2017年01月27日

運命をひらく



本田健さんの新刊を読みました。内容もよく知らずに買ったのですが、健さんによる松下幸之助氏の教えを解説した本のようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

松下氏は、災害が起こった時に便乗値上げするようなことをせず、相手が困らないようにということを常に心がけていたようです。

でも、商売のためにそれをやったというよりも、取引先の人が心から大事だったから自然とそういうことをやったのだと思います。
 家族を早くに亡くした幸之助にとって、社員は家族、取引先は親戚のような存在だったのかもしれません。
」(p.51)

松下氏は8人兄弟姉妹の末っ子として生まれています。父親は11歳の時、母親は18歳の時に亡くしました。そして26歳で天涯孤独となったのです。愛したくても、その家族はもういない。だから松下氏は、仕事の関係者を家族のように思い、愛そうとしたのかもしれません。


松下氏は、誰に対しても丁寧だったと言われます。若い記者が尋ねて行った時も、部屋の入口まで見送って、深々とお辞儀をされたとか。そういうことで、松下氏のファンになる人が多かったようです。

では松下氏は、それを計算ずくでやっていたのかと言うと、どうもそうではなさそうだと健さんは言います。それが、万博の松下館を作った時、視察に来た松下氏のエピソードでわかるのだと。

道路から桟橋を渡って松下館に入るのですが、松下氏はそこを歩きながら「下駄はないか」と言われたそうです。そしてその下駄を履いて確かめるように歩かれ、こう言われたそうです。

万博には田舎からお年寄りも来られる。下駄ばきの人もいるはずだから、この階段はその人たちにも安全でないといかん。君らは確認したんか」(p.125)

さらには自ら入場待ちの行列に並ばれて、どのくらいで入場できるのか、その間に不都合なことがないだろうかと確かめられたそうです。そして、夏に備えて日除けを用意することと、待ち時間を短くするために誘導を考えるように指示されたそうです。

いかに親身になって、来場客のことを考えていたかがわかります。


松下氏は命令して指示するより、質問をよくしたそうです。「君はどう思う?」「なんで、そうなんや?」この2つの質問が多かったと、側近の方は言われています。

それは、相手に考えさせて自発的に動かすための手法のようにも思えますが、健さんは、松下氏が純粋に知りたかったのではないかと言います。学歴がなくてものごとをよく知らないと、松下氏は本当に思っていたのではないかと。だから、人に教えを請う気持ちが強かったのだろうと言うのです。

ただよくよく考えてみると、幸之助は、相手を諭すために質問したのではなく、やはり自分の見方がずれているかもしれないという前提で、人に聞いていたのだと思います。
 また、質問するときに、たえず正解を求めていたわけではなく、相手はどういう考えを持っているのだろうと思って聞いたのでしょう。
」(p.142)

また松下氏は、何かを指示する時も「君、これやってくれるか」と、質問の形で依頼したそうです。このことも、部下に主体性を持たせることにつながっているのだろうと思います。


松下氏は、他の人の話を真剣に聞いたそうです。それによって学ぼうという気持ちが、本当に強かったのでしょう。

会社の会議でも、椅子にやや浅めに座って、正座するようにぴしっと背筋を伸ばして、発言する人の意見を聞いたそうです。そして、人の話を聞くときは、その人の目をじっと見て、真剣に耳を傾けたといいます。
 幸之助に話を聞いてもらただけで、感激する人が多かったのは、彼の傾聴する姿勢ゆえでしょう。
 質問の答えをじっくりかみしめてから、「おおきに。大変参考になりました」と言うことが多かったそうですが、言われた人はみんな大感激です。
」(p.172)

相手を大切にする気持ち、すべてから学ぼうとする気持ちが、本当に強かったのだろうと思います。


経営の神様と言われる松下氏ですが、常に順風満帆だったわけではありません。むしろピンチや逆境の連続だったと言えそうです。そういう時の対応こそが重要なのだろうと思います。

昭和9年の室戸台風では、関西だけで死者3000人、負傷者15000人にもなったようです。門真市に移転したばかりの松下の工場も大打撃を受けました。そこに松下氏がやってきて、見回りを勧める工場長を制して、こう言ったそうです。

後藤君なあ、こけたら立たなあかんねん。赤ん坊でも、こけっぱなしではおらへん。すぐ立ちあがるやないか。そないしいや」(p.178)

意気消沈するでもなく、対応を叱責するでもなく、そう言ってすぐに引き返されたそうです。工場の被害状況など、どうでも良かったのです。もう起こってしまったことですから。起こったことは嘆かず、そこからどうするかだけを考える。そういう前向きな姿勢でいたようです。


松下で採用する時、運が強いかどうかを尋ねて、YESと答えた人を採用することがあったそうです。松下氏は、運が強いということを、とても重視していたようです。

たとえば、不運に見舞われたとき、そこで駄目になる人と、復活できる人がいます。その違いは、「どんな状況でも、希望を捨てないことだ」と思います。
 幸之助は、度重なる不運にめげなかったからこそ、運をつかめたのでしょう。
」(p.187)

つまり、運が強い人というのは、自分の運命を嘆いたり呪ったりしないのです。その結果、自分は運が強いと信じているのです。客観的に見てどうかではなく、自分が何を信じているかが重要なのですね。


松下幸之助の生涯は、文字通り波乱万丈でした。
 現在、世界的な企業になったパナソニックだけを見ると、幸之助のことを知らない人は、彼が順風満帆な人生を送ったように見えるかもしれません。
 この本を読んでくださったあなたは、幸之助が、生涯を通じてずっといろんな試練に見舞われっぱなしだったことを理解していただけたと思います。
 ですが、意外にも本人はそう思っていなかったようです。
 あるインタビューで、「大変な人生でしたね」との問いに、「難儀はしたけど、苦労はしてない」と答えたそうです。
」(p.243)

あくまでも松下氏は、自分は運がいいと考え、楽しく素晴らしい人生を送らせてもらっていると信じていたのでしょう。状況がどうであれ、自分の考え方を貫かれたのだと思います。


松下幸之助氏の教えに関しては、実に多くの本があります。それゆえ、健さんもかなり緊張して臨まれたようです。すでに亡くなられており、直接話しを伺えないというもどかしさもあったかと思います。そういう中で、健さんらしくまとめた1冊になったのではないかと思います。

少なくとも、松下氏が波乱万丈の人生を送りながら、それを嘆くことがなかったばかりか、それに本気で感謝していたフシがあること。そのことを示してくださったことが、この本の大きな特徴かと思います。

運命をひらく
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:30 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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