2017年06月21日
お金のいらない国2〜4
以前に読んだ第1作の「お金のいらない国」が素晴らしかったので、その続編を買ってみました。作者は長島龍人(ながしま・りゅうじん)さんです。
物語のシチュエーションはすべて一緒です。主人公が未来の社会に紛れ込み、その社会にお金がないことに驚き、自分が住んでいた社会のいびつさに気づいていくというものです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、ページの前に数字を入れましたが、これが何作目かを表しています。
「「じゃあ、その国の真似をすればいいじゃないですか。いっそのこと税率を百%にしてしまえば……」
「ええ!……ああ、でもそうか。そうすれば確かに、お金のいらない国になりますね」」(2 P.9)
言われてみると、たしかにそうですね。税率100%なら、お金が要らないことになります。稼いだお金はすべて税金として吸い上げられ、あとは使いたいだけ使えるのです。それで上手くいくなら、何の心配も要らないように思います。どう思いますか?
「紳士はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。
「お金はね、貯めてはいけないものなんです。貯める人がいなければ、貧しい人も生まれません」
紳士は言った。
「そしてもうひとつ、あなた方は重大な過ちを犯しています」
「な、なんでしょう?」
「その進歩とお金を得るために、たくさんのものを作り、捨てたことによって、資源が大量に失われ、環境が破壊されたのです」」(2 P.11 - 12)
お金を貯めるということは、将来への不安であったり、今持っていないくらいのお金がかかるものを買うためです。しかし、そうやってお金が滞留しているということは、それだけで無駄になっているのですね。
たとえば、お金がなくても欲しいものが得られるなら、家が欲しい時は「家が欲しい」と言えば、家を建てたい人(大工さんなど)が家を建ててくれます。お金が貯まるのを待つ必要はないのです。将来、病気などでお金が必要になっても、その時に必要なケアをしてもらえるなら、前もって貯め込む必要はありません。
そして、お金を貯めるためにお金を稼ごうとすると、不要なものを大量に買わせるための努力をすることになります。それが資源の無駄遣いになっているのです。
「お金が存在しなければ、子供の養育費や教育費もいらないから、他人が保護者を特定する必要はないかもしれないし。結婚しても、誰かを扶養する必要もなければ離婚の時に慰謝料を払うこともないから、これも本人たちの気持ちの問題だし。遺産相続も無いから、親族が誰かなどは当事者だけがわかっていればいいことでしょうしね。そうなると戸籍も必要ないか」(2 P.24)
たしかにそうですね。今の結婚制度は、お金があるからこそ必要な制度かもしれません。お金がないのであれば、親子関係も周りや社会が把握しておく必要がないとも言えません。
もちろん、子どもの養育を親が放棄をした場合のケアは必要ですが、親の養育義務が、要はお金の問題に行き着くのであれば、他の人が養育したっていいわけです。養育放棄する人は、どうせそうするのでしょうから、同じことですからね。
「病気は、精神を含めた体の異常を訴えるサインですから、治療は表れた症状を抑えようとするだけではだめなんです。また、体は自然の力で治ろうとしますから、そのために出ている症状をむやみに抑えてしまうと、かえって治らなくなります。病気の原因は、その人の生き方、考え方、経験、環境など、あらゆることが考えられます。医者は患者のそういったことまですべて引き出して、親身になって治療に当たれる人がならないといけませんね」(3 P.38)
お金がない進んだ社会では、病気に対する考え方も違いがあるようですね。(笑)
しかし、本来はそういうものだろうと思います。保険診療の問題もあって、医療関係者はやはり、どうやってお金を儲けるかということも考えざるを得ないのが、今の医療だと思います。
本来なら、未然に病気を防ぐ予防とか、なるべく身体に負担がかからないように薬を使わないなどの治療法が、優先されるべきだと思います。それをしないのは、それでは儲からないからです。
「そうか! やはり、根本原因は所有じゃないか! 自分だけのものという概念。自分のものと人のものを分ける発想。そして比較する、競争する。そういう社会では、自分にとって都合のいいことは、相手にとっては都合が悪い。自分が勝てば相手は負ける。自分の幸せは相手の不幸せ。この、所有に伴う、比較、競争、勝ち負けの世界。これを基本にしているから、お互いが納得できる道などないと思い込んでしまうのではないか。」(3 P.47)
なぜ対立が起こるのか?
それは競争しなければ必要なものが得られないと信じているからです。競争してまで何かを手に入れなければ、それが不足していると信じているからです。
これは、まさに「神との対話」が示している幻想です。幻想によって不安が生まれ、その不安に突き動かされて、所有しなければと思い込んでいるのです。
「「そうか。同じにしなきゃいけないと思うから苦しいのね」
「相手に自分の意見を受け入れさせようと思うからけんかになるのよ。お互いが受けとめられれば問題は起きないでしょう?」」(4 P.16)
相手の意見を受け入れる(=同意する)必要はなく、ただ受け止める(=相手は相手の意見のままでいいと思う)だけでいいのです。違いがあって当然だと思えば、何も問題は起こりません。
それを、自分の意見以外は間違っている(=あってはならない)と思うから、問題になります。そして、そう思ってしまうのは、不安があるからです。そうでなければ生きていけないという不安が、自分の意見に固執させるのです。
「正解を覚えればよいという教育は自分で考える力をつけない。答えは決まっているのだから覚えるだけで考える必要はない。誰もが同じことを覚えさせられ、そこに疑問の入り込める余地はない。また、わからないことは質問すればいいから、依存が起きる。自立ができない。結果、自分が何をしたいのかわからない、することが決められないという人間が作られる。」(4 P.41)
現代の教育の問題は、自分で考えさせるのではなく、誰かが考えた「正解」を覚えさせ、当てさせるだけの教育になっていることだと思います。だから個性など、生まれようがありません。他人と違うことを否定されるのですから。
「肉体がなくなれば、お金や財産はいくらあっても触れることもできず、使いようがない。地位や名誉のようなこの世限りのものにも価値はない。死んだ後に意識が残ると思うのと思わないのでは、ものの価値観が大きく変わりそうだ。」(4 P.54)
人は誰も死にます。死亡率100%ですから。その死ぬ時に、何か必要なものがあるでしょうか?
それを考えれば、本来、何も必要でないことがわかります。この世に生きている間だけの幻想だとわかるのです。そんなものにしがみつくことで、もっと大切なことを忘れてしまっている。それが私たちなのでしょう。
このシリーズは、単にお金がない社会の空想だけでなく、人としての本来の生き方に対するヒントを与えてくれているように思います。
もちろん、そんな理想的なことがすぐにできるはずはない、という考えもわかります。でも、誰かが一歩でも踏み出さなければ、いつまでたってもそこへ到達することはできないでしょう。ですから、今の自分ができる一歩を踏み出せば、それだけでも進歩だと思うのです。
たとえば、ここで紹介した本を読むのも小さな一歩です。また、「ベーシック・インカム」などの本を読み、最低限の生活に関してお金が要らない社会のことを勉強するのも、小さな一歩だと思います。
1冊あたりわずか60ページほどなので、すぐに読めてしまいます。ですが、その内容はとても深いものがあります。ぜひ、じっくり読んでみてください。
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