前にも紹介した本ですが、みやざき中央新聞の魂の編集長こと水谷もりひとさんの本を改めて読みました。これは、水谷編集長が同紙に載せた社説を選りすぐってまとめた本になります。
前に紹介した記事は、「日本一心を揺るがす新聞の社説」と「厳しい状況の時は前向きになれるものを」になります。それと、「たった数ページの新聞に泣きました」でも紹介しています。もう4年以上も前のことだったのですね。
私は、この本によって、同紙の存在を知りました。それから同紙を購読しています。今現在は、かなりの読者がいるようですが、当時は、この新聞社を応援してもっと読者を増やしてあげたいな、という気持ちになったのです。
今は、同紙を応援したいというより、この素晴らしい新聞を多くの人に知ってもらいたい、という気持ちです。それだけ素晴らしい新聞だからです。今回も、「みやちゅう(みやざき中央新聞の略)」を知ってほしくて、いつも本を寄贈する「サロン文庫」のために、改めて購入したのです。そのついでに、読み返してみたというわけです。
ここに紹介された社説は、どれもこれも素晴らしいものです。とても考えさせられます。なので、これがもっとも素晴らしいと紹介することができません。今回は、本をパッとめくって開いたページの社説を運命と思って、その内容を紹介することにしましょう。まずは、最初に出版された第1集からです。
平成22年8月、宮崎の口蹄疫事件が収束したことを取り上げた社説です。あの時、健康だった牛や豚も含めて、約29万頭が殺処分されました。
社説では、口蹄疫は人畜無害であることを説明してます。
「よくよく話を聞いてみると@口蹄疫は人に感染しないA口蹄疫に感染した牛の肉を食べても問題ないB口蹄疫に感染してもその牛が死に至る確率は非常に小さいC口蹄疫は治る病気である、ということがわかった。途上国では口蹄疫の牛が出ても、しばらく放っておくと治ってしまうそうだ。」(p.124)
では、なぜ感染していないかもしれない牛や豚まで、殺処分しなければならなかったのか? それは、病気の恐さが理由ではなく、経済的な事情だと言います。
口蹄疫が発生した国は、「汚染国」と認定されます。そうでない国は「清浄国」です。汚染国から清浄国への、牛や豚の輸出はできない規則があります。汚染国同士なら、問題なく輸出できます。
このような規則があるために、いったん「汚染国」と認定されると、清浄国(たいていは先進国)への輸出ができなくなるのです。つまり、高価な和牛を買ってくれる豊かな国への輸出が不可能になります。だから、大量に殺処分してでも、口蹄疫の感染を宮崎県内に押さえ込むことが必要だったのです。
口蹄疫の終息が宣言された時、第一例を発見した獣医師の青木準一さんは、宮崎県を訪れた与党の幹事長に次のように言ったそうです。
「口蹄疫がなぜ国を滅ぼすと言われているかというと、国の経済を揺るがす問題だからです。そして、それを止めたのはこの農家の方々です。国を守るためにワクチンを打って殺処分したんです。……宮崎が国を守ったんです。だから、これからの復興も国策として取り組んで下さい」(p.123)
殺処分された中には、後世に残したかった品種の牛もいました。それを殺さなければならないとわかった時、その農家の方の苦悩はいかばかりだったでしょうか。宮崎の農家の方々の苦悩を伴う決断によって、日本の畜産業が救われたのです。
罪もない牛や豚たちの命を考える時、殺すのが本当に良いことなのか、いろいろと考えたことでしょう。どう考えたとしても、その答には矛盾をはらみます。その中で、日本の経済を守ることを第一優先として選んだのです。
その選択が正しいかどうかは、その人の価値観によるでしょう。しかし、その決断によって、他の畜産業の方たちが経済的に苦しむことはなくなりました。そして、日本の経済が落ち込むこともなかったのです。
続いて、第2集からです。
小林正観さんの話からです。正観さんが、ある社長さんの話を聞かれたのだそうです。社長さんは意識不明となった時、三途の川まで行ったのだとか。その時、三途の川に着くまでに、自分の人生がどういうものだったか答えられるようにしておけと、どこからともなく聞かされたそうです。
自分一代で財を成した社長さんですから、あれやこれや苦労話を考えられたそうです。ところが、いざ三途の川に着いてみると、このように尋ねられたのだとか。
「川べりに着くと、こんな声が聞こえてきた。「あなたは自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?」」(p.93)
想定もしていなかった質問に、社長さんは慌てます。頑張ってきたことはたくさんあれども、楽しんできたことが思い浮かばなかったからです。仕方なく人生を楽しんでこなかったと答えると、「やり直し!」と言われて、その瞬間に生き返ったそうです。
楽しむとは、快楽を追い求めることではなく、周りから喜ばれることなのだと言います。つまり、いかに幸せを感じているかですね。
社説の最後は、こう締めくくっています。
「「楽しさ」とは、日常の中の親子や夫婦、友だち、お客さん、同僚など、周りの人間関係の中に見出すものだ。そういう人たちと楽しい思い出をたくさんつくろう。いつか「この世」をちゃんと卒業できるために。」(p.95)
人生は楽しむために存在します。ただ苦しんで頑張るのではなく、楽しいから頑張るのです。誰かを幸せにしたいから、誰かの笑顔が見たいから、そして自分が笑顔でいたいから、楽しんで頑張るのだと思います。
こんな素晴らしい社説が、それぞれ41編と43編収められている本です。これを読めば、みやざき中央新聞のファンになってしまうこと間違いなしですね。
