テラ・ルネッサンスの小川慎吾(おがわ・しんご)さんの本を読みました。これは先月、テラ・スタイル東京という講演会に行き、小川さんの講演などを聞いて感銘を受けたので、そこで買った4冊の本の中の1冊になります。
小川さんは、2005年に単身アフリカに渡り、テラ・ルネッサンスのアフリカ駐在代表として、子ども兵などの支援活動をされています。
あちこちで内戦をやっているアフリカですが、中でもコンゴの内戦はもっとも犠牲者が多いのだとか。ニュースであまり報道されないので、私たちはそういうことさえ知らずにいます。そしてその内戦の原因を、アフリカ人の民度の低さだと考える人が多いと小川さんは言います。私も、その程度の認識でした。
しかし、この本を読むと、どうしてアフリカで内戦が続くのかがよくわかります。それはアフリカ人が原因と言うより、アフリカに進出した欧米諸国の白人に原因があったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「一方、自然の豊かさとは対象的に、この国では、1998年以降、540万人もの人びとが紛争の犠牲になっています。この死者の数は、第2次世界対戦後の紛争で最大です。それにもかかわらず、コンゴの紛争は国際的に注目されることはなく、「忘れられた紛争」ともいわれています。とくに日本ではほとんど関心がもたれませんでした。」(p.13)
これがアフリカ大陸南部の内陸にあるコンゴ共和国の紛争です。1999年の人道支援の額は、東ティモールに送られた額の1/10だそうです。死亡者数は東ティモールの500倍以上だったのに。日本が1999年から9年間でコンゴに送った緊急支援の総額は、コソボ紛争に対しておこなった額の1年分です。死亡者数はコソボ紛争の540倍だと言うのに。
「第1次世界対戦では、民間人の死傷者は全体の10%にも満たなかったのが、第2次世界対戦では50%近くに上昇し、その後、20世紀後半に入ってからアフリカで起こっている紛争では、死者の92%が民間人です。
そして、冷戦後、世界で起こった紛争では、200万人の子どもが命を失い、600万人の子どもが障害や重症を負っています。この10年間、絶え間なく、3分間に1人の子どもが手足を失ったり、大けがを負っているのです。」(p.34 - 35)
戦争というのは本来、国と国との外交の延長にあって、国際法に定められたルールを守って行うものです。もし、そのルールを守ったなら、やたらと民間人が犠牲になることはありません。しかし、第2次世界対戦では、国際法無視の大虐殺が行われました。日本も大連で絨毯爆撃をしましたが、アメリカも東京大空襲や原爆など、民間人を標的とした攻撃をためらわずに行ったのです。
その後の紛争では、そもそも国と国との争いでもないので、ギャングの襲撃のようなものです。ですから、殺戮対象は軍人である必要はなく、抵抗の少ない民間人を攻撃して成果を上げるという方法が取られたのでしょう。
ジェノサイドと呼ばれる大量虐殺が、アフリカの各地で行われました。これは、アフリカ人の民度が低いからでしょうか?
「しかし、ピグミーたちは自然を破壊するどころか、自然の一部として何千年にもわたり生きつづけ、狩りで動物を絶滅させてしまうこともなければ、森を切りすぎて資源を枯渇させてしまうこともありませんでした。また、それらの資源を奪い合って一部の人びとが富を蓄積するということもありません。」(p.42)
つまり、アフリカ人の気質や文化によって、自然破壊や虐殺が起きているとは言えないのです。
では、伝統的なアフリカ人の文化では、紛争解決をどのようにして行ったのでしょうか?
「暴力事件があったばあいには、加害者がその事実(罪)を告白するのを待って、被害者に対する償い方を伝統的な慣習をもとにリーダーたちが話し合い、決定します。」(p.50)
「つまり、無罪を主張している者に有罪だと決め付けることはせず、当事者の「自発的」な言動を促して、最終的には、加害者と被害者が、ふたたびおなじ社会で共に生きていくことに目的が置かれていたのです。どんな罪であったとしても、アチョリの伝統では加害者を刑務所のような隔離した場所に閉じ込めたり、死刑を執行したりすることはありませんでした。」(p.51)
これではどちらが進んでいるかわかりませんね。先進国が見習わなければならないような、問題解決方法だと思います。でも、それで本当に自発的に告白するものでしょうか?
「アチョリの信仰では、タブーを犯した人間が、事実を隠したり、嘘をついたりすることは本人やその家族、属する氏族に病気やけがなどの災いを起こすと強く信じられています。紛争のなかで人を死なせてしまったばあいでも、悪霊が取り付いて災いを引き起こすので浄化儀礼をおこなう必要があると考えられていました。」(p.51)
なるほど、伝統的な信仰によって、正直に生きることが担保されていたようです。
「そして、もう一つ重要なことは、かりに氏族同士で大きな衝突があったとしても、そのときに子どもが戦場に送られたり、女性が性的暴力の対象になるということはなかったということです。」(p.52)
結婚していない男性は、まだ未熟な者とみなされて、戦闘に加わる資格がなかったのです。弱い立場の子どもや女性を守ることが、最優先だったのでしょう。
では、どうしてこういうアフリカの伝統が壊され、大虐殺や子どもを誘拐して兵士にしたり、襲った村の女性や誘拐した女子をレイプしたりするようなことになったのでしょう?
そこには、アフリカに来た西洋人がやってきたことと、深い関わりがあるようです。
「大航海時代、アフリカに侵入したヨーロッパ人は、現地住民を野生動物のように捕らえ、抵抗すると容赦なく虐殺しました。捕らえられた人びとは、鎖につながれ、腕や胸に焼印を押されて、まるで家畜のようにアメリカ大陸や西インド諸島へ運ばれていったのです。
これが15世紀末にポルトガル人がアフリカ大陸にやってきて以来、約400年間つづいた「奴隷貿易」と呼ばれるものです。この間に奴隷として連れ出されたアフリカ人の数は1500万人にも上るといわれています。」(p.61 - 62)
奴隷貿易に関わる西洋人は、アフリカ人を使って奴隷を調達させたそうです。つまり、アフリカ人がアフリカ人を虐殺するという文化を、この時、植え付けたのです。奴隷貿易に関しては、神渡良平さんの「アメイジング・グレイス 魂の夜明け」という小説にも書かれています。
「いまでは、人権問題や野生動物の保護に熱心なイギリスこそが、世界最大の人権侵害を引き起こした国であったということは忘れてはならない事実です。そして、いまだにイギリスは、たったの一度もこの蛮行を謝罪していませんし、このことを議論しようとすらしません。」(p.65)
白人至上主義に風穴を開けたのが20世紀の日本でしたが、まだまだその価値観は欧米に残っています。「人道に反する罪」という事後法でドイツを裁きながら、自らの人道に対する罪を償おうともしない。それが、欧米の白人国家なのです。
白人が、いかに有色人種を差別的に扱っていたか、よくわかる逸話がありました。18世紀の「啓蒙時代」と呼ばれるころ、ヨーロッパでは人権を守ることが主張されるようになりました。その代表的な人物がモンテスキューです。
「たとえば、モンテスキューは、「キリスト教徒である私たちがアフリカ人を人間として認めることはできない。それは神の意思に背くことになる」などと主張しました。キリスト教(神)の名のもとに「アフリカ黒人=人間以下の存在」であるという考え方が広まったのです。」(p.73 - 74)
奴隷貿易は、欧米の経済発展のためです。安価な労働力を確保することが、経済発展に欠かせなかったからです。ヨーロッパ各国は競うようにアフリカ大陸を切り取り、勝手に線引をし、自国の利益を確保しようとしたのです。だからアフリカの国境線に、不自然な直線が多く見られるのだと言います。
彼らのやり方は、まず宣教師を派遣して、自分たちの意のままになるアフリカ人を探します。彼らに武器を与え、兵士として訓練し、他の人々を襲わせたのです。その際、武器が白人への抵抗運動に使われないように、銃弾を使うたびに殺した人間の手首を持ち帰るよう命令したレオポルド2世のような例もありました。
「そして、白人たちは優遇した一部のグループ以外を冷遇することで、仲間割れが起きるように仕向け、部族同士が団結しないような仕掛けを作りました。
たとえば、一部の”部族”だけに教育をあたえ、役人に取り立てて優遇し、その見返りに強制労働を監督させたり、白人への反逆を鎮圧させたりしました。このため住民たちの怒りは、白人の支配者ではなく、おなじアフリカ人に向かったのです。このように統治する方法を「分断統治」と呼びますが、このことが、のちの”部族”対立を作り出す大きな要因になりました。」(p.85)
なんと狡猾なやり方でしょうか。しかし、このやり方が今もずっと続いています。白人が世界を支配し続けるために。
「中・東部アフリカの人びとはもともと、氏族(クラン)という小さな集団で暮らしていたので、部族や民族に属しているという意識はありませんでした。19世紀に入ってからも王国内の一部の人をのぞいては、自分の部族の名前すら知らない人びとがいました。
しかし、白人たちによる植民地支配によって、アフリカ社会は激変していきました。ベルギーの支配下だったルワンダやブルンジでは、部族名を記した身分証明書が発行され、「自分は『ツチ族』、あの人は『フツ族』である」といった意識が徹底的に植え付けられました。」(p.95)
アフリカには元々、民族対立だとか部族対立などというものはなかったのです。白人が自分たちの経済のために、巧みに支配する手段として、民族対立を持ち込んだのです。
「冷戦後、大国の軍事費は減少しましたが、それでも、世界の武器(通常兵器)の約9割は五大国(英、米、仏、露、中)で取引されており、その3分の2はアフリカなど貧しい途上国を対象にしています。」(p.113)
ODAで多少の援助をしたとしても、それ以上の収益を武器取引で得ている。そうやって潤っているのが欧米です。
「それぞれの植民地が一つの宗主国によって独占されていた時代から、いくつもの国々がアフリカでの権益を求めて、自由に、激しく奪い合う時代がはじまったともいえるでしょう。」(p.115)
奴隷貿易は、産業革命によって終演を迎えたと言います。つまり経済発展のためには、安価な労働力よりも、資源の確保の方が重要になってきたからです。
そして第2次世界対戦後、アフリカの各国も独立しました。しかし、欧米の権益を排除して独自に政治を行おうとすると、欧米は反政府勢力に支援するなどして政権転覆を狙いました。このようなやり方で、相変わらず自分たちの意のままになる為政者を置いて、間接統治しているのです。
この本を読んで、白人の罪はこれほどまでに重いのかと、ため息が漏れました。日本がやっと風穴を開けたとは言え、まだまだ白人至上主義の価値観が残ります。そして経済至上主義のために、武器を売ることをやめようともしません。アフリカの誰かが困っていようと、自分たちが幸せならそれで良い。それで幸せを感じられるほど、白人の心はまだまだ進化していないようです。
しかし、ただ白人を責めれば良いかと言えば、そうではないと思います。そういう白人支配があったことにも、何か意味があるからです。重要なのは、これからどうするか、ということだろうと思います。
日本人は、有色人種で最初に先進国に入りました。その勤勉さ、正直さなど、白人社会からも一目置かれています。だからこそ、日本人が間に入ることによって、白人にも黒人にも歩み寄りを促し、お互いが手を取り合える社会にしていけるのではないかと思うのです。
そういう意味で、小川さんが取り組まれているテラ・ルネッサンスの活動は、その先駆けであろうと思います。いきなり世界を変えようとするのではなく、まずは知ることから始める。そうすれば自ずと、自分がやるべきことが見えてくるように思います。
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