テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也(おにまる・まさや)さんの本を読みました。これは先月、テラ・スタイル東京という講演会へ行った時、買って帰った4冊のうちの1冊です。
このうちの2冊はマンガで、すでに紹介していた「テラ・ルネッサンスT,U」です。1冊は先日紹介した「ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?」です。今回が、一連の本の最後になります。
どんな内容か確かめもせず買ったのですが、今回の本は驚きでした。これは鬼丸さんの生き方に関する本なのですね。あまりに素晴らしいと感じたので、読み終えると同時に、同じ本と、もう1冊他の鬼丸さんの本を注文してしまいました。同じ本を買ったのは、この本を手元に置いて、新たに買う1冊を「サロン文庫」に寄贈したいからです。鬼丸さんのファンになってしまいそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「この13年で、僕は確信することができた。
すべての人に、未来をつくる力がある。
世界は、一人ひとりの力で変えることができる。
それを教えてくれたのは、テラ・ルネッサンスを支え、共に歩んでくれた人たちであり、過酷な現実から自分たちの力で立ち上がっていったカンボジアの地雷被害者、ウガンダの元子ども兵たち、そして、大槌復興刺し子プロジェクトに取り組む大槌町の皆さんだ。」(p.6 - 7)
「「世界を変えるなんて大げさだ」と感じるかもしれない。「自分にできるわけがない」と思うかもしれない。
でも、今の自分にできること、無理をせずに始められること。
そんな小さな一歩を踏み出すことが、自分や周囲を変え、世界を変えていく。
すべての人に、その力がある。僕は、そう信じている。」(p.7)
自分が踏み出した小さな一歩によって自分が変わり、周囲が変わり、いつかは世界が変わる。その実感を、鬼丸さんはこの本で語ろうとしています。
鬼丸さんは、どんなにあがいても支援が受けられないこともあると言います。しかし、必ず誰かが見ていてくれるのだから、自分が信頼に値する人間であろうとすればいいのだと。そうすれば、必ず救いの手が差し出されるからと。
故・船井幸雄さんに成功や成長の秘訣を問うたところ、こう答えてくれたそうです。
「鬼丸君、それはね、目の前のことに全力投球することだよ。これしかない」(p.28)
策を弄することではなく、ただ目の前のことに愚直に取り組む。そうすれば、必ず誰かが見ていて引き上げてくれる。そういうことなのですね。
もう1人、鬼丸さんが大きな影響を受けた人物として、スリランカのA.T.アリヤラトネ博士をあげています。彼は鬼丸さんに、こう言ったそうです。
「もし、君が何かを始めようと思ったとき特別な知識や財産は必要ないんだ。
ただ、次のことを覚えていてほしい。
君も含めた、すべての人に、未来をつくる力がある。
どんな人も、可能性に満ちている。
大事なことは、未来をつくる力が誰にでもあると信じることだ。
そうすれば、もし君やほかの誰かがダメになったとしても、君が人に裏切られたとしても、君も含めて、人は変わることができる。
それさえ信じることができたら、君は何でもできる。
すべての人に、未来をつくる力がある。」(p.31 - 32)
この言葉が、鬼丸さんが生きる上で重要な役割を果たします。条件は何も必要ないのです。ですから、どんな人であっても、未来をつくる力があるのです。それを信じられるかどうか。重要なのはそこにあるのです。
「支援する側ができることは、援助を受ける「受益者」が自立していくために寄り添うことだけだ。
僕たちが大事にしている支援の考え方に「レジリエンス(回復力)」がある。
問題を抱えた当事者だからこそ、その問題に立ち向かう力が生まれるし、家族や地域と連携して再び立ち上がる力が生まれるという考え方だ。
ウガンダの元子ども兵たちのレジリエンス、問題を解決する力は、彼らの中にある。だから僕たちは寄り添い、お手伝いするだけでいい。」(p.68)
支援とは、上から目線で与えるものではなく、相手には問題を解決する力があると信じて寄り添うことだと言います。これは、レイキと同じ考え方です。病気を治すのは、当事者の自然治癒力です。レイキはその人に寄り添い、それをお手伝いするもの。共通点を感じました。
「人と自分は違う。自分と同じように感じ、自分の望みどおりに行動してもらえるはずがない。まして、命令やコントロールなどできるはずがない。
だから、人のせいにはできない。期待もしない。
こう書くと、とても冷たい考え方のように思うかもしれない。
しかし、お互いに違う存在だからこそ、人は人とつながれるし、人を信じることができる。そして、それぞれの夢を応援し合えると僕は思っています。」(p.82)
人はそれぞれで違っていていい。違うからこそ協力し合える。無理に支配したり従わせたりするのではなく、自発的に助け合える関係になれる。そう鬼丸さんは言います。
「自信なんて、なくてもいい。自信や勇気は、必要になったら湧いてくる。」(p.83)
人前で話すことに自信があった鬼丸さんも、最初の報告会では大失敗をして、その自信は粉々に砕け散ったと言います。その次は、怖くて仕方なかったと。けれども、やり続けるしかなかった。それが自分らしいことだから。そうしたとき、不安を乗り越える勇気が湧いてくるのです。
また鬼丸さん、恐れや不安は、それを踏み台にするのだと言います。
「それは、恐れを前進するためのエネルギーに変えること。恐れを真っ直ぐ診て、自分がなぜ恐れているかをじっくり考え、力に変えるということだ。
(中略)
つまり、恐れが生じるのは、「やりたい!」という強い欲求があるということだ。
自分がやりたいと思っていなかったら、ドキドキもしないし、不安もない。
(中略)
「恐れてはいけない」「恐れている自分はダメだ」と考えていると、それを見極めることはできない。
まず、自分の中にある感情をとことん感じてみる。」(p.86)
恐れをしっかりと感じ、見極めることによって、それを踏み台にすることができる。それを乗り越える勇気を手にすることができる。そう鬼丸さんは言います。
「何も行動できないと、きっと焦るだろう。でも、焦ってもいいのだと思う。
「自分はこれでいいのだろうか」「社会の役に立つ人間なのだろうか」と悩むことは素晴らしいことだ。焦りがあるのは、それだけ「何かをしたい」という欲求があるということだからだ。換言すれば、道を求める心”求道心”があるということだ。」(p.92)
湧き起こる感情は否定しない。焦りでさえ、それは求道心の現れだと評価します。
「「でも今は、一歩を踏み出す勇気がないんです」という人に、僕はこう言う。
「無理して、今踏み出さなくてもいいんじゃないですか」と。
動き出す気力や意欲がどうしても感じられないのなら、今は、自分の中にエネルギーをためている時期かもしれない。
人は、それぞれタイミングがある。」(p.97)
他の人と比べる必要はないし、同じようにしなくてもいい。徹底的に自分を肯定し、湧き起こる感情を受け入れる。そんな姿勢を、鬼丸くんは教えてくれます。
「臨界点に達して、心や習慣の変化が起きるまで、自分自身が変わりつつあることになかなか気づけないかもしれない。
しかし、あきらめないことが肝心だ。
それまでの経験や試行錯誤はすべて蓄積されている。
臨界点に達するまでは、それぞれのパーツはバラバラに見えるだろう。でも、それがあるとき、ひとつになって本物の変化を起こす。さまざまな蓄積があったからこそ、ひとつの体験や言葉がきっかけとなって変化が起きるのだ。」(p.107)
量から質への転換と、マルキシズムでは言いますが、まさにそういうことなのでしょう。まったく進歩していないように見えても、目に見える変化の礎は、着実に刻まれているのです。
「出会う人や起きた出来事は、すべて必然なんだと僕は思う。
そのときはベストだとは思えないような悲しい出来事や、恥ずかしい失敗であったとしてもあとから振り返ると、必要な変化を促すためのきっかけになっていたりするからだ。」(p.107 - 108)
自分に不都合なことも、すべて自分のために起こっている。自分の学びや、自分を鍛えるために。だから、必然で無駄がないのですね。
「社会起業する際にもっとも心配なのが「食べていけるかどうか」ということかもしれない。「いつごろから食べていける自信がついたのですか?」と聞かれることがあるが、今まで、そんな自信をもったことは一度もない。今でも、不安や怖れは抱き続けている。
実際、資金調達が順調にできているわけではないので、今でも運営は自転車操業だ。
でも、僕はこの活動をやると決めている。だから、やる。ただ、それだけだ。
(中略)
自分のやりたいことだから、好きなことだから、お金を払ってでもやりたいと思う。
(中略)
「お金がたまったら」「仲間が集ったら」「仕事が一段落ついたら」と、条件が整うのを待っていては、いつまでたっても動けない。「やる」と決意するから、条件が整うのだと僕は思う。
(中略)
どんな条件でも、どんな自分でも、決めた以上はやる。すると、やるかやらないかではなく、「どのようにやるか」になってくる。
「どのように」と必死で考えていくと、そこに必ず知恵が浮かんでくる。
それが、本気になるということだ。」(p.189 - 190)
このあたりは、福島正伸さんの考え方が色濃く現れているように感じます。漫画本には福島さんの推薦もありましたから、おそらく鬼丸さんも福島さんの影響を受けたのでしょう。
「どんなに傷つき、つらい目に遭ったとしても、その人の内部にはコンクリートを突き抜ける新芽のような強さがある。
僕たちは、アジアやアフリカの人たち、大槌町の皆さんから、そのことを学んだ。
テラ・ルネッサンスの活動は、彼らのなかにある「種」が発芽する環境を整えることだ。
種を潤す雨水になり、根を張る大地になり、発芽を促す太陽になることだ。
その活動をとおして、スタッフや支援者のなかにある「種」も発芽し、成長していく。それぞれにつながりながら、自らの力で天に向かって伸びていく。」(p.238)
どんな大病を患った人の中にも自然治癒力があります。それが、その人の病気を治すのです。レイキと支援は、まさに同じようなもの。患者の自然治癒力を支援するのがレイキです。そして、レイキをすることによって、施術者の心の成長も促されます。
「僕たちが目指してきたのは、受益者に寄り添う支援だ。
しかし、自分が弱さも醜さもあわせ持つ人間だと認められなかったら、本当の意味で寄り添うことはむずかしい。彼らの弱さや醜さを認めることができないからだ。」(p.256 - 257)
「でも、自分が人間だと認めたとき、相手も同じ人間だと認められた。
そのとき、僕と彼らは本当の意味で対等な人間になった。「強い者」が「弱い者」を助けているのではない。できることがあるほうが、自分にできることをする。それだけなのだ。
だから、相手が期待したように変わらなくても、待つ勇気が生まれた。」(p.257)
相手を哀れな人と下に見れば、コントロールしようとしてしまいます。助けてやっているんだから、感謝くらいしろよと言いたくなります。しかし、支援とは本来、そういうものではないのです。
お互いが対等であることがベースです。ただ、自分にできることと相手にできることには違いがある。それだけです。だから、自分にできることをやって寄り添う。相手の自由を奪わない。それが重要なのですね。
「テラ・ルネッサンスを設立するときに決めていたことがある。
それは、闘わない平和運動をすることだ。
「平和を勝ち取るために闘う」とよく言う。しかし、「闘う」というプロセス自体、すでに平和には程遠いと僕は思う。」(p.265)
マザー・テレサさんも、そう反戦運動には参加しないと言われてましたね。
「一人ひとりの顔が違うように、受け止め方も考え方もみんな違う。
100人いれば、100人それぞれの「いい選択」がある。
だから、自分の受け止め方を、考え方を、選択する力を大事にしてほしい。
どんな選択をして、どんな未来をつくるかは、自分自身で決められるのだから。
最後に、もう一度言いたい。
僕たちは、微力ではあるが、無力ではない。
ひとつの笑顔が、ひとつの行動が、世界を変えていく。
あなたにしかできないことが、僕にしかできないことが、世界を変えていく。」(p.281)
小さいことから始めれば良いのだと、鬼丸さんは言います。無理をする必要はないのだからと。そして、自分らしい選択をすることです。他人に迎合せず、自分で判断することです。
自分には何もできないと言ってしまえば、そこでストップします。できるかどうかではなく、やるかどうかだけをまず決める。そして、小さな一歩を踏み出すのです。
これを読んで感じたのは、若いのになんと素晴らしい考え方をしているのだろう、ということでした。こういう人がいるなら、日本の、世界の、未来は安泰だと思ったのです。
けっしてスピリチュアルなことは語っていませんが、内容はスピリチュアルの本質そのものです。鬼丸さんに励まされて、私自身もこういう生き方をしたいなと思いました。
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