2017年04月30日

ガラスの地球を救え



手塚治虫さんの本を読みました。手塚さんが亡くなられたのは、平成元年(1989年)2月9日だそうです。これは手塚さんのエッセイで、同年4月に未完だったものに手を加えて、単行本として出版されました。私が買ったのは文庫本で、1996年の発行となっています。

どうしてこの本を買おうと思ったのか忘れましたが、何かを見てピンと来たのだと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「食糧難で餓死する人がたくさんいたり、食物を奪い合って、殺し合いが起こる」「核戦争で人類滅亡だよ」「きっと大地震が起こって壊滅する」「放射能に世界中が汚染されると思う」こんな具合です。
 同様の不安はぼく自身のなかにも確かにあるし、前述したように事実、全地球規模で危機感は増大しているにはちがいありません。さらに、テレビやSF映画、マンガが、子どもたちの不安感に拍車をかけているのかもしれませんが、未来人として二十一世紀の担い手になるべき子どもたちの未来像をおおう、この絶望感はどうでしょう。
 子どもたちの明るく輝く未来は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
 こんなさびしいところへ子どもたちを追いつめてしまったのは、ほかならぬぼくら大人なのです。
」(p.33 - 34)

手塚さんは、人類の未来に不安は抱くものの、それ以上に未来を担う子どもたちに希望がないことが心配だと思われているようです。そして、子どもたちがそうであるのは、大人たちに原因があるのだと。


どんな国も、それぞれの”正義”をふりかざして戦争をしてきましたし、いまもしています。”正義”とはじつに便利な言葉で、国家の数だけ、あるいは人間の数だけあるとも言えそうです。」(p.61)

これは私も同感です。さすが手塚さん、よくわかっていらっしゃる。


幼いころから生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消していくだろうと信じます。
 今、ここから始めればいいのです。ただ、繰り返しますが、そのためには”豊かな自然”が残されていなければならない。
 自然というものは人の心を癒やす不思議な力を宿していて、自然こそ、子どもにとっては最高の教師だとぼくは思います。
」(p.64 - 65)

子どもは時に残酷で、小動物を傷つけたり殺したりして遊びます。私も、そんなことをしたことがありました。手塚さんは、そういう経験もまた、生命の尊さを学ぶために必要なのだと言います。


”ダメな子”とか、”わるい子”なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ、ときっぱり言うことができると思います。」(p.67)

どんな子どもの中にも、素晴らしい本性が宿っている。手塚さんは、そういう見方をされるのですね。


なにが必要な情報か、ということですが、ぼくはとどのつまり、生命の尊厳を伝える情報が最も必要でかつ重要な情報だと思います。
 現在の暴力非行や、親子の断絶や、生命の軽視は、子どもや若者たちがこれまで育って来た期間に得た情報の吸収、蓄積によってもたらされた結果です。大人たち、あるいは子どもの身のまわりや社会に繰り返し行われる暴力や犯罪、享楽的な性描写などの情報が、子どもを倫理的に麻痺させてしまったことは確かです。これが十倍、百倍になって嵐のように襲う時、どうしようもない人間喪失の社会が実現してしまうでしょう。
」(p.113)

手塚さんは、このように情報の重要性を指摘します。情報とは、映画やテレビ、マンガもそうです。大人が子どもに与えているもの。それが問題なのです。

しかし、これは手塚さんの主張としては矛盾があると思います。手塚さん自身、「鉄腕アトム」などの作品で、多数の暴力を描いています。アメリカにアニメを輸出しようとした時、その暴力性を指摘されたにも関わらず、手塚さんは修正に応じなかったと書かれています。

また、戦後間もないころ、マンガにキスシーンを描いて批判されたことも書かれています。当時の日本の常識としては、キスシーンはそれこそ「享楽的な性描写」だったと思います。正義(価値観)は人それぞれなのですから、一方的な基準で「享楽的」と決めつけるのは、おかしなことだと思います。

自ら暴力を描き、性描写を描きながら、そういうものが子どもをダメにするのだという主張には、少々説得力がないようにも思うのです。


動きというものに性行為と同じような存在感を感じるわけです。
 形にしても、たとえば雲がある形から別の形に移行する、その変化の過程に色気を感じるのです。形が定まってしまうともうダメ。
 だからこそ、動きの色っぽさを追求するためにアニメを始めたともいえます。それでぼくは一種のオナニーをしているのかもしれません。
」(p.166)

こういう告白は好きですね。セックスをタブー視するのではなく、むしろ尊いものとして感じているからこそ、こう言えるのでしょう。「動き」の中にエロティシズムを感じるなんて、とても共感しますね。

「そこになぜエロティシズムを感じるかといえば、そこに生命力を感じるからなのです。動いているという感触があって、なまなましさというか、なまめかしさを感じるのです。」(p.167)

私も、ダンスなどを見るのは好きです。自分では踊れませんが。きっと手塚さんと似たような感覚があるのでしょう。


しかし、地獄へ真っ逆さまに堕ちる悪の魅力、負のエネルギーのすさまじさを知れば知るほど、生命の輝きの美しさ、すばらしさもより鮮やかに浮き上がってくるともいえそうです。」(p.170)

手塚さんは、悪を否定しません。むしろ魅力さえ感じておられます。なぜなら、その背後には生命を感じておられるからのようです。


最後に未来予想を書かれていますが、いったん沈んだ後、また浮かび上がるという未来です。どんなにダメになっても希望を失わないという、手塚さんらしいものだと思います。

善も悪もあって人間。まるごとの人間を、生命そのものを、尊いものとして畏敬する。それが手塚さんの考え方なのだろうと思います。

人間というのは、そもそも矛盾しているものだと思います。そういう意味では、手塚さんのある意味で矛盾した主張というのも、人間らしさということではないかと思います。
 
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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:08 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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