2017年07月17日
聖書に隠された成功法則
これも何で紹介されたのか忘れましたが、成功法則に関する本を読んでみました。著者は松島修(まつしま・おさむ)氏で、投資コンサルタントをされています。
聖書に限らず、真理は昔から明らかにされていると、私は思っています。ですから、聖書の中に真理があるという考え方には、それほど違和感はありません。ただ、そこに書かれていることをどう紐解くのか、興味があったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「むしろ聖書を読めば、宗教が大きな間違いを犯しやすいことや、宗教活動をすることで成功するわけではないこともよく分かります。宗教は人を束縛するものですが、聖書は人を自由にするものです。宗教が聖書の大事な真理を隠してきたのかもしれません。聖書から宗教のベールをはがした時に真理が光り出します。」(p.19)
まず、聖書を持ち出すものの、それは宗教とは無関係だと主張します。その根拠として、聖書は人を自由にするが、宗教は人を束縛すると言います。
私も、宗教の大きな誤りは人を束縛することだと思っています。ただ、聖書が人を自由にするという主張は、すぐさま受け入れられるものではありません。これをどう説明にするのか、楽しみにしています。
「神実現に沿って進んでいる時の判断基準は、大枠として自分がワクワクする方向に進んでいることです。その人が本来、進むべき方向に進むわけですから、まるでエスカレーターに乗るように次々と目標を達成していく体験ができます。」(p.38 - 39)
これまでの成功法則は自己実現を目指すものだが、この本では神実現を目指すと違いを主張します。その違いは、本来の自分の姿を悟ることにあるようです。本来の自分であれば、流れに乗ってスムーズに進むのですね。
「聖書には「恐れるな」という言葉が、365回出てくるといわれています。ちょうど1年のに日数と同じ数です。聖書の神が人に恐れるなと言っているように、私たちは積極的に前進する中では「恐れるな」と自分自身に言い聞かせる必要があるのでしょう。それほど私たちは恐怖にとらわれやすい傾向があるということです。」(p.71)
聖書でも「恐れる(=不安にあになる)」ことを否定しているのですね。「神との対話」では不安は愛の対極だと言っていますが、不安を捨てて愛(=安心)に留まることが重要だと思います。
「また、聖書を読んだ時、「この言葉を上司(あるいは夫・妻)に読ませてやりたい」と感じるのも間違いです。そうではなく、「私自身がこの言葉に従うように神は願っている」と感じるのが、正しい読み方です。
このような正しい心で読むなら、聖書の言葉は光り輝くラブレターのような存在です。」(p.84 - 85)
どんな教えもそうですが、それを他人を裁く手段にしてしまっては、本末転倒なのです。教えは自分を正すためでしかないのです。
「聖書の成功者とは、その人が神に似たものとなること、つまり最高のステイタスになることです。」(p.88)
一般的に成功者と言うと、お金持ちと考えがちです。しかし、聖書の成功者お金持ちではなく、神と似た存在になることだと言います。
それは、この後に具体的に示されていますが、たとえば愛を持っているとか、いつも喜んでいるとか、幸せでいるなどです。
では、「最高のステイタス」とは何なのか? そのために何をすべきなのか? その答えも、聖書に示されていると言います。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。 (−テサロニケ5・16)」(p.173)
「この3つは神の命令です。この3つをお勧めします……というレベルではなく、命令形です。
これほどしっかり命令されているのは、この3つがどれも成功のための必須条件だからに他なりません。」(p.173)
この3つは、何としてでも「やれ!」と言うことですね。(笑)
「人が喜んでいることを、神は願っています。喜んでいるということは、そこに希望を見いだしている証拠だからです。
喜んでいる人はよく笑います。また、笑っている人には災難も近づきにくいものです。医学的見地からも笑うと免疫力が上がるといわれています。病人が笑うと早く病気が治癒しますし、健康な人が笑うと病気にかかりにくくなるといわれています。」(p.176 - 177)
喜ぶこと、笑うことは、とても重要だと思います。それは、つねに神とともに歩んでいるという安心感であり、自分の存在への自信がベースにあるのでしょうね。
「それでも、感謝する気持ちが、どうしても持てない場合はどうしたらいいのでしょう?
