2017年03月15日

日本はなぜアジアの国々から愛されるのか



ちょっと目を疑ってしまうようなタイトルの本を読みました。「読書のすすめ」で購入した池間哲郎さんの本です。

池間さんは、NPOのアジアチャイルドサポートの代表をされています。私が初めて池間さんのことを知ったのはFacebook上で、東日本大震災の後、日本人を元気づけるような投稿を毎日のようにされていて、それでフォローさせていただいていたのです。

この本のタイトルにある「アジア」とは、反日国である中国、韓国、北朝鮮を除いていると、池間さん自身も語っています。私たちは、マスコミが特に中国と韓国の言い分ばかりを報道するため、アジアの本当の声が聞こえなくなっているのです。

中国や韓国の中にも、日本人を悪く言わない人もいます。しかし、多くは反日教育の影響やマスコミの反日報道、周囲の目などを気にすることで、本当のことが言えないのでしょう。

池間さんは沖縄生まれ沖縄育ちで、本土以上に反日教育を受けてきたとか。ところがアジアを飛び回るようになったら、いかに日本が愛されているかがわかるようになったと言います。それでご自身で歴史を調べなおしてみて、どれほど日本が素晴らしい国かがわかったのだそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

池間さんは、カンボジア人も日本嫌いだと教わってきたそうです。それでカンボジア人たちと食事会をした時、日本を恨んでいるかと恐る恐る尋ねてみたそうです。

全員がキョトンとした。
「なぜ日本人が、そんなことを言うのですか?」と逆に聞かれる。「日本を恨んでいる人は誰もいません。全く反対です。白人たちを追っ払い、アジアのために戦った。多くの日本人が命を失った。徹底的に破壊された日本。日本がかわいそうだと思っていた」
 と年長者が言った。すると全員がうなずいた。
」(p.40 - 41)

1954年、カンボジア政府は、戦争被害に対する対日賠償請求権を放棄すると伝えてきました。日本側はカンボジアの愛ある行為に感謝し、経済、技術面での協力をすると申し出ました。カンボジアとは、こういう良好な関係なのです。

一方、日独伊三国同盟のイタリアは、敗戦1ヶ月前に対日宣戦を行い、一戦も交えていないにも関わらず、戦後、賠償請求してきたそうです。日本は請求は認めなかったものの、一時見舞金として支払ったとか。池間さんは「イタリアよ、恥を知れ!」とひどくご立腹です。


1951年、サンフランシスコ講和会議で、感動的な演説をしたセイロン代表のJ.R.ジャヤワルダナ氏(後のスリランカ初代大統領)のことも取り上げています。

「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」という仏陀の言葉を引用しながら、対日賠償請求権を放棄する演説を行いました。この演説を、池間さんはこう言います。

白人から植民地支配を受けていた人々の思いを代弁した。”ただ一人、白人たちに戦いを挑んだ”日本に対する尊敬の念を持つ演説だった。
 この演説は、当時日本に対し厳しい制裁処置を求めていた一部の戦勝国をも動かしたとも言われ、その後の日本の国際社会復帰への道につながる一つの象徴的出来事だった。
」(p.47)


何度読んでも泣けてしまうパラオの話があります。ペリリュー島に駐留していた日本軍は、現地人とも親しみ合い、島民は日本人を愛していたそうです。そしていよいよ最後の戦いという時、島民たちは日本軍と一緒に戦うことを申し出ました。

日頃、温厚な隊長は、その言葉を聞いた瞬間、激高し、「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」と大声で怒鳴りつけた。「土人?」「一緒に肩を組み、歌を唄った日本兵たちの思いは見せかけだったのか?」「やはり、こいつらは自分たちを見下げていたのだ」と人々は怒りと悲しみで拳を震わせた。
 島から避難船に島民は乗り込む。日本兵は誰一人として見送る者はいない。日本人への怒りと憎しみの思いがあふれる。船が避難先へ向かうため、島を離れた瞬間、日本兵全員が真っ白な砂浜に現れた。死を覚悟した日本兵たちが笑顔で手を振り、「達者で暮らせよ!」と声をかける。一緒に唄った日本の歌を大声で唄っている。涙で顔を濡らす兵士もいる。そして、その先頭には「土人」と自分たちを侮辱した中川隊長の姿があった。
」(65 - 66)

