2017年03月13日

扉を開けろ



Facebookで作家の喜多川泰さんが絶賛されていたので、どんな内容かもわからず、「読書のすすめ」さんでこの本を買いました。一般書店には売ってないということだったと思いますが、今はアマゾンでも扱っているようですね。

著者は高久多美男(たかく・たみお)さんです。本の内容は、小西忠禮(こにし・ただのり)さんという料理人の伝記と言えます。

「小西忠禮の突破力」という副題があるように、小西さんは不可能を可能にしてきた人生を送ってこられました。まだ海外旅行が一般的ではない1960年代に、単身でフランスに渡航し、名門ホテルのリッツに職を得ました。それだけでも奇跡的なことだと言えるでしょう。

そこからは、いろいろな店で修業を重ね、日本でも有名なホテルのシェフとして腕をふるうことになります。しかし、小西さんの人生はそこで終わりません。本の帯には、こう書かれています。「ひとつの人生で、ふたつの仕事を全うする。」幼稚園の経営を託され、今も大人気の幼稚園を運営されています。

小西さんが、どうしてそういう人生を送ることになったのか? 不可能と言われる扉をこじ開けられたのは、小西さんが何をしたからなのか? そういうことがよくわかる内容で、一気に読んでしまいました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

小西さんは、若くして両親を失い、兄弟の家で養われました。しかし、図体が大きく大飯食らいだったこともあり、いろいろ苦労もあったようです。中学の時は、新聞配達のバイトをして、お兄さんの家計を助けたりもしました。

高校になってバレー部に所属しました。活躍したこともあり、卒業時には松下電器と関西大学から招かれました。しかし、合同合宿に行った後、小西さんはこの招きを断ることに決めました。その理由を、こう語ります。

「そやけど、コートの周りは女の子ばっかりでな、黄色い声で選手を応援しとるの見て、こんな世界におったらあかんようになるって思ったんや」
「なんや、女の子に目がくらんでしもうたんか」
「それだけやない。冷静になって考えたんやけど、どんなに練習してもだれもが成功するわけやない。もし、トップレベルの選手になっても、華やかな時代はすぐに終わってしまう。
」(p.24 - 25)

これが高校3年生の思考かと思うと、驚かざるを得ません。いかに老成していたかと。これには、早くに両親をなくして苦労したことと、キリスト教の教会で聖書を学んだことが大きく影響していたようです。


バレーを諦めた小西さんは、料理人になろうと思って料理専門学校に1年通います。そこで薫陶を受けて、フランスのリッツで修行しようと目標を定めます。稼いだ給料のほとんどを貯金し、26歳で渡航を決断します。

ところが、パスポートがとれません。今とは違い、いろいろ条件があったのです。ひかかったのは、往復のチケットがなかったこと。片道分しか買えなかったのです。

それでも小西さんは諦めずに、領事館へ通います。なんとかしてパスポートを発行してほしいとくらいついたのです。

領事館に通い始めて三ヶ月後、けっして例外を認めないはずの役人が折れた。
「わかった。しかし、条件がある。日本国に恥をかかせるようなことはしないこと。野垂れ死にされても困るよ。わかったね」
 小西の執念と一人の役人の柔軟な判断が、ひとつの例外を作った瞬間だった。
」(p.35)

フランスでも小西さんは、この方法でリッツの門をこじ開けます。ただし、1年半かかっていますが。それでも、こうと決めたら実現するまで諦めないということが、扉をこじ開けるのですね。


小西は後に「人生はどういう人と出会うかによって大きく決まる」と述べているが、そういう出会いを引き寄せるのは、あくまでも本人だ。古今東西のどんな偉人も、けっして自分の力だけで事をなしたわけではない。必ずキーマンとの出会いがある。小西の半生を概観しても、人との出会いによって難しい局面を打開していることがわかる。力の限りを尽くしてもどうにも開かない鉄の扉を開ける方法は、偶然としか思えない出会いの力を借りる以外にはないのだ。」(p.71)

