簡単に要約すれば、神社は神のお社だから、挨拶もせずに写真を撮りまくると神様が怒るという話です。
他人の家に上がり込むなり許可なく写真を撮れば、住人は怒るでしょう。だから、神も同じなのだと。
霊的なものが見える方のようで、神様が怒っていたり注意している写真をときどき見かけると言います。
祈祷中に写真を撮るのは、神様に対して失礼だとも書かれていますね。
心屋さんは、シェアした投稿にこう書かれています。
「神さまも
怒るんだね(・∀・)」
これは肯定しているようでもあり、我関せずという感じでもあります。
「神との対話」を読んでいる私としては、神様が怒るなんてことは絶対にあり得ないと思います。
人間が何かをしたら失礼だと感じて神様が怒るという発想は、それこそ神様への冒涜でしょう。
なぜなら、神様はそんなちっぽけな了見の持ち主だと言っているようなものですから。
「わたしがあるものを嫌い、あるものを愛する、そう思っているのかな? 言っておくが、わたしは何も嫌いはしない。反感ももたない。すべては生命であり、生命は贈り物だ。言葉にならない宝物、聖なるもののなかの聖なるものなのだよ。
わたしは生命だ。生命はわたしだから。生命のすべての面に、聖なる目的がある。
どんなものにも神が理解し、肯定した理由がある。」
(「神との対話」p.86)
このように、何かを否定するということはあり得ません。
神とは「存在のすべて」であり、神が受け入れたものしか存在していないからです。
また、神は「存在のすべて」ですから、何も必要とはしません。
人間から尊敬される必要もないし、丁寧に扱われる必要もありません。
「神は自我もなければ何かを必要とすることもない、存在するすべての源であり、すべての知識と愛の座であると考えるならば、あなたの神学はばらばらに崩れる。」
(「神との対話A」p.70)
つまり神は、そういう存在だと言っているのです。
まるで人間のような神を想像するから、神が怒ると考えるのでしょう。
何でもできる神を怒らせたら大変なことになります。
だから毎週礼拝を欠かしてはいけないし、豚肉とか牛肉とか食べてはいけないし、大昔には生贄を捧げたりもしました。
すべて神の機嫌を取るためです。
「神が何かを必要とする−−それが手に入らなければ、怒って相手を罰すると考えるなら、あなたがたはわたしよりもずっと小さな神を信じることになる。あなたがたは劣った神の子だということになる。わが子たちよ、もう一度、はっきりと言う。わたしには必要なものはない。わたしは何も求めない。」
(「神との対話」p.91)
「存在のすべて」である神が、何かを必要とするという考え方がすでに矛盾しています。
これまでの私たちは、本当の神よりもずっと小さな神を信じ、怯えていたわけです。
そして、神に気に入られるように生きようと、努力を重ねてきました。
特に信心深い人ほど、そういう生き方をしてきたのでしょう。
「人生の目的は神を喜ばせることではない。人生の目的は、自分とは何者であるかを知ること、自分を再創造することなのだよ。」
(「神との対話A」p.70)
人生の目的は、神の機嫌を取ることではありません。
ここが、大きな違いなのです。
もちろん、だからと言って相手に失礼なことをしてもかまわないと言っているのではありません。
重要なのは、相手から怒られるからそれをしないという発想をやめることです。
そうではなく、自分がどう在りたいからそれを「する」、あるいは「しない」という選択をすること。
自分軸で生きることが重要なのです。
「不安でなければ正しい者にならず、正しいことをしないのか? おどかされなければ、「善良」にならないのか? 「善良である」とはどういうことか? 誰がそれを決めるのか? 誰が指針を示すのか?誰が規則をつくるのか?
言っておくが、規則をつくるのはあなたがた自身だ。あなたがたが指針を示すのだ。自分がどれだけ善良であったかを決めるのは、自分自身だ。あなたがたがほんとうは何者であるか、そして何者になりたいかを決めるのは、あなただ。そして、どこまで目的を果たせたかを決めるのも、あなただ。」
(「神との対話」p.62)
神は、踏みつけにされても怒りません。
問題は、神が怒るかどうかではなく、そういうことをする自分を自分がどう思うかなのです。
そして、その考え方(価値観)は人それぞれです。
神社で写真を撮る例でも、事前に断るのが礼儀だと考える人もいれば、そうではない考え方の人もいます。
そして、それぞれに正しいのです。
ですから、他人を裁く必要性はありません。
他人を批判非難する必要はありません。
ただ自分が正しいと思うことを、他人に関係なく自分がやれば良いのです。
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