。おばあちゃんが、私の足をいとおしく思ってくれたということに、しみじみ気がついて、涙があふれて止まりませんでした。」(p.30)
病気か何かで手足がまったく動かなくなったあきちゃんという女性の話です。動かない足があることが憎らしいと、メールが届いたのが始まりでした。それに対してかっこちゃんは、何も答えられなかったそうです。歩けても歩けなくても、大切なものではないかと思うのに、どう言ってあげれば良いかわからなかったのです。
それで同僚の山田先生に尋ねると、両親の遺伝子で自分の足ができているから大切なのだ、と答えてくれたそうです。かっこちゃんは、自分の身体は両親の身体とよく似ていて好きだとメールを返しました。
それに対して、あきちゃんが送ってきたメールの一部が先ほどの引用です。彼女は、自分のことしか考えていなかったと言います。足があったから、祖母はずっとさすってくれたのです。両親も、何とか歩けるようにならないかと、たくさんの病院や寺社を回ってくれたと。
動かないけど足があったから、家族がそれを通じて愛情を注いでくれたのですね。そのことに気づかせてもらったと、喜びの返信だったのです。人はどのような状況であっても、気づけば自分で変わっていくのですね。
「ゆーちゃんがウンチを壁に塗ったり、髪につけたりする理由は今もわからないままですが、私はそのウンチのことがあって以来、ウンチを塗ることも髪につけることも、ゆーちゃんが生きる上でとても意味のあることなのだと思うようになりました。」(p.42 - 43)
最初はゆーちゃんに、ウンチを壁に塗ったりするのは「ばっちい」からと言って、やめさせようとしていたかっこちゃんです。しかし、ある時、ゆーちゃんのウンチがなかなか出なくなったのです。以前、出にくかった時にお尻が痛くなって、そのトラウマではないかと最初は思ったのだとか。
しかし、それだけではないという気がしたとかっこちゃんは言います。「汚くて臭い」というメッセージを伝えていたので、もしウンチをしたらかっこちゃんが悲しむと思って、無意識に我慢しているのではないかと。
自分でも辛くて、ただゆーちゃんを抱いているしかなかったと言います。そして4日目に、やっとウンチが出たそうです。「まるで爆発のように吹き出すたくさんのウンチをこんなにいとおしくうれしく思ったのは初めてでした。」とかっこちゃんは言います。
こういうところを読むと、かっこちゃんは本当にピュアなんだなぁと思います。どこまで子どもたちを本心から受け入れているか。存在そのものを愛しているという感じが、ひしひしと伝わってくるのです。
「浩介の家、とりこわすことになったんだ。今日、視察があってね、浩介の家を見た偉いさんがさ、『こんな犬小屋に子どもを入れてけしからん。人権無視だ』なんて言うんだ。校長もさ、すぐにどかせって言うしさ。わかっちゃねえよな。」(p.63)
浩介くんは、授業中にじっとしていられない生徒でした。しかし家では、おもちゃのダンボールや家具で空間を作り、そこでじっとしていることが多かったのです。それでかっこちゃんは、教室でも安心していられる場所があれば良いと思い、そのことを担任の先生に伝えたのでした。
担任の先生が手作りのダンボールの家を用意したところ、浩介くんはそこを気に入って、授業中もそこでじっとしていたのです。自分で薄汚れた毛布を持ち込んで。クラスの仲間も「浩介の家」と呼んで、色を塗ったりしたそうです。浩介くんは、クラスの中に留まっていたかったし、クラスの仲間もそんな浩介くんを受け入れていました。
それが、視察の偉いさんと校長の、何も理解しない権力者によって否定されました。どっちが本当に子どものことを考えているのか、どっちがより子どもに寄り添っているのか、それは明らかでしょう。お母さんも教育委員会に訴えたそうですが、養護学校へ行くのがみんなのためだと言われたそうです。
ともかく隔離して、見えなくしてしまえばいい。そういう考え方が行政側にあるように思います。本当は、一緒に過ごすことで互いに理解し合えるようになるのに。まったく残念な話です。
「そして思ったのは、人はよく知らない人のことは怖かったり分けたりしてしまうのじゃないかということでした。でも知り合えれば大丈夫。仲良くなればきっとわかり合えるものなのじゃないかと思ったのです。
国が違っても、それから、たとえば障害を持っていても、いなくても、わかり合えれば大丈夫。もっともっと仲良くなれる・・・・そのためにも、もっともっと子供たちは町へ出たらいいと思ったし、私ももっといろいろな人と出会いたいと思いました。」(p.175)
かっこちゃんはケニアの空港で、黒人が大勢いる中に身を置いて、なぜか「怖い」と感じたのだそうです。それからケニアの青年たちと交流し、マサイダンスを一緒に踊ったりして楽しみ、かっこちゃんはケニアの人たちのことが大好きになったのだとか。その時、最初はどうして「怖い」と感じたのかを考えてみた結果、得られた結論が上記の引用です。
人は、違うことに対して不安を感じてしまうのですね。それが怖いという感情になる。しかし、違うけれども通じ合う部分があると気づいた時、その違いは不安の原因ではなくなるのです。
だからこそ、障害者はもっと街へ出ていくべきだし、他の国の人と触れ合うべき。そうすれば互いに理解し合い、仲良くなることができる。そうかっこちゃんは言うのです。
かっこちゃんは、最初から相手を「受け入れる」と決めているような方です。子どもたちに対して、完全にオープンマインドです。違いの中に、自分の思い込みを見つけては、それを正そうとされています。そんなかっこちゃんの生き方が、よく表れている本だと思います。
かっこちゃんが人気者なのがよくわかります。しょっちゅう乗り換えで間違えてしまうようなおっちょこちょいで、忘れ物をしたりして迷惑をかけてしまうのに、みんながそれをサポートしたがるのです。それは、かっこちゃんをサポートすることが本当に嬉しいからだと思います。
「違い」をそのままに、ありのままの相手を受け入れようとするかっこちゃん。そういう姿勢を見習いたいと思います。
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