2017年07月25日

名言セラピー幕末スペシャル



また、ひすいこたろうさんの本を読みました。名言セラピーシリーズですが、幕末の登場人物に特化した特別編になっています。

日本の歴史が大きく動いたとされるのは、戦国時代と幕末から明治にかけて。それと大東亜戦争の頃だと言われています。その中でも幕末は、優れた人物が次々に出てきて、西洋列強の侵略から日本を救った時代でもあります。

私も、坂本龍馬氏、西郷隆盛氏、吉田松陰氏、勝海舟氏などが好きで、関連する本をよく読みました。それだけに、ひすいさんがどう取り上げるのか、興味津々でこの本を読みました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

僕らは、今、どんな仕事についたっていいし、
どこへ行くことだって自由にできるし、
どんな夢をもったっていい。

それは、彼らが命をかけてくれたからです。

そして、今、再び、
新たな革命の
時代を迎えています。


今度の革命は、
ほんとうの自分と出会うための革命です。
」(p.6)

冒頭でひすいさんは、このように言います。幕末に活躍した多くの人たちが、命がけで日本を守り、変えてくれたのですね。そのお陰で私たちは、現代の豊かさや自由を味わうことができるのです。

そしてひすいさんは、今もまた革命の時代だと言います。「本当の自分と出会うための革命」というのは、自分が進化成長して、本当の自分として生きるということだろうと思います。


いつだって物語は「脱藩」から始まるんです。
では、現代における「脱藩」とはなんだろう。
人によっては、それは家族のもとを離れて自立することかもしれない。
属していた組織から離れることかもしれない。
今付き合っている人と別れることかもしれない。

脱藩とは、握りしめていた価値観を一度手放してみること。
脱藩とは、何が起きるかわからない世界へ、
たったひとりで飛びこんでみること。
ブルブル震えながらでもいい。
飛びこんでしまえ。
」(p.35)

坂本龍馬氏の活動は脱藩から始まりました。そのことを捉えて、本当の自分と出会うには、勇気をもって新たな扉を開けることだと、ひすいさんは言うのです。


誰もがみな安定することを望むけれど、
竜馬の人生を見ると
1秒も安定していないことがわかります。

不安定のなかにこそ、
冒険という道がある。


ゆらぎのなかを行こう。
葛藤のなかを行こう。
答えのないカオスのなかを行こう。
」(p.39)

何が正解かは、誰にもわかりません。やってみなければわからないのです。間違っているかもしれないという不安の中で、他人から否定されるとしても、自分の道を進むことなのです。


松陰は後に、兄、梅太郎に
この日の気持ちを手紙でこう告げています。

「海外渡航の禁は徳川一世の事にすぎない。
今回のことは、三千年の日本の運命に関係する以上、
この禁に、思い患うことなんてできなかった」
」(p.48)

国禁を犯して黒船に乗り込んだ吉田松陰氏は、3000年先の日本のことを考えて行動しました。まさに佐藤一斎氏の言志四録にあるように生きたのです。

「当今の毀誉は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼る可し。一身の得喪は慮るに足らず。子孫の得喪は慮る可し。」


明治維新の決定打は、坂本龍馬氏ではなかったと、ひすいさんは言います。では誰か? それは一般民衆が起こしたものだったと。

1967年、7月18日東海地方の三河国(愛知県)で
「ええじゃないか」というパレードが
民衆のなかで湧き上がりました。
」(p.76)

踊る人たちは、周りの人を強引に巻き込んで行きました。恥ずかしさ、バカバカしさを乗り越えさせ、踊る中で自分自身が解放されるのです。

全国に広がったこの運動は、様々にバリエーションがあったそうです。しかし共通点が3つあったのだとか。それは、男は女装し女は男装すること。金持ちの家があれば上がり込んで踊ること。武士の刀を取り上げて、無理やり踊らせること。

この三つの共通点から見出されるものは何か?

