2017年04月10日

「怒り」が消える本



野口嘉則さんのオンラインセミナーで課題図書に指定された本を読みました。著者は水島広子さん。聞き覚えのあるお名前だと思ったら、やはりそうでした。ブログ記事「愛とは、怖れを手ばなすこと」で紹介したもう1冊の本「怖れを手放す」の著者でした。

最近はアンガーマネジメントという言葉をよく聞きます。怒りやイライラから解放されたいという方が多いのだと思います。かく言う私も、実は気が短い方だと思っています。以前ほどはイライラしなくなりましたが、それでもまだ、そういう傾向があります。ですから、期待をもって読んでみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

怒りは「結果」です。「ひどい」と思う何か(原因)があったとき、結果として出てくるのが「怒り」という感情です。「結果」に過ぎない「怒り」を押さえ込もうとすると、かえってひどくなったり、爆発したりすることもあります。
 しかし原因を取り除けば、もちろん結果である怒りもスーッと「消える」のです。
 本書では、その、「原因の取り除き方」をご紹介していきます。
」(p.3)

本の冒頭、「はじめに」の中で、水島さんはこう言います。「怒り」は結果なのだから、原因にアプローチすることが重要なのですね。「怒り」そのものを我慢したり、コントロールしようとしてもダメなのです。


痛みを感じることは悪いことではなく(不快なことではありますが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるものです。
 怒りも全く同じで、怒りを感じることが悪いことなのではなく(不快なことですが)、その「原因」に気づくチャンスを与えてくれるもの、と考えると、「怒り」の感情と前向きに取り組んでいくことができると思います。
 怒りのこうした役割を知ることが、怒りをコントロールする第一歩となります。
」(p.28)

怒りと痛みを比べて、同じようなものだと言います。怒りは、精神的に問題が起こったと感じることで出てくる感情ですから、その原因に気づくチャンスなのですね。だから「怒り」という感情を抑え込もうとするのではなく、チャンスと考えて感謝して、その原因を探る方が得策なのです。


怒りにふりまわされず、怒りを本来の役割通り「対処すべき問題のサイン」として活用するためには、まず「怒りの感情」をそのまま受け入れる必要があります。」(p.35)

ですから、怒りに任せて相手を攻撃したり、怒りが湧いた自分を責めたりしてはいけないのです。「怒りが湧いてきたんだなあ」と受け入れることが重要なのです。感情は感じる(=受け入れる)ことが大事で、対処はその後のことですから。


とにかく、自分がとっさの怒りにとらわれたときには、「単に自分の予定が狂ったから困っているのだ」と思ってみましょう。
 これは、おもしろいくらいに、あらゆる状況に当てはまるはずです。
 そういう視点を持つだけでも、「とっさの怒り」は手放しやすくなります。
」(p.43)

「自分の予定が狂った」というのは、言葉を変えれば「思い通りにならない」ということです。釈迦は「思い通りにならない」ことが世の中の苦しみの原因だと言っています。ですからまずは、怒りに振り回される前に、「自分は何かが思い通りにならなかったから怒ったのだ」と考えてみることなのですね。


電車で化粧をしている人を同じように見ても、ほとんど気にしない人もいるでしょうし、怒りを感じずに、ただ興味深く見つめる人もいると思います。
 これはそれぞれがどれだけ我慢しているか、つまり「我慢度」の問題と言えるでしょう。自分も好きなようにやっているという人の場合、他人の異常な行動に寛容になりやすいのです。
」(p.50)

電車内の化粧とか携帯電話の通話など、それを迷惑と感じるかどうかは人それぞれです。それを「我慢度」の違いだと説明されています。こういうことを理解することも、怒りをコントロールできるようになるには大切なのです。


つまり「怒り」は「困ってしまった自分の心の悲鳴」ととらえることができるのです。この視点の転換はコントロールを取り戻すために大きく役立ちます。」(p.53)

怒っている人は、その問題を自分には対処できないと感じ、「助けてくれー!」と叫んでいるのと同じなのですね。したがって、何かを問題と感じ、それが非常に大きな問題だと思い、自分にどうしようもないと感じた時、怒りはピークになるのです。


自分が期待した通りの役割を相手が果たしてくれていれば、また相手が自分に期待している役割が自分も引き受けたい役割であれば、ストレスはありません。しかし、相手が自分の期待通りに動いてくれなかったり、相手が期待してくることが、「やりたくないこと」や「できないこと」だったりすると、ストレスになります。
 相手との関係の中で「怒り」が起こるとき、そこには必ずこうした「役割期待のずれ」があると言ってよいでしょう。
」(p.56)

