これもどなたからか紹介された本です。「海賊とよばれた男」という映画を見て、出光佐三(いでみつ・さぞう)氏のことを知りました。その原作は百田尚樹氏が書かれたもので、その小説の中でこの本が紹介されているのだそうです。
元々は社内の勉強会の記録をまとめたもので、社長室のメンバーの質問に出光氏が答える形になっています。出光氏とマルクスの理想が同じではないかという気付きから、ではマルクスとどう違っているのかという点を掘り下げながら話が進みます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「いまの人はあまりに過去の知識、自分の学んだことにとらわれてしまって、平和に仲良く暮らすという、人間の本質を忘れてしまっている。そこに今日の世界の行き詰まりと混乱の源があるように思うが、どうかね。」(p.6)
移動の時間が短縮された現代では、「昔の武蔵の国一国ぐらいのところに百以上の異民族が雑居している形だ」と出光氏は言います。そんなところで対立闘争していては上手くいくはずがない。仲良く平和に暮らすことを中心に考えなければならないと言うのです。
「言い換えれば、資本主義における資本家の搾取は否定するが、資本主義の能率的ないいところは、採っていく。社会主義・共産主義の働く大衆のためとか、社会全体のためとかいういいところは採って、社会主義・共産主義から出てくる非能率な国営や、人間平等論は採っていない。資本主義と社会主義・共産主義を咀嚼していたということだね。」(p.22 - 23)
それぞれの主義の良いところだけを採る。それが出光氏の考え方だと説明します。
「ぼくは共産主義というものは、それまで研究したことはなかったが、主義を唱える人は真剣に考えて言い出したことだろうから、必ずいいところがあるに違いない、それを採れ。しかし人間中心の国、人間が中心でつくる社会、それが日本の国であるが、この日本の国体を乱すようなものは不倶戴天の仇である。」(p.24)
出光氏は、共産主義(マルキシズム)のことを詳しくは知らなかったようです。ただ、必ず良いところがあるはず、という確信はあったのですね。ただし、中心は日本の国体であり、人間中心の社会であるという信念を持っていたようです。
「人間が平和にしあわせに暮らせるような社会を目指している点では、マルクスも出光も同じだと思うね。しかし福祉・しあわせの内容、その目標に達する手段になると、全然正反対だ。マルクスは人間の福祉の根本を物に置き、目標に達する手段を階級の対立闘争に求めているようだが、ぼくは違う。人間のしあわせは心にあって、それにはお互いに譲ったり助け合ったりして、仲良くするという互譲互助・日本の和の精神がなければならないと思う。」(p.32)
理想においてはマルクスと同じであっても、その手段が物を中心に考えるのか、それとも心を中心にするのかで、大きな違いがあると言います。
「日本民族は両者をはっきりと区別して、お互いに切磋琢磨しながらお互いに繁栄進歩する自由競争は採るが、対立闘争して相手を滅ぼすという考えはない。こういう区別ができるのは、日本民族のみじゃないかと思うがね。」(p.35)
自由競争と闘争とはまったく別のもので、自由競争は相手を潰すものではなく共に切磋琢磨して成長し合うためのものだと出光氏は言います。
「必要に応じて分配するということは、一見、立派に見えて公平かのごとくであるが、実行は不可能だよ。無欲・無私の神仏ならば、必要に応じてということで公平にいくだろうが、私利・私欲の人間には結局、平等に分配する以外になくなって、悪平等になってしまうんだ。」(p.35)
共産主義では「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」ことを理想としています。それが、共産主義革命が起きたあかつきには達成されると主張したのです。しかし出光氏は、人間は神仏のような完璧な存在ではないから、そうはならないと言います。
「その人間の矛盾性、質を無視しているところに、マルクスは、根本的な誤りをおかしているといえるのではないかと思うんだ。人情を無視したものを人間社会にあてはめても、それは合わない。人間は公平に扱われなければならない。」(p.37)
いいことをする人もいれば、悪いことをする人もいる。我欲の強弱も人それぞれだし、能力も人それぞれです。そういう人間を公平に扱うとは、その良し悪し、能力の多寡に応じて扱うということなのです。
「対立の思想と信頼の思想との相違が、われわれ石油業でさえも、そのくらいの影響があるから、この日本人の信頼のあり方を世界に広めることは、世界の平和・福祉に大きな影響があると思う。それが日本人の務めじゃないか、ということをぼくは言っているわけだ。」(p.84)
商売の関係は敵対関係ではなく協力関係だと出光氏は言います。出光の大家族主義、和の経営は、日本人の信頼のあり方をベースにしたもので、それを世界に広めることが日本人の使命だと言うのです。
