2017年05月13日

はだしの聖者



神渡良平さんの本を読みました。上のリンクにあるのは致知出版社のものですが、それより先に出版されたコスモトゥーワン発行、文園社発売の本を中古で買いました。

この本はノンフィクションです。西田天香さんが立ち上げた一燈園に所属していた山崎寿(やまさき・とし)さんの話です。サブタイトルにはこう書かれています。「満州の二宮尊徳といわれた山崎寿の物語」今やほとんどの人が、満州開拓がどうだったかを知らないのでしょうね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

人のため、社会のため、尽くして尽くして尽くしきって生きた「はだしの聖者」。
 その人とは、戦前の満州植民地化の中で、満州の人の中に入り、彼らといっしょに泥まみれ汗まみれになって田畑を耕し、農業指導をし、ついには廟(みょう)さん(神さま)とまで慕われるようになった山崎寿(とし)さんである。
 山崎寿さんは大正、昭和の精神史に偉大な足跡を残した一燈園の創始者、西田天香(てんこう)さんの弟子である。山崎さんは下におりて人の足を洗う天香さんの生き方に感動し、大正十四年、満州に渡って、同じ精神で満州のために尽くそうと取り組んだ。
」(p.3)

冒頭で、山崎さんのことをこう紹介しています。師の西田天香さんは、住む家はおろか何一つ所有せず、托鉢と言って他人の家のトイレを掃除したり、様々な手伝いをする中で「生かされる」という生き方を示された方です。

今、家などを持たない生活をしている坂爪圭吾さんという方がおられますが、まさにそういう生き方を一燈園ではしていたのですね。


トルストイは「死ね」と言う。運命を天に任せて、食えなければ、元に還ればいいではないかと言う。
(無理に他をしのいで生きることは死ぬることである。運命を天に任せて食えなければ本体に還ればよい。死ねとは妄想から離れることで、悟れば全体が自分なのである……)
「そうか、そうなのか! 自分の命にさえ執着しなければ、捨て身で生きられる。よし、きょうかぎり死んでしまおう」
」(p.20)

西田天香さんが若いころ、トルストイ「我が宗教」を読んで感化されたというくだりです。自分1人が死んだとしても、全体にとっては何も変わらない。そうであるなら、自分1人が生きようとして他をしのぐくらいなら、運命は天に任せた方が清々しいと言うのです。

信仰とは、確実にこうなるとわかっているからやることではありません。結果がどうであろうと、目の前に現れたものをそのまま受け入れる。死ぬことさえ受け入れる。かつて親鸞が、師の法然に騙されて地獄に落ちたとしてもかまわないと言ったように、すべての結果を受け入れる覚悟なのです。

天香さんもこのように、自分が生きるか死ぬかということさえ手放して、すべて天に任せる生き方をしようとされたのでした。山崎さんは、こういう天香さんの生き方に感銘を受け、一燈園に身を寄せることになるのです。


寿は食事も雨露をしのげる家のことも忘れて、ただただ托鉢に歩き、夜は勝林院の本堂の下に帰った。我が強いわたしはこの方がいいんだ。神様はわたしを徹底して叩いてくださるんだ。ありがたいと思わなきゃ。寿はすき腹を抱えて寝込んだ。すると夜半になって天香の声がした。
 −−托鉢者は行き詰まるだけ行き詰まってみるがよい。日の脚はこちらの行き詰まりを待ち合わしていない。日は暮れ、腹が減ってくるが、泊めてくれる家はない。だれも握り飯ひとつ持ってこない。寂しい気がする。でも、そうしたときこそ、人間、真剣になるものだ。まだまだ行き詰まるがいい。どうするか。しみじみと考え込む。祈りたくなる。そうしたときに知らず知らず、一段一段と自分の我がはげていく。結構な修行だ。托鉢は神と人からの恵みなのである。
」(p.63 - 64)

何軒も断られながら、それでも托鉢をして歩きます。何かをもらう托鉢ではなく、トイレ掃除などをさせていただく行のことです。見も知らぬ他人を家に上がらせて、トイレ掃除をさせてくれる家は多くはありません。

さらに、食事をねだることもしないし、泊めてくれとも言わない。ただただ下座に下り、掃除をして、掃除をさせていただけたことに感謝する。そういう一燈園の托鉢を、山崎さんも繰り返したのです。


一燈園では連れ添いを選ぶのも自分の意志では行わない。自分の結婚だからこそ、我執が入り込みやすい。いかに立派な修行を積んできても、その一点で崩れるのだ。すべてお光の導かれるままに行われなければならない。」(p.123)

昔は、結婚相手は親同士が決めるのが当たり前でした。そういう時代であることを考えれば、当時はそれほど問題にはならなかったのでしょう。現代は、当人の意志を無視することは批判されます。

けれどもこれは、どちらが正しいかという問題ではありません。一燈園の修業をする者としては、結婚もまた修行の一環と言えるのでしょう。


確かにひとつはあります。それは一燈園がやっている金州郊外の燈影荘です。ここはみごとに五族協和の理想を実現しています。燈影荘の主催者の山崎寿氏は現地の満人から、廟さん、廟さんといって慕われているそうです。残念ながら日本人が満人に慕われるということはあまりないことなのですが、この山崎寿氏は別のようです」(p.132)

これは若槻首相が内田満鉄総裁を呼び、満州統治の実情を尋ねた時、内田満鉄総裁が報告したときのセリフです。

五族協和の掛け声もむなしく、特権階級に収まった日本人が多かったのですね。満州人や朝鮮人を奴隷のようにあごで使い、ふんぞり返っていたのでしょう。そんな中で一燈園の人たちは下座に下り、現地の人から慕われるようになっていたのです。


敗戦により、日本は満州を追われます。山崎さんも兵役に就き、シベリアに抑留されることになります。何度も死線を越えながら、やっとの思いで帰国。しかし、その命は長くは続かなかったようです。昭和23年(1948年)12月25日、山崎さんは46歳の若さで亡くなります。

その日、山崎さんは子どもたちを呼び寄せ、「イワンのばか」の話を語って聞かせました。そして子どもたちにこう語るのです。

いいかい、みんな。このイワンはちょっと見れば馬鹿正直で損をしているように見えるよね。でも、それは人間の目から見たらの話であって、神さまから見たらちがうんだ。汗臭いから外に行けと言われたら、素直にハイと言える−−これほど強いことはない。そうすればもう悪魔も勝てない。お父さんが満州でやろうとしたことはこのことなんだ。」(p.229)

賢く得をするように立ち回るのではなく、すべてを運命に任せて、争わない生き方をする。損を損とも感じない。それがもっとも強い生き方だと言うのです。


戦前の日本の教科書に、山崎さんのことが「満州の二宮尊徳」と載ったそうです。そんな有名になった人のことも、戦後はすべて悪いことにされて、記憶から消されてしまいました。

神渡さんは、ライフワークとしてそういう目立たない人の生き様を掘り起こしておられます。一隅を照らす人々を紹介し、読者に勇気と希望を与えてくれるのです。

はだしの聖者
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:35 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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