パラオの人たちを巻き添えにしてはいけない。その思いから、あえて恨みを買うような「土人」発言をした中川隊長。だから彼らが戻ってこられないように、船が出ていくまで隠れていたのです。

戦後、パラオはアメリカの統治を受けます。徹底的な反日教育。それでもパラオの人たちは、密かに日本兵の墓を守り、日本語を受け継いできたのです。


アジア各地での支援や調査活動の中で、現地の方々から白人帝国主義の植民地時代の悲惨さを聞いてきた。
 知れば知るほど、日本の先人たちがいかに偉大かが分かる。先人は白人列強の魔の手から日本を守ってくれた。
 当時は、「植民地になるか。植民地にするか」の二者択一しかなかった。幕末から明治、大正にかけての戦い。昭和初期の、敗れたとはいえ、恐ろしいほどの劣勢の中で戦い続けた日本人。
「軍部の暴走」などと非難する日本人もいる。それでも誇りを懸けて戦った先人を心から尊敬している。
」(p.69)

当時の情勢、当時の価値観にしたがうなら、戦うしか方法がなかったとも言えます。そういう中で個々の先人たちは、いかにして日本を守るか、ということを考えて行動したのだろうと思います。


パラオの旧首都コロールとバベルダオブ島の間に、「日本パラオ友好の橋」が架かっています。その橋にまつわるエピソードです。

1977年に韓国建設会社(SOSIO)が日本の鹿島建設の半額で入札し、工事を請け負い、完成させた。しかし、完成直後から中央部が凹み、崩落の可能性が高かった。
(中略)
 そして1996年9月26日に、橋は真っ二つに折れて崩壊した。
(中略)
 コロールの町の機能は完全に麻痺し、当時のクニオ・ナカムラ大統領は国家非常事態宣言を発令。「暗黒の9月事件」と言われるほど、深刻な状態に陥った。
 補償を求めようにも、韓国企業はすでに解散している。困り果てた大統領は、韓国政府に救いを求めるも、「関係ない」と突き放される。パラオでは再建築の費用を捻出するのは不可能だった。
 そこへ手を差し伸べたのが日本。1997年、日本の無償援助で鹿島建設が請け負い、工事が始まった。低品質コンクリートが使われた旧橋の残存土台などは一切使わずに工事が始まる。
 2002年1月完成。「日本パラオ友好の橋」と命名され、日の丸と、パラオの美しい月の国旗が描かれた。
」(p.74 - 76)

相手が困っている時には助ける。それが日本人の美しい心なのだろうと思います。


世界で初めて、「すべての人間は平等である」と宣言した日本に、私は大きな誇りを持っている。
 世は人種差別の真っ只中。有色人種は人間ではないと言われていた時代に、「毅然として立ち向かった」国家が私たちの日本である。
 大正8(1919)年4月11日、フランスのパリ講和会議国際連盟委員会において、「すべての人間は平等である」との「人種差別撤廃提案」を日本が世界で初めて出した。
 白人至上主義がまかり通り、アフリカ、アジアを植民地とする。差別が当たり前、有色人種は家畜だと考え、奴隷状態におき搾取する。それが当然だと思っていた当時の世界情勢から見ると、大変な決意と度胸だったと思われる。
」(p.147)

この提案は、11票対5票の多数で可決されるものの、アメリカ代表のウィルソン大統領が「重要な案件は全会一致でなければ決められない」と主張し、この決定を反故にされます。

白人至上主義による徹底的な差別を知らない現代の私たちが、当時の人の心情を理解するのは難しいかもしれません。けれども、想像してみることはできます。

家畜同様に扱われることが、どれほどつらいことか。そんな中、有色人種の国で唯一、白人の国と肩を並べていたのが日本です。そして、人種差別撤廃を訴えた。他の有色人種の人々から、どれほど期待されたかがわかります。


