2017年01月30日

大地がよろこぶ「ありがとう」の奇跡



小林正観さん「ありがとうの奇跡」を買おうとして検索した時、この本も表示されました。自然農法に興味があったこともあり、何となく惹かれるものを感じて、この本も注文してみたのです。

著者は村上貴仁(むらかみ・たかひと)さん。佐々木ファームの代表で、「ありがとう農法」を実践し、広めておられる方でした。本を読んでわかったのですが、村上さんは正観さんの影響を受けて、「ありがとう」と言うことを実践されたようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「ありがとう農法」は、私が実践している作物のつくり方であると同時に、私自身の生き方でもあります。」(p.34)

畑の作物にも、さまざまな試練があります。雨が続いたり、干ばつだったり、暑かったり、寒かったり、虫に食べられたり、病気が発生したり。しかし彼らは、それに対して、いちいち嘆いたり、愚痴を言ったりはしません。畑の調和を大切にし、お互いに支え合いながら、自分が輝くために一生懸命に生きています。
 そのような姿を見ていると、自分も地球の上にいる生き物として、彼らと同じように生きたいという気持ちになってきます。同じ命として、私にもたくさんの試練があるけれど、それは私の命が輝き、まわりの命たちの役に立つためなのだと思えてきます。
」(p.35)

村上さんは希望を持って農業の世界に飛び込むものの、思ったようにならずに悩み、家族が崩壊しそうになり、自分自身もうつ病状態になります。その上、息子の大地くんが突然亡くなったり、奥さんがいつ死んでもおかしくない病気になります。

そのようなたくさんの試練を経て生まれたのが、「ありがとう農法」なのです。


あるとき、「ああ、そうだったんだ」と、ひとつの答えが出ました。
 まわりの人が亡くなっていくことが、結果として自分の学びにつながっているということは、何となくわかっていました。でも、それだけじゃないことに気づいたのです。私は、だれもができるわけではないような体験をすることで、人の役に立てる人間にならなければならないんだとわかりました。
」(p.56)

身近な人が次々に亡くなっていくという人生を通じて、村上さんは悟られたのですね。ただ自分の学びにするだけではなく、それを他の人に伝えていく使命があるのだと。多くの苦難に見舞われる人には、そういう使命があるのだろうと思います。


さゆみの病気を通して、本当の覚悟を得ることができました。大事なのは、いつでも死ねるということではなく、いつでも死ねるという覚悟をもちながら、生きられる限り生きて、人の役に立つことをやるということなのです。」(p.63)

ネフローゼでいつ死んでもおかしくない状態で奥さんは、治ったら全国の難病の人に話をして、励まして回りたいという希望を語ったのだそうです。それを聞いて村上さんは、ただ死ぬ覚悟だけじゃだめなのだと自覚されたのです。

そのときの彼女の気持ちは、
「何でもかんでもがんばらなきゃと思ってきました。でも、もうこれ以上がんばるのは無理だわ、がんばることを手放して身をゆだねようと、心の底から思いました」
 ということらしいのです。
」(p.37)

奥さんは、頑張るだけ頑張って、もう無理だと思った時、やっとその頑張りを手放すことができたと言います。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ですね。


何だよ、奇跡なんて、自分のまわりに山ほどあるじゃないか。そんなことに気づけたのです。そうしたら、「ありがとう」を言うのが、うれしくて楽しくて、何を見ても、何があっても、「ありがとう」が口から出るようになりました。」(p.84)

正観さんの影響を受け、36万回の「ありがとう」を実践された村上さんは、このように気付かれたと言います。

周りの物に「ありがとう」と言っては気持ちよくなる。家族に対しても、「ありがとう」と言いたくて仕方がない。生きているだけで100点満点なのに、「おはよう」なんて挨拶してくれたら、それが200点にも300点にもなる。幸せでたまらなくなったそうです。


