2017年05月08日
こころの処方箋
野口嘉則さんのオンラインセミナーの課題図書を読みました。河合隼雄(かわい・はやお)さんの本です。
これは元々、1988年から1991年まで「新刊ニュース」に連載されたエッセイに10章ほど新たに加えて、1991年に単行本として出版されたものです。新潮文庫になったのは1998年で、私が買ったのは第44刷の2016年4月発行の文庫本です。ロングセラーですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「確かに私は臨床心理学の専門家であるし、人の心ということを相手にして生きてきた人間である。しかし、実のところは、一般の予想とは反対に、私は人の心などわかるはずがないと思っているのである。」(p.10)
人の心はわからないものだ。そう河合さんは言われます。これは驚きましたが、考えてみればそうですね。こうだと思っていても、そうじゃないことがあるかもしれない。そういう気持ちを持ち続けることは、科学者としては当然だと思います。
多くの人は、その逆に決めつけしやすいものです。「あの人はそういう人なんだよ」など、レッテル貼りなんかもそうですね。そのことによって、他の可能性が閉じてしまうのです。それは真に相手を理解することにはならないのですね。
「その人の言っている悪いことは、何かよいことのバランスのために存在していることを見抜けていないのである。
それでも、人間はよいことずくめを望んでいるので、何か嫌なことがあると文句のひとつも言いたくなってくるが、そんなときに、「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、なるほどうまく出来ている、と微笑するところまでゆかなくとも、苦笑ぐらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い。」(p.15)
良いことばかりも起きなければ、悪いことばかりも続かない。それを「ふたつよいことさてないものよ」と、面白い言い回しで説明されます。これを口癖にしていると、出来事に翻弄されずに冷静になれますね。
悪いと感じることの中に、良いと考えられることがあります。もちろん、その逆もあります。出来事はニュートラル(中立)で、悪い側面と良い側面があるだけなのです。いわばコインの裏表ですね。
河合さんは、子どもがいないことを嘆く人もあれば、子どもがいてもそれによって不幸になる人もいると説明します。だから、「子どもがいないから」と言って嘆く必要もないし、「子どもがこうだから」と言って不幸をかこつ必要もないのです。
「イライラは、自分の何か−−多くの場合、何らかの欠点にかかわること−−を見出すのを防ぐために、相手に対する攻撃として出てくることが多いのである。」(p.47)
イライラの原因は他人や出来事にあるのではなく、それは単に縁(きっかけ)なのです。原因である自分の心の中にあるコンプレックスなどが表出しそうになるので、それを嫌がって起こる感情なのですね。
「自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくるものである。」(p.95)
子どものうちに十分に甘えて安心感を得ることによって、子どもはスムーズに自立していく。最近は、そういうこともだんだんと常識になりつつあるように感じます。昔は甘え癖がつくとか、抱き癖がつくなどと言って、過度に甘えさせないよう厳しくするのが常識だった時期がありました。隔世の感があります。
「親が自律的であり、子どもに依存を許すと、子どもはそれを十分に味わった後は、勝手に自立してくれるのである。」(p.96)
したがって重要なのは、親自身が自立していることなのです。親が自立していないと子どもに依存して、子離れできなくなります。こういう親は、子どもが依存してくることを喜び、子どもの親離れを阻害します。
親がしっかりと自立し、子どもが甘えたい時は甘えさせてあげ、放っておいてほしいときは放っておくなら、子どもは親に対して安心感を抱いて、自立するようになるのです。
「二人で生きている人は、一人でも生きられる強さを前提として、二人で生きてゆくことが必要である。無意識的よりかかりや、だきこみが強くなりすぎると、お互いの自由をあまりにも奪ってしまい、たまらなくなってくるのである。」(p.157)
親子などの従属関係では、まず主である親が自立することが重要でした。夫婦などの並立関係では、互いに自立していることが大事なのですね。そうやって自立した大人同士が連携することで、より良いパートナーになれるのだと思います。
「早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまうのである。さりとて、「知る」ことがなさすぎると、災害をどんどん拡大していって収拾がつかなくなってしまう。実際には、ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い。」(p.221)
変に物知りになると、体験する前からわかったような気分になり、体験の機会を逃してしまいます。その弊害を河合さんは指摘しておられます。
それでも、知っていることによって、深みにはまらずに済むメリットがあるとも言います。感情が沸き起こったら、まずはそれをしっかりと感じ、感情に振り回されないようにして、その背景を考えてみる。そんなふうにして、しっかりと体験することが自分に役立つのだろうと思います。
これはエッセイ集のようなものなので、本全体で何かのテーマがあるというわけではありません。どこから読んでもよくて、そういう意味では近くに置いておいて、好きなところを読んでみるという読み方もあるかと思います。
1章が4ページで、全部で55章あります。一気に全部読むより、1回に1章ずつ読んでは考えてみる。そういう読み方をお勧めします。
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