戦後、GHQは、徹底的に日本文化を破壊しようとします。「道」とつくものはすべて禁止。剣道、柔道などは、できなくなったのです。いかにアメリカが、日本の復活を恐れていたかがわかります。

戦後、県道復活に奔走する国会議員・笹森順造に対して、GHQは条件を突きつけた。米海兵隊最強の銃剣術の使い手に勝てたら復活を許すと。アメリカ兵は本物の剣を付けた銃剣。日本人は古武道剣術の稽古用袋竹刀(四ツ割りの竹を牛皮の良革で包んで作った竹刀)。最初から日本武士殺害を目的とした条件だった。
 そのような不利な条件でも飄々(ひょうひょう)と二つ返事で受けた日本の侍は、福島県出身で鹿島神流の使い手、国井善弥。あらゆる武道家から受けた挑戦にすべて勝利した「昭和の武蔵」だ。
」(p.162)

この戦いは、国井氏がアメリカ兵の首根っこを竹刀で押さえつけて身動きがとれないようにして、完勝に終わりました。これによって、剣道復活の道が開かれたのです。

それにしても、こうまでするかというアメリカのやり方です。これが、世界の、特に白人社会の当たり前だったことを、私たちは忘れてはならないと思います。当時の日本人は、そういう世界の中で、勝ち残ろうとしていたのです。


2004年、当時イラク大統領だったヤワール氏はシーアイランドサミットにおいて、「イラク国民が最も歓迎しているのは日本の自衛隊だ」と絶賛した。」(p.215)

イラク復興支援として派遣された自衛隊を、現地のイラク人は大歓迎したのです。その自衛隊が引き上げる時、こんなことが起こりました。

イラク任務を終了し、自衛隊が撤収を始めると、多くのイラク人が集まり緊張が走る。
 そこで前代未聞の不思議なデモが発生。イラク人たちは拳を振り上げ叫ぶ。しかしその内容は、「自衛隊よ帰らないでくれ。もっとイラクにいてくれ」だった。プラカードには、「自衛隊、ありがとう」と書かれていた。
」(p.216)

恨まれることはあっても、感謝されることの少ない他国の軍隊と比べ、この対応の違いは驚くべきことです。自衛隊の規律の高さや献身的な態度は、東日本大震災の災害支援でも注目されました。これが日本の伝統的な軍隊なのだと思います。


戦争に負けた君主国家の君主が、無事に済まされることはありません。民衆の恨みを買って、処刑されるのが世界の常識です。

アメリカは、戦争に負けた昭和天皇は日本にいられなくなると判断し、ロンドンか北京に亡命させようと考えていた。ところが天皇は亡命どころか、「国民のために自分の命は、どうなってもいい」と覚悟を決めていた。
 その実践が全国巡幸だった。そして広島へと向かう。
 原爆が落とされて2年後の昭和22年。当時は、誰も広島へは行きたがらなかった。「70年間は放射能の影響で草木も生えない」「広島県民と結婚すると子供もできない」と言われていた時代。
」(p.229)

そんな広島へ天皇陛下が行かれた。だから広島県民は大喜びでお迎えしたのです。このことが、広島への偏見を払拭する一助となったことは、間違いないと思います。


私はタイで暮らしていますが、タイもまた親日国家です。周りのミャンマー、ラオス、カンボジア、ベトナムなども、親日国家です。なぜアジアの国々は親日なのか? その理由が、この本を読むとよくわかります。

それは日本人が持っている徳によるものだと思います。困っている人がいたら助ける。相手を思いやる。規律を守る。そういう日本人が多かったから、日本は愛されたのでしょう。

では、これからの日本は、世界から愛される国であり続けるのでしょうか? そのためには、現代を生きる私たちが、徳を持って生きなければならないと思います。そしてそれを、子孫に伝えていくことも重要でしょう。そのためにも歴史を正しく学ぶことが大切なのだと思います。

日本はなぜアジアの国々から愛されるのか
 
タグ: 池間哲郎
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:06 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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