相手に何かを期待して応えてくれない(=思い通りにならない)とか、相手が自分が許容できる以上の期待を自分に対してかけてくる(=思い通りにならない)ことが、イライラや怒りの原因となるのです。


多くの怒りが、「相手を変えようとする不毛な努力」の中で起こってきます。
「不毛な」と書いたのは、人は変えることができないからです。
 相手を変えることができると思っていると、怒りから解放された人生を送ることはできません。
」(p.71)

これもよく言われることですね。相手は変えられません。なぜなら、相手は相手の論理(価値観)にしたがっているからです。ですから、相手を変えようとして文句を言ったり、アドバイスすることは意味がないのです。


それでは成長がないではないか、と思うかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。
 人は基本的には前進する生き物なので、環境さえ整えば変わっていきます。人を変えることはできませんが、人が変わりやすい環境を作ることはできるのです。
 ですから、叱って相手を変えようとするのではなく、何が相手の変化を妨げているのかをよく調べて、その障害を取り除いてあげた方が効果的です。
」(p.74)

相手を変えようとするのではなく、相手自身が変わろうとするよう仕向けることですね。


「評価」というのは、自分なりに現実を解釈しようとする試みなのですが、往々にして相手にとっての現実とはずれているものです。それを「あたかも真実のように」相手に押しつけるのは、とても暴力的なことです。」(p.91)

たとえば「仕事人間」とか「だらしない」というのは、相手への評価なのです。それをあたかも真実であるかのように相手に押しつけるから問題が起こります。

相手に伝えるべきは「どうしてほしいか」であり、「自分がどういう評価を下しているか」ではないのです。」(p.91)

相手にレッテルを貼る(=評価する)のではなく、その状況で自分がどうしてほしいかを伝えればいいのです。


主語を「あなた」にして相手の話をすると、必ず相手に評価を下すことになってしまいます。前述しましたが、評価を下されると人は自分を守ろうとしますので、相手に対して協力的になりにくくなります。自分の事情だけを話して、協力を依頼するのが、最も効果的なやり方なのです。」(p.93)

いわゆる、You(ユー)メッセージではなくI(アイ)メッセージで伝えるということですね。相手に強制するのではなく、自発性に任せて協力してもらうのです。


なぜ私たちがあいまいなことを言ったり、間接的なコミュニケーションをしたりするのかと言うと、それは、「直接言うと角が立つ」からです。
 でも本当にそうなのか、ということを見ていくと、そこで「角が立つ」と思われるコミュニケーションは、「君は案外だらしないんだね」というように、「あなたは」式のものであることがほとんどなのです。
」(p.94)

たしかに、直接言うと角が立つと思って、言えないということがありますよね。それを水島さんは、「あなたは○○すべき」のように言うから角が立つのだと言います。これを「私は○○してほしい」と伝えれば、角が立つことは少ないのだと。


自分の事情を話して協力を依頼するのはよいのですが、要求してしまうと、相手を追い詰めることになり、得られる協力も得られなくなってしまいます。
「○○してくれるとありがたいんだけど」という距離感が「依頼」です。相手には断る自由もありますし、協力の形を変えるという選択肢もあります。
 一方、「要求」は息苦しく迫ってくるもので、「○○しなさい」という命令にも近いものです。断る自由も、内容を修正する自由も感じられないことが多く、それを自分に対する脅威と感じて防御したり反撃したりしてしまう人もいます。
」(p.96)

私がどうしてほしいかという気持ちを伝えるにしても、「要求」ではなく「依頼」でなければいけないと水島さんは言います。「要求」だと、相手への評価と同じ意味になるのです。


評価という銃弾に当たらないように、ただ受け流すのが最も安全です。そのためには、「相手の評価に対して、何の評価も下さない」という姿勢がよいのです。
 お勧めは、「ふうん、ダサイと思うんだ」「ああ、そう思う?」などと、発言を受け止めずにただそのまま返す、というやり方です。
」(p.102)

他人から評価を下されて、それを真に受けると、それが怒りになります。ですから、それは他人の勝手な評価だから、好きに言わせておけばいいのです。その言葉の意味を受け止めるのではなく、相手がそう言ったという事実だけを受け止めるのです。

ちなみに、これは単なる切り返し方の話ではありません。評価というのはあくまでも相手が相手の領域内で下しているもの。「ふうん、そう思うんだ」という以上の何ものでもありません。それを「自分への攻撃」と解釈してしまうから、「被害」が生じて、怒りが湧いてくるのです。」(p.103)

