2017年06月18日

タッチハンガー



何で知ったのかわかりませんが、三砂ちづる(みさご・ちづる)さんの本を読みました。読み始めて気づいたのですが、これはエッセイ集なのですね。「ウフ.」という雑誌に連載された「タッチハンガー〜ふれられなかったあなたへ〜」に、加筆・訂正して制作された単行本です。

サブタイトルに、「がんばり続けてなお、満たされないあなたへ」とあります。本の帯には、「Touch(タッチ)=ふれあい Hunger(ハンガー)=飢え 欲しいのは包み込む優しさ、無償の愛。」と書かれています。触れられるだけで、すべてを受け入れてもらえるような愛を感じる。そんなことがテーマかと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

恋人が欲しい、誰かにそばにいてほしい、という思いは、しかし、ひょっとしたら、そっと誰かに抱きとめられ、受けとめられ、背中をなでてもらいたいということではないでしょうか。今の日本では、恋愛を通じてしか抱きしめらられ、やさしくなでてもらうことができなくなってしまっています。セクシャルなニーズのもっともっと前に、そっとふれられたい、しっかり抱きしめられたいという人としてのニーズがあるということに、なかなか気づけずにいます。」(p.6)

たしかに日本では、「触れる」ということが、すごく特別なことになっていますからね。恋人同士とか、まだ子どもが小さい頃の親子しか手をつながない。それが当たり前という空気があります。

でも、三砂さんが長く滞在されたブラジルでは、普通にハグし合ったりするのだとか。そういう経験によって、人として人肌に触れたいという欲求があり、触れてもらいという欲求があるという気付きになったのだと思います。

ブラジルでは家族は必ず抱擁しあうし、親しい友達同士もいつもハグしています。同性の友人だけではありません。異性の、恋人でもない友人と会ったときもしっかり抱きしめます。そのときの気分や会わなかった時間の長さや思いによって抱き方は微妙に変わります。別に恋人にならなくてもいいけどちょっと素敵だな、と魅力を感じる人は、周囲に一人二人はいるものです。特別な関係にならなくてもいいけどちょっと抱きしめてみたい、という人もいるでしょう。日本ではそういう気持ちは行き場がありません。手を取ってしまったり抱きしめてしまったりしたら、それはもう特別な関係になるしかありません。絶対に手を出さないか、あるいは「最終的な関係」までいってしまうか、どちらかしか魅力的に感じている人に接するすべはありません。」(p.10)

このように、日本の杓子定規な関係のあり方について、疑問を呈しておられます。もちろんこれは、日本が間違っているという意味ではなく、ちょっと不便じゃないかなぁというくらいの感じだと思います。


「タッチハンガー」はふれられなかったわたしたち、みんなが持つ心の渇望です。だからと言って、今、すぐには人にはふれられない。今の日本を生きるわたしたちの世代は、そうやってふれてもよいと思えずに生きてきたのでしょうから。ならばせめて時折、「もの」の所有に対するルーズさ、いい加減さを取り戻しながら暮らすことから始められるのかもしれません。」(p.111)

スペインの人とルームシェアをしたとき、冷蔵庫の中の物は、どっちが買ったかに関係なく自由に使うのが当然という感じだったのだそうです。また沖縄でも、「この鉛筆借りましょうねー」という言い方で、貸して欲しいという意味になるのだとか。

誰の持ち物という厳格な区別をせず、所有に対するルーズさがある。そういうルーズさがあると、生きることが楽になると三砂さんは考えるのです。


最近の母親と子どもはあんまり肌と肌でふれあってないんじゃないかなあ。昔は、日本は、みんなすぐ裸になってたからね。だからおっぱいなんてずいぶん大きくなるまで吸っていたなあ。ほら、昔の女の人って、みんな日本髪結っていたじゃない。あれ、上半身裸で結うんだよね。ぼくの母もよく鏡の前で、きものを半身脱いで髪を結っていた。ぼくはさ、高校生になっても、学校から帰って母が半身脱いで髪結っていると、母のおっぱいさわったり吸ったりしてたもんだよ。」(p.130)

三砂さんの知り合いの70代のドクターが、このように話されたそうです。さすがに私は経験ありませんが、私の祖母などは、暑い夏は上半身裸で過ごしてましたし、郵便配達の方が来られても、そのままのかっこうで受取りに出たりしていました。

銭湯が普通にあったので、少なくとも同性間なら、裸を見せ合うことに抵抗はありませんでした。けっきょくこういうのは、慣れの問題なのかなって思います。


「子育てはストレス」という言い方をやめたいなと思います。言葉には力があります。言い続けるとそのような気がしてきます。かわりに「子育てが一番楽しい」と言ってみたらどうでしょう。あれ、でもそうすると、女に子育てを押しつけるな、男も協力せよと鋭意努力してきたわたしたちの今までの主張はどうなるのか。たくさん子どもを産まされて(ということになっている)、苦しんできた昔の女性たちの苦しみはどうなのか。そう思いはします。でも、「楽しいから、一緒にやりましょうよ」と言えるようになるほうがいいのではないかなあ。「これがストレス」と親に思いながら育てられることを、あなたが子どもなら望むでしょうか?」p.167)

たしかにそうですね。子育ては大変だという一面があることも事実ですが、そう言われたら子どもとしては立場がありません。


幼い人ほど丁寧に接していたい。ゆったりとした気持ちでやさしい手でそっとふれていたい。おだやかな声で語りかけていたい。しっかり抱きしめて、あなたのことをわかっているよと言ってあげたい。大丈夫、少しずつ楽になるからと語りかけてあげたい。言葉で説明できないってつらいよね、言葉で説明できないから泣きたくなるんだよねと泣いている子には寄り添っていたい。言葉が話せるようになった子の話はないがしろにしないで、丁寧に聞いてあげよう。たくさんたくさんの思いが一言に込められているはずだから。小学生には、こんなに大変なのに、生きているだけでえらいと言ってあげよう。中学生には、まだまだしんどいよね、でも大丈夫だよと言ってあげたい。」(p.211)

辛くて自殺する人が大勢います。大人には大人の辛さがありますが、子どもには子どもの辛さがあります。それが大人からすれば「たいしたことないじゃない」と思えたとしても、子どもにとってはどうにもできない大変さだったりもするのです。

そういう三砂さんの経験を重ね合わせながら、三砂さんは大人の方がまだ自由だなと言います。子どもには選択の余地がないことが多いけれど、大人には自分で選べることが増えるからです。だからこそ、子どもに寄り添いたいと言われるのですね。


エッセイなので、「かくあるべし」というよな話はないし、体系立てて何かを説明するものでもありません。一つひとつのエッセイを読みながら、「なるほど。うん、そうだな。」とか「いや、ここは私ならこうだよ。」みたいな、自分の思いを確認するような読み方になりました。

タッチハンガーという言葉は初めて聞いたのですが、たしかに「人肌が恋しい」という思いは、普遍的にあるのかもしれないと思います。チンパンジーの赤ちゃんも、母親に抱かれないとうつ病になるそうですからね。

寄り添うこと、抱くこと、触れること。そんなことを、この本を読みながら考えてみるのも、いいのではないかと思いました。私がやっているレイキは、ただ触れているだけなのですが、私はこれは愛だと思っています。ただ触れているだけ。それだけで癒されるものがあるのです。

タッチハンガー
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 23:13 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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