ぶっ壊すということです。
常識を!
」(p.79)

多くの人がこれまでの常識を変えようと意識を変えたことで、時代が動いたのですね。


人は、あふれたときに
眼がキラキラ光り出します。


夢中で1時間語れるものをもつって、
要は、あふれたってことです。
」(p.108)

吉田松陰氏は、日本のことになると夢中で語ったそうです。牢に入れられても、それでも語り続けた。他の人から受け入れられるかどうかなどと他人の評価を気にせず、ただ語ることに熱中しました。

情熱を感じて何かに没頭する。そうすることで、突き抜けることができるのです。


木村は咸臨丸の乗組員たちが
アメリカの軍人に対して見劣りがしないように、
乗組員にお金を出すことを幕府にお願いしていましたが、
受け入れられなかったため、
自らの家財を売ってまで
お金を捻出。

気骨のある木村摂津守を、諭吉は心から慕っていました。

そんな木村摂津守ですから、
維新後も新政府から声がかかります。
しかし、「私は幕府に仕えた身ですから……」と断り、
一生表舞台に出ることはありませんでした。
」(p.115)

この話を読んで、福沢諭吉氏が勝海舟氏のことを二君に仕える者だと批判した理由がわかりました。木村摂津守を尊敬していたから、その思いを否定されたように感じたのでしょうね。

勝海舟氏は、「 行蔵(こうぞう)は我に存(そん)す。 毀誉(きよ)は人の主張、我に与(あずか)らず我に関せずと存じ候(そうろう)」と言って、福沢諭吉氏の批判を相手にしませんでした。

生き方、考え方は人それぞれです。どちらが正しいかではなく、どちらも正しいのです。その自分の思いに従って、堂々と生きる。木村摂津守も、福沢諭吉氏も、勝海舟氏も、自分の損得ではなく、自分らしい生き方を選択したのだと思います。


松陰が葉山左内と交流をもったのは、わずか50日ほど。
また、松陰が萩の松下村塾で弟子たちに講義したのも、
2年半ほど。

なぜ、葉山左内に触れた人が短期間で成長したのか?
なぜ、吉田松陰に触れた人が、
短期間で歴史に残る人物にまで成長したのか?

師匠の視線に愛があふれていたから。
僕はそう思うんです。
」(p.146)

吉田松陰氏は葉山左内氏に学びたくて、毎日のように通ったそうです。その時、葉山左内氏は、吉田松陰氏の姿が見えなくなるまで、帰る姿を見送ったのだとか。

経営の神様と呼ばれる松下幸之助氏も、インタビューに訪れた若い記者を、社長室の入り口まで見送り、深々とおじぎをされたそうです。影響を与える人というのは、このように一人ひとりに敬意を持って接したのですね。


このまま5年や10年、
牢獄につながれていたとしても、
それでもまだ
僕はたったの40歳だ。
逆襲はそこから
いくらでもできる!


松陰はそんな思いでした。さらに語っています。

「憤慨することは止むべし(中略)
自然と決めた。死を求めもせず、死を辞しもせず、
極に在っては獄で出来る事をする。
獄を出ては出て出来ることをする」
」(p.153)

できないことに意識を向けるのではなく、今の状況でできることをすれば良い。そういう考え方が人生を右肩上がりにするのだと、ひすいさんは言います。


これを知ると、今日を境にあなたも、
困ったことが、一切起こらなくなることでしょう。
その秘密をお伝えしましょう。

「僕は金輪際、
『困った』という言葉を
決して吐かない」
by 高杉晋作
」(p.202)

「困った」と言わなければ、「困ったこと」は起こりません。「問題だ」と言わなければ、「問題」はなくなります。「ピンチ」も「チャンスだ!」と言えばいいのです。


幕末に活躍した人たちの人生を見てみれば、ツイてないことやピンチの連続とも言えるでしょう。それでも、人生を変え、日本を変え、名前を遺して憧れる存在になりました。だから私たちは彼らを尊敬し、慕っているのです。

そうであるなら、私たちもまた彼らのように生きれば良いのだと思います。そのヒントを、この本は示してくれています。

名言セラピー幕末スペシャル
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:00 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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