神渡良平さんの本を読みました。今回は、詩人の坂村真民(さかむら・しんみん)さんを紹介する本になります。
神渡さんはこれまでにも、多くの人を紹介する本を書かれて、スポットライトを当ててこれらました。私も神渡さんの本を読むことで、その紹介された人のことを詳しく知って、その生き方に感動してきました。今回の本もまた、そういうものでした。
雑誌「致知」でもよくお見かけしたので、「念ずれば花ひらく」という言葉や、坂村真民さんというお名前は存じ上げていました。しかし、どういう生き方をされてこられたのかなど、詳細はまったく存じ上げませんでした。
この本によって、真民さんのことを身近に感じられたのは事実です。そして、その到達された境地が、いかに深いものであったかを知りました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「悟りとは
自分の花を
咲かせることだ
どんな小さい
花でもいい
誰のものでもない
独自の花を
咲かせることだ
(「悟り」坂村真民)」(p.2)
冒頭に、真民さんのこの詩を掲げています。ここから、この本のタイトルがつけられているようです。
「「あきらかに知りぬ。心とは山河大地なり。日月星辰(じつげつせいしん)なり」(※星辰=星のこと)
道元禅師は人間が高度に澄み切ると、山河大地と渾然一体となり、太陽や月や星と溶け合って一つになると言われます。真民さんは暁天お祈りや初光吸引を通して、宇宙と一つになっていきました。」(p.45)
道元(空海)の悟りは、「声心雲水倶了々」という言葉で語られています。詳しくは前の記事「宇宙と一体になること」をご覧ください。これを真民さんも感じられたのですね。
「念ずれば
花ひらく
苦しとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうして
そのたび
わたしの花が
ふしぎと
ひとつ
ひとつ
ひらいていった」(p.69)
これが真民さんの代表作でもある「念ずれば花ひらく」という詩です。この詩に触発されて、自殺を思いとどまった経営者がいます。そして、やり方がどうかではなく、まず「決める」ということの重要性を知った経営者がいます。それが松下幸之助さんであり、その話に影響を受けた稲盛和夫さんなのですね。そのエピソードも書かれています。
「世の中で起こる出来事はすべて意味があります。あなたのお体が弱いのも、それがあなたに背負わされた運命なのです。それに耐え、それを乗り越え、逆にそれを大きな恵みとされたとき、あなたの業(カルマ)が解消するのです。
だから背負わされている重荷を不幸だと悲しむのではなく、みんなに成り代わって背負っているのだと受け止めることです。」(p.167 - 168)
真民さんが師と仰ぐ春苔尼さんが真民さんに贈った言葉です。師の言葉に励まされて、真民さんは思索を深めていかれたのだと思います。
「強運の持ち主だといわれて、真民さんはびっくりしました。
「私はそういう強運の星のもとにあるというのに、どうして今日まで、よい運に恵まれずに来たんでしょうね」
すると、その人は天を仰いで返事を探した末、こう答えました。
「あなたはとてもよい運勢を持っているのに、今日までそれを消し消しやってきました。おれは駄目だ駄目だとばかり思って、運を消してきたのではありませんか?」」(p.178)
真民さんが占いをしてもらった時のエピソードです。真民さんは、有名になる前は自分に自信が持てず、自分は駄目だと否定し続けていたのですね。
「信仰とは神仏に預け切って何事でも甘受し、感謝して過ごすことです。信仰とは判断の基軸を人間世界ではなく、神仏へと移すことです。真民さんは「何でも感謝して受けるようになって、実に軽やかになった」と言われます。」(p.180)
自分で何とかしなければとあくせくしていた時は、不安しかありませんでした。何もできない自分を悲観し、自己否定するだけでした。しかし、信仰はそういう自分を受け入れ、神仏に委ねることです。真民さんは、そういう境地を切り開いて行かれたのです。
「万物の霊長たる人間が四苦八苦するために、この世に遣わされているはずはありません。それぞれに与えられている持ち味を十分発揮し、世に貢献するためです。行き詰まったように見える出来事も、状況を再考し、よりよきものを産みだすために起きているのであって、決して潰してしまおうという悪意が働いているわけではありません。
「何事も感謝して受けよう。道は必ず開ける!」
と思ったら、どっしり構えて対処できます。
「そうだ、大宇宙はもっともっと喜びなさいと言っているんだ!」と、真民さんは深く納得できました。」(p.239 - 240)
真民さんは晩年、「大宇宙の本質は大和楽だ!」と悟られたようです。宇宙(神)は、人を苦しませようとしているのではなく、喜び楽しませようとしているのだと。このことがわかれば、安心していられるのです。
「そして平成八年(一九九六)十月に出版した『念唱 大宇宙大和楽』(エモーチオ21)に「二十一世紀の扉開きと新しい人間」と題して、「私は『念ずれば花ひらく』と『大宇宙大和楽』という二つの真言を残すためにこの世に生まれてきたと思います。しかし今日では『大宇宙大和楽』をずっしりと心にとどめる心境になります」と書きました。」(p.243)
宇宙(大自然)と一体化し、「すべては一つのもの」を体感する。そうすれば、対立というものはなくなり、苦悩も消え去ります。残るのは、ただ喜び楽しむことだけ。それが真民さんが到達された境地なのだと思います。
「「ひどい病気だ。悪魔のようにしつこい奴だ」と病気を憎みました。
ところがそのうちに心境の変化が起きてきて、病気を憎まなくなりました。
「そんなにくっついて離れないのなら、いっしょに生きていこう」
と、むしと憐れむようになったのです。するとあれほどしつこかった皮膚病が次第に消えていきました。」(p.245)
しつこい皮膚病に悩まされた真民さんのエピソードです。そしてこの出来事から、こんな詩が生まれました。
「光だ
光だ
という人には
いつか光が射してくるし
闇だ
闇だ
という人には
いつまでも闇が続く」(p.246)
仏教にとどまらず、キリスト教やその他の宗教も含めて、真理につながる境地を詩に表現された真民さん。その花が開くまでには、たくさんの苦労がありました。しかし同時に、奇跡的な導きもありました。
覚悟を決め、やるべきことをやろうとして日々を過ごせば、自ずと導かれる。そんなことが、真民さんの人生から見えてきます。
神渡さんには、本にサインをしていただきました。そこには「一道を貫く」と書かれていました。これはまさに、私に対する言葉だと受け取りました。私が目指す一道。それは、真理を世に伝えていくことです。「神との対話」を読んで、そのことを誓ったのですから。初心に戻ってそのことをやっていこうと、この本を読んで思いました。


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