ひすいこたろうさんの本を読みました。この本は、前に紹介した「絶望は神さまからの贈りもの」の続編になるのだそうです。24人の偉人伝も感動しましたが、本書もきっと、たくさんの感動があると思いました。だって帯に「3万人が泣いた!」と書かれていますから。
読んでみると、10人の偉人に絞って、その人の生きざまを深くえぐり出したようなものになっていました。そして、それぞれの章で、たっぷりと泣かせていただきました。ひすいさん、すごいわ。もうお手上げです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
最初は、KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)の創設者、カーネル・サンダース氏の逸話です。フランチャイズのスタートは65歳からで、1009回のNoから始まったと、有名な話があります。
サンダース氏は「自分に特別な才能があったとは思えない」と言っています。実際、30歳になっても天職が見出だせず、転職を繰り返していたのです。では、どうして成功できたのでしょう? それを自分でこう言っています。
「成功できた最大の要因は一生懸命働いたことだ」(p.31)
職は転々としても、どの仕事でも一生懸命働いたのだそうです。ではサンダース氏は、どうして一生懸命働くようになったのでしょう?
それは10歳の時、農場の手伝いをしたところ、他のことに気を取られて仕事がおろそかになり、農場主から怒られてクビになったことがあったのだそうです。家計を助けて母親を喜ばせようとしたのに、逆に落胆させることになってしまいました。
この時、サンダース氏は決意したのだそうです。もう二度と、母親を悲しませないと。それからは最後までやり抜くことを誓い、一生懸命に働く習慣を身に着けたのです。
「ワシはただ二つのルールを守ってきただけなんじゃよ。
できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ。」(p.32)
実際、やったことのない飲食業に足を踏み入れたのは、ガソリンスタンドに来てくれる客から、美味しいレストランを紹介してくれと言われたのがきっかけでした。近くに、美味しいレストランがなかったのです。だったら自分がやったらいい。そう考えたのですね。
その後も、サンダース氏はすべてを失うという経験をします。しかし、その挫折こそがKFCの成功につながっていると、サンダース氏は言います。
「サンダースは教えてくれた。
幸運が伝説をつくるんじゃない。
才能が伝説をつくるんじゃない。
若さが伝説をつくるんじゃない。
情熱こそが伝説をつくるんだと。」(p.39)
昨年12月に観た映画「海賊とよばれた男」のモデル、出光興産の創業者、出光佐三氏の物語もありました。映画である程度は知っていましたが、それでもひすいさんの切り口で迫られると、また感動して泣いてしまいました。
日本は、イランとの関係が良い先進国です。なぜイランとの関係が良いのか知らなかったのですが、こういうことがあったからかなあと改めて思いました。
それは、イランの石油を国際石油メジャーが牛耳っていた時のことです。利益はイギリスに持っていかれるだけで、イランは貧しいままでした。石油の販売権を取り戻す。イラン政府がそう動き始めた時、イギリスはこれを妨害してきたのです。
イランから石油を買って運ぶ船は、見つけ次第撃沈すると脅しました。イラクとイランが戦争した時、イラクがイラン上空を飛ぶ飛行機を撃ち落とすと警告したのと同じですね。そういう酷いことを、イギリスはやっていたのです。
世界の石油利権は、ほとんどメジャーに押さえられていました。それに対して反旗を翻したのが出光興産だったのです。そして、自前のタンカー日章丸を使って、危険を顧みずにイランから石油を運ぶことにしました。
なぜ出光氏はそんな危険なことをしたのか? 他に競争相手がいないから、儲かると考えたのか?
「自分たちのため……そんなちっぽけな目的じゃ命を張れはしない。
貧窮するイラン国民のため。石油をセブン・シスターズの独占から守るため。そして日本国民のため、です。」(p.55)
自分たちの儲けが重要なのではなく、そこに義があるかどうかが重要でした。そのために命を懸けたのです。
イランのモサッデク首相は、次のような言葉を語ったそうです。
「日本がイランの石油を買う決心をされたことは感謝に堪えない。日本はイランの救世主であると思っている」(p.60)
「日本人の偉大さは常にイラン人の敬服の的であり、その勇猛果敢な精神に感嘆している」(p.60)
一民間企業が、大英帝国を相手に戦って勝ったのです。イギリスは抗議しましたが、その後の裁判でも出光興産は勝利しました。こうしてイランは独自に石油を売って国民を潤す手段を得、日本もまたメジャーに独占されない石油を手にしたのです。
出光氏は、一度も「金を儲けよ」とは言わなかったそうです。その代わりに言ったのは、「人を愛せよ」だったとか。
「佐三にとって仕事とは、人のために生きられる、愛の人を生み出すための手段だったのです。
だから、アメリカへ石油の販売に行く社員には、こういっています。
「君たちは、米国に油を売りに行くのではない。日本人の姿というものを、米国人に示してもらいたい。お互いに譲り合い、助け合い、仲良く一致団結して働く日本人の姿を、米国人に見せてくるんだよ」と。」(p.63)
敗戦の日の1945年8月15日、日本中が失意のどん底にあった中で、出光氏だけが違っていました。
「「さあ、これからは、僕がアメリカと戦争をする番だ」
佐三はこう思っていました。
「日本は負けたのではない。日本の真の姿を全世界に示す絶好の機会が訪れたのだ」」(p.44)
出光氏が仕掛けた戦争は、日本の素晴らしさを世界中に知らしめることでした。日本人の心を伝え、世界中が仲良く幸せに生きる平和な世を築くことでした。
そういう日本人がいたことを、私はとても誇りに思うのです。
他にもマイケル・ジャクソン氏、安藤百福氏、高杉晋作氏など、感動的な物語がたくさんありました。一つひとつ紹介したいところですが、このくらいにしておきます。
私が感動したのは、やはり自分の将来の生活のことを考えるのではなく、周りの人々や国民全体、さらには世界中の人々のことを考えて、困難を乗り越える姿です。それが義務だからではなく、そうするのが自分らしいから。
そして、あとがきに書かれたこの本が生まれるエピソードも、とても感動的でした。人がいるところ、至る所にドラマがあるのですね。ぜひ、多くの人に読んでいただきたい本です。
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