そんなとき、はっと、大事なことに気づかせてもらいました。
「命には、見える命と見えない命があるんだ」
 そんなことを思いながら、腐ったレタスを、愛おしそうに見ているわけです。
 どういう意味かというと、レタスとかキャベツとか虫というのは、見える命ですよね。でも、病原菌とかカビは、目に見えない命です。でも、病気になって腐ってきたレタスというのは、病原菌やカビという見えない命を見えるようにしてくれているんだと思えてきたのです。
「見えない命が見えた!」
 私は、うれしくなってきて、病原菌やカビという見えない命が、レタスが腐るということで見える命になってくれたことに、感謝できるようになってきました。
」(p.96 - 97)

私たちにとって、一般的には不要なものと思いがちが病原菌やカビなどの存在も、命の一部だと感じたのですね。その命の息吹が感じられたことが、村上さんにとって嬉しくてたまらない出来事だったようです。


自分が幸せじゃないと思っている人は幸せにはなれません。幸せだと思える人だけが幸せになれるのです。だから今、どんな状況にあったとしても幸せだと思うことが、幸せへの近道です。どんなことがあろうと、「ありがとう」なのです。」(p.122)

自分が思ったことが現実を引き寄せます。このとき、脳は否定語を理解できないので、「疑わない」ではなく「信じる」というように肯定形で思うことが重要だと言います。


自分に都合の悪いことでも喜べるのがありがとう農法です。それは、いくら人間に都合の悪いことであっても、そこには、命の躍動があるからです。それを見つけたときの喜びが、ありがとう農法のエネルギーになります。困った、どうしようという思いは、ありがとう農法には似合いません。」(p.133)

まずは、現状を肯定することから始める。その中に、命の躍動を見つけ出す。それが「ありがとう農法」なのですね。仮にそれで、野菜が思ったように育たなかったとしても、そこにまた命を見つけ、命の生かし方を考える。それが私たちの役割なのです。


植物、虫、微生物が、それぞれ単独で無毒化をしているわけではありません。チームを組んで、協力をし合いながら、豊穣を守っているのです。すばらしいシステムです。彼らは、自分たちの存在理由を知っているのだと、私は思います。だから、命と向き合い、命がけで、豊穣を守ります。
 私たち人間も、本当はその一員となって、一緒になって豊穣を守ればいいのですが、なかなかそれができません。せめて、「ありがとう」のひと言くらいはかけたいものです。
」(p.139 - 140)

自然は、人間の自己治癒能力と同じように、豊穣を守る能力があると言います。毒素が現れたら、それを浄化するシステムが備わっているのです。それを担っているのが、雑草や虫、微生物といった存在なのです。

ですから、私たちには理解できないことがあったとしても、豊穣を信じることですね。自然は、そのままで豊穣なのだと。そうすれば、少なくとも無理やり邪魔をすることはなくなります。積極的に協力できないとしても、豊穣を信頼して、感謝すればいいのです。


もっと大きくなればいいのにとか、真っ直ぐになればいいのにとか、そうじゃなくて、ありのままの命を認めること。それがありがとう農法なのです。」(p.209)

これは子育ても同じだと村上さんは言います。自分の思い通りに育てようとするのではなく、その子が伸びるのを邪魔しないことが重要なのです。そして、その子のありのままを受け入れ、それをどう生かすかを考えてあげれば良いのですね。


苦しみやつらさというのは、畑で言うなら、害虫と言われて殺される虫たち、雑草と呼ばれてむしり取られる草たち、病原菌と毛嫌いされる微生物たちと同じです。ないほうがいいと思われています。邪魔者扱いされています。しかし、ありがとう農法という”農業”には、害虫も雑草も病原菌もありません。すべてがありがたい命です。同じように、ありがとう農法という”生き方”では、苦しみもつらさもありません。すべてがありがたい体験なのです。」(p.223)

すべてがありのままで素晴らしい。すべてがそのままでありがたい。それが「ありがとう農法」という農業であり、生き方なのですね。


偶然に出合った本でしたが、あまりに素晴らしくて感動しました。そして、シンクロがありました。今週号の「みやざき中央新聞」で、村上さんの講演録の連載が始まったからです。驚きました。

「ありがとう農法」は、木村さんの「奇跡のリンゴ」ともオーバーラップする内容だと思います。自然のままで豊穣だという考え方です。そしてこれは、単なる農業の方法ではなく、農業を通じた生き方なのだと感じました。

大地がよろこぶ「ありがとう」の奇跡
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:42 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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