2016年12月24日

『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉

 

アウシュビッツ強制収容を生き抜いた精神神経科医のビクトール・フランクル氏のことが何かで取り上げられていて、それで彼の本を読んでみたいと思いました。

代表作の「夜と霧」を読もうと思ったのですが、間違って解説書を買ってしまったようです。著者は諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)氏。明治大学の教授などをされていて、フランクル氏の研究家でもあるようです。

1冊目は、フランクル氏の著書から引用する形で、そのエッセンスを紹介したものです。2冊目は、フランクル氏の著書から引用して紹介し、諸富氏が解説するような形になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。まずは「『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉」からです。

つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な『被収容者』になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。」(p.36)

「夜と霧」からの引用です。人間は環境の犠牲者ではなく、どんな環境下でも自主的に自分の在り方を決めることができる。これがフランクル氏の考え方です。


人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある。
この存在することの無限の意味には、苦しむことや死ぬことも
つまり、苦と死さえも