粘ればなんとかなる、という単純なものではないのですね。粘った末に出会いがあり、その出会いによって引き上げられるのです。

だから人脈が重要だという人もいますが、小西さんは最初から人脈を作ろうとしていたのではなく、結果として人脈ができています。そこが重要なポイントではないかと思います。


小西さんは、パリのリッツで修行をして数年、日本で万博があるということを知って、そろそろ日本へ帰ってみたいと思うようになりました。しかし、そんなにお金があるわけでもありません。ただ「帰りたいな」と口にしていたら、同僚が素敵な情報を教えてくれました。フランス館で働くシェフを募集していたのです。

小西さんは、これに応募します。そんなに簡単に受かるとは思えない話ですが、小西さんはこれで帰ると決めたのです。

このとき小西は、「フランス政府の派遣として日本へ行って、万博会場で日本の人たちに本場のフランス料理を披露する」と心に決めた。「自分はこうなりたい」と考え、それを遂行するため、愚直に突き進むことにおいて、彼は天才的でさえある。」(p.87)

宣言して行動する。それが小西さんの夢を実現する方法なのだと思います。この後、小西さんが夢を語ることで、また協力者が現れます。その協力で、みごとにこの職を手に入れることができたのです。


30歳を前に、小西さんは育ててくれたリッツを去ることを決意します。そのとき小西さんは、感謝を胸にしながらお願いをしました。

退職金もなにもいりません。ただ、ひとつお願いがあります。ここで働きたいという日本人がいたら、受け入れてほしいのです。一人、あるいは二人、日本人のために枠を設けていただけませんか」(p.98)

自分の損得ではなく、他の人のために何かを残したいと思う。それが小西さんの生き方だったのです。小西さんのこういうお願いもあって、それ以降の日本人が、容易にフランス料理を学べる環境ができたと言えるでしょう。


そのとき、村上信夫から言われたことが、小西の根っこを地中さらに深く伸ばした。
「小西君、一日一時間でも、いや三十分でもいいから本を読みなさい」
」(p.199)

帝国ホテルの総料理長からアドバイスされて、小西さんはそれを愚直に守ったそうです。だから今でも、読書の習慣があるのだとか。小西さんは、こんなことも言われています。

私の友人である喜多川泰さんの『書斎の鍵 父が遺した「人生の軌跡」』(現代書林)を読むと、なるほどと刮目させられます。同じテーマを扱っても、仕上がった本は作者によって内容ががらりと変わります。料理と同じです。ひとつとして同じものはない。その人にしかない体験があり、主義主張がある。」(p.199)

喜多川さんがこの本を勧められる理由がわかりました。小西さんと知り合いだったのですね。


小西さんは渡仏の前に、人生の羅針盤として十ヶ条を作ります。20歳代にしては奥の深い人生訓ですが、それはキリスト教の教えから得られたもののようです。

その中に、「たぐり寄せる行動を取る」という項目があり、これについて小西さんはこう語っています。

私に起こる出来事はすべて必然だと思っています。出会いも必然です。自分にとって必要だからやってくる。あるとき、両親が早く亡くなったのは、それが将来、自分にとって必要だったからだと思えるようになりました。」(p.204)

両親との別れがあったから、人情に触れることができた。そして、その後、自分を支えてくれる人たちとの出会いにつながった。すべては必然だったのだと、小西さんは言います。


これをすると決めたら、後は愚直に行動するのみ。そのとき、できない可能性を考えない。それが小西さんの、扉を開く方法のように思います。そしてその時は、素晴らしい人との出会いを伴っている。

人生の転機もまた、導かれるようにやってくる。小西さんが幼稚園経営に進んだのも、そういう導きがあったからでした。だから安心して、人生に委ねていればいいのだなと感じました。

扉を開けろ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 02:28 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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