「そういうふうに、日本人がまず平和と福祉の実態をつくって、その実態をもって、対立闘争で行き詰まっている世界に見せてあげるようにしなければならない。
そうすれば、外国からそれを見て、どうして日本はあのように平和に仲良くいけるのかということで、興味をもって、自ら進んで日本を研究しはじめる。そうしているうちに、日本のあの和の道でなくてはならない、ということを、おのずから悟るようになると思うんだ。」(p.100)
まずは日本の社会が、闘争のない平和で弱者に優しい社会になること。そうすれば、自ずと日本の和の精神が世界に広がると言います。まずは自ら手本を示すこと。それしか他者へ影響を与える方法はないのですね。
「霊魂を否定し肉体とか知識ばかりを主張するようになったところに、今日の世界の行き詰まりがありはしないか。」(p.114)
出光氏は、個人的には霊魂の存在を確信していると言います。したがって、肉体だけと見るのではなく、肉体は人間の一部であり、むしろ霊魂とか心を中心だと考えるべきだと主張します。
「なにもぼくはマルクスのように、労働を搾取した分が利潤だ、などとは考えない。理屈ではそうなるのだろうが、それは「物の国」の考え方だと思うね。」(p.144)
出光氏はこのように、マルクスの搾取論を否定します。しかし、では利潤とは何かについての対論を示してはいません。
「そのときにぼくははじめて、商人とお客さんとは対立するものではない、専門の知識をもって働き、油のほうは私が全責任を引き受けますから、あなた方は本業に全力を注いでくださいという互助の精神を知った。そして、これが商人の使命であり、事業の社会性というものだということがわかったんだよ。
この間のスエズ動乱のときも、出光はけっして価格を上げずに、お客さんに油の供給の不安を感ぜしめなかった。
このように、金儲けに走らずに商人の使命を果たし、それの「報酬」という考えが、日本人の利益の考え方なんだよ。」(p.146)
何かを売るのは、儲けるためではなく相手を助けるため。相手を助けることによって利益が生まれ、それによって自分が助かる。その互譲互助の精神がベースであって、その作用の中でのお礼の気持ち、感謝の気持ちが、報酬(=利益)なのだと説明します。
マルキシズムでは、価値は労働によってしか生まれないと規定します。それなのに、労働をしていない資本家が利益を得るのは、労働者からの搾取だというわけです。この理論の間違いの根源は、「労働しか価値を生まない」という前提にあることは明らかです。
たとえば、マルキシズムでは物を移動させても価値は生じません。労働ではないからです。では、運送屋は価値を生まないのでしょうか? 魚を獲ってくるだけの漁師は価値を産まないのでしょうか?
また、労働が価値を生むと言いますが、不具合のある時計を生産しても価値があるのでしょうか? 素人が描いた絵とプロが描いた絵と同じ価値なのでしょうか? このように、マルキシズムが矛盾のある理論であることは明らかです。
しかし、出光氏は厳密な理論はなしに、自分も資本家の搾取に反対したと言われます。配当が2割以上もあるのは搾取で、1割以下なら搾取でないというような、あいまいな指針を示すだけです。
マルクスは、階級闘争から共産主義革命に至る唯物史観を必然的なものとするために、理論を組み立てています。ですから、資本家は価値を産まないこと、資本家が手にする利益は搾取であると、決めつける必要があったのです。
しかし出光氏は、心の観点から、情け容赦ない収奪を搾取と呼んで非難したのです。相手も同じ人間だという思い。もっと言えば、大きな家族の一員ではないかという思いです。
「そのもとは愛だよ。人類愛。愛ということは、これは簡単に言えば、相手の立場をいつも考えるということ、とくに強い人が弱い人の立場をいつも考えるということだ。相手の立場をいつも考える、ということは互譲互助だ。逆に対立闘争の国では、自分のことを主張する一方なんだ。自由を主張し権利を主張する。」(p.179)
お互いが仲良くすることをまっ先に考える。そういう出光氏の思想の原点は「愛」なのだと言います。
日本は古来より、無防備の皇室を中心に栄えてきた国だと出光氏は言います。武力闘争をして勝ち取ったのではなく、無防備でありながら、国の親として国民のことを祈り続けてこられた皇室。その国体があるからこそ、日本人は相手を思いやって平和に暮らすことを当然のように思っているのだと。
雇った社員は一人も解雇しない。解雇しないから定年もない。それが出光の考え方です。その大家族主義は社内だけでなく、商売の関係者、地域社会全体へ押し広げられます。だから、自分たちが儲かるかどうかよりも、社会のためにどうあるべきかを優先することになります。
いざとなれば、イギリスとケンカする覚悟でイランの石油を輸入する。そんなことは、こういう信念を持っていなければ、けっしてできなかったでしょう。
必ずしもすべてに共感するわけではありませんが、このような企業が日本にあることを、私は誇らしく思います。
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