2017年02月11日
少女パレアナ
およそ20年ぶりか30年ぶりか忘れましたが、久しぶりにこの本を読みました。私にとっては見方を変えることの原点ともなった小説、「少女パレアナ」です。トイレ掃除で知られたイエローハット創設者の鍵山秀三郎さんが紹介していたので、この本を買って読んだのでした。このブログでも、「少女パレアナ」という記事で、この本を紹介しています。
なぜ今になって改めて読んだかと言うと、「読書のすすめ」さんへ行った時、たまたま見つけたからです。それも4〜5冊まとめて置いてあったので、とても目立ちました。「懐かしいなあ。読んでみたいな。」という直感にしたがって、購入したのです。
著者はエレナ・ポーターさん。翻訳は村岡花子さん。1962年夏、私が生まれてほぼ1年後に日本で出版された作品です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「あなたはなんでも喜べるらしいですね」あの殺風景な屋根裏の部屋をも喜ぼうとしたパレアナの努力を思いだすと、少し胸がつまってくるような気がしました。
パレアナは低く笑いました。
「それがゲームなのよ」
「え? ゲームですって?」
「ええ、『なんでも喜ぶ』ゲームなの」
「いったい、なにを言ってらっしゃるんです。それは?」
「遊びのことを言っているのよ。お父さんが教えてくださったの。すばらしいゲームよ。あたし、小さい時からずうっと、この遊びをやってるのよ。婦人会の方たちにもお話したらね、やりだした人もあるのよ」」(p.41)
パレアナが普通の女の子と違うことに気づいたメイドのナンシーは、こうやって「なんでも喜ぶゲーム」のことを知ります。
最初は、人形が欲しかったのに松葉杖が贈られたことから、このゲームは始まりました。パレアナのお父さんが、この贈り物(松葉杖)から何が喜べるか考えてみようとパレアナに言ったのです。
そしてお父さんはパレアナに、松葉杖を使わなくていい丈夫な2本の足があることが喜べることを、パレアナに伝えたのでした。それが、このゲーム(遊び)の始まりだったのです。
「はい−−楽しめとか喜べとかいうのが。それでお父さんはその八百に『喜びの句』という名をつけましたの」(p.196)
教区の運営がうまくいかなくなっていたポール・フォード牧師は、厳しい言葉で教会員たちの心を正そうと思っていました。そこでパレアナと出会い、パレアナの父(牧師)がどうしたかという話を聞いたのです。
パレアナの父は、聖書には800もの「大いに喜べ」というような句があると気づき、上手く行かないときでも「喜ぶ」ということを心がけて、その難局を乗り越えたそうです。そういう経験から、「なんでも喜ぶゲーム」が生まれたのだと。
「町じゅうがこの遊びをして、町じゅうが前よりもおどろくほど幸福になっている−−これもみな、人々に新しい遊びとそのやり方を教えた、たった一人の小さな子供のおかげなのだよ」(p.264)
パレアナは交通事故で下半身不随になりました。そして、自分では「なんでも喜ぶゲーム」ができなくなっていたのです。その時、パレアナの影響を受けて「なんでも喜ぶゲーム」を始めた町じゅうの人々が、パレアナを喜ばせようとして、自分がどう変わったかを伝えに来たのです。
たった1人で始めたことが、周りの多くの人に影響を与えるのですね。そして、自分が与えた影響によって、今度は自分が救われることになったのです。
ただ、自分が喜ぶことを考えた。どんなにつらいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、ただ喜ぼうとした。それも義務ではなく、ゲーム(遊び)として楽しもうとした。そのことによって、自分の人生だけでなく、周りの人々の人生も変わっていくのです。
小林正観さんは、こういうことを言われています。
「喜んでいるあなたを喜んでいる私。
喜んでいる私を喜んでいるあなた。
喜ぶだけで徳を積む、随喜功徳」
(「宇宙を解説百言葉」p.208)
ただ、自分の状況を喜び、楽しんでいればいい。そんなことを、改めてパレアナから教わりました。
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