大丈夫です。その場合には、感謝の気持ちはなくても「神に感謝する」と、祈りの中で口に出して言ってみてください。心と言葉が一致していなくても、言葉に出して祈ることとでよい方向に変化していきます。」(p.189)
心が伴わなくても、まずは感謝の言葉を口にすることが重要なのだとか。こういうところは、小林正観さんなどと同じです。
「まず神を愛する。
すると自分自身を愛せる。
だからこそ周囲の人を愛せる。
これが聖書の語る真理です。人にとって神を知ること、神を愛することは最大の喜びです。魂が喜びます。そしてその結果、自分自身を愛せるようになることが大切です。」(p.192)
まず神を愛する。そして人を愛する。そう言われていますが、神を愛すれば自分を愛せるから、人を愛せるようになるという考えは、斬新だと思いました。
「与える人は与えられる。単純ですが真理です。
いつも与えましょう。そうすれば人々はあなたに与えてくれます。人によいものを与えていないと貧乏になります。与えることは大切です。」(p.195)
バシャールは、この世には1つの法則しかないと言っています。それは、「与えたものが返ってくる」です。同じことですね。
「10分の1をことごとく、宝物蔵に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。
こうしてわたしをためしてみよ。−−万軍の主は仰せられる。−−
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を、あなたがたに注ぐかどうかためしてみよ。」(p.202)
「マラキ3・10-11」からの引用です。10分の1献金は、聖書では有名ですね。
驚くべきは、「ためしてみよ」とある点です。神は「こういう法則になっている」と示しながら、それを「試してみなさい」と誘っているのですね。
小林正観さんも、トイレ掃除が思いがけないお金をもたらすことを、金儲けの意図でも良いからやってみるように言っています。本当なのかどうか、自分でやってみればいいのです。
「逆に言えば、利益を得るから満足を得るのではなく、満足して満ち足りた心があるから、そこに利益が追いかけてくる、それが聖書の語る真理です。」(p.206)
「神との対話」でも、まず「在り方」を決めることが重要だと言っています。何かをすれば幸せになるのではなく、幸せであるから何かをするのだと。「幸せ」という「在り方」が先なのです。
「一方、積極思考と似てはいても、少し異なるのが聖書的な楽観思考です。楽観思考は、自分がやるべきことはやって、あとは神にゆだねる、やるべきことをやったら神頼みで結果は任せるという思考です。
「いつまでに、どれだけ何を達成するか」というのは、自分が決めることではなく、神のタイミングにゆだねます。それには、「日々、必要な食べ物、着る物、住むところ、お金などすべての備えは、自分が神実現に向けて進んでいれば、神が備えてくれる」という安心感が根底に横たわっています(詩篇127・1-2)。」(p.228 - 229)
ものごとが成就するのは、神が最適な時を選んでくれるから大丈夫。そういう安心感を持つことですね。
これは、結果を手放すという考え方にも通じます。結果は神に委ね、自分は自分がやるべきことをやる。それだけでいいのです。
本書には、この他に「獅子」「雄牛」「人」「鷲」という4つの分類をして、それぞれごとの特性や注意点なども書かれています。これも、聖書に基づくものだそうです。
バランスとか、人格を持った神とか、サタンとか、私にはイマイチ理解しがたい考え方もありました。ですが、本質的には自分は神が創った素晴らしい存在なのだと認め、すべては神の導きで上手くいくと信じ、安心している態度が重要だということだと思います。
そういう点では、「神との対話」で語られていることと共通しているように思います。けっきょく、すべての真理は隠されることなく、昔から語られているということですね。
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