評価は相手が勝手にやることなのです。勝海舟は、福沢諭吉の評価に対して、このように返してます。「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張。我に与らず、我に関せずと存候。」毀誉(きよ)とは評価のこと。まさに、「好きに思えばいいよ」という対応でした。


つまり、「被害者でない人は怒りを感じない」と言ってよいと思います。
 ですから、起こってしまった怒りをどうするか、という以前に、そもそも自分は本当に被害者なのか、ということを検証してみるとムダに怒らずにすみます。
」(p.112)

自分が被害にあったことを知らせてくれるのが「怒り」という感情でした。そこで、本当に自分は被害者かと問い直してみることがよいと、水島さんは言われます。

反射的な怒りを感じたとしても、どういう受け取り方をするかは自分で選ぶことができるのです。」(p.113)

反射的に怒ることを防ぐのは難しくても、怒りを相手にぶつけたり、イライラし続けたりしないようにすることはできるのです。その方法が、「本当に被害者か?」と考えてみることなのです。


こうして見てくると、私たちは出来事そのもの(相手の長電話)によって傷つくわけではなく、自分がそこに乗せるストーリー(自分が粗末にされた)によって傷つく、ということがわかります。相手が長電話をしたとしても、そこに「自分が粗末にされた」というストーリーを乗せなければ自分は傷つかないのですから、自分が傷つくかどうかを最終的に決めるのは自分、ということになります。」(p.116)

自分が被害者になるのは、出来事が原因ではありません。その出来事に対して自分がどう解釈したか、どういう意味付けをしたかにかかってきます。つまり、自分で選べるのです。


自分が「被害」に遭った、と思う度に、「そう断言できるほどの証拠がそろっているだろうか?」と考える習慣を身につけるとよいでしょう。
 「ほぼ確実」と感情が言っている場合でも、「本当にそうなのか」「違う可能性もあるのではないか」と考えてみます。
」(p.118)

相手がどう考えているかは、相手に尋ねてみなければわかりませんし、相手が本当のことを答えるかどうかもわかりません。それに、相手の答を誤解することもあります。つまり、どうしたところで真実はわからないのです。

ですから、出来事の解釈には必ず自分の思い込みが入っていると言えるでしょう。それがわかっていれば、自分が勝手に作った解釈だと思えて、怒りを手放すことができるのです。


現実に乗せてしまう自分の「ストーリー」とは、現実に対して自分が下している評価にほかなりません。
 評価は暴力だということを90ページで述べましたが、実は、評価はそれが向けられる相手に対して暴力的であるだけでなく、評価を下している本人にとっても毒になります。
」(p.120)

出来事の解釈そのものが「評価」だと水島さんは言います。そしてそれは、評価した相手に対する暴力だけでなく、評価した自分への毒でもあるのだと。

これは、他人を評価する人というのは、自分がどう見られているかを気にする人だからです。つまり、他人の評価に怯えている人ということです。そういうビクビクした状態でいるわけですから、それが毒だと水島さんは言います。


「自分なりの正義」を主張し続けると、それは必ず他人の正義とぶつかることになります。一人ひとりの事情が違う以上、それは当然のこと。「自分が正しい」と言うと、相手は「こちらこそ正しい」と言います。これは綱引きのようなもので、「自分が正しい」と綱を引っ張った分の力で、相手は引っ張り返すのです。どちらかがやめない限り、綱引きは延々と続き、怒りからは解放されることがありません。」(p.124)

まさに、戦争は互いの正義のぶつかり合いですからね。互いが正義を主張し合う限り、最終的には戦争になってしまいます。


怒りを手放すためには、「正しさの綱引き」から手を放さなくてはなりません。
 それは、「あなたが正しくて私が間違っている」と認めることではありません。「どちらが正しいか」という「評価の次元」から脱するということです。
 もちろん自分の考えを曲げる必要はないですし、大切にしている価値観は大切にしたままでよいのですが、「相手には相手の事情がある」ということを認め、どちらの正義が正しいかを決めない、という姿勢をとるのです。
」(p.125)

正義の比較をしないことは、相手の正義を受け入れるということではないのです。違いがあること受け入れるということです。自分の正義(価値観)を相手に押し付けようとしないということです。


実に読みやすい本で、あっと言う間に読めてしまいました。それなのに、これほど引用したくなるほど、重要なことが書かれています。

怒りをコントロールしたい人はもちろん、よく生きたいと思われている方にもお勧めの本だと思います。

「怒り」が消える本
 
タグ:水島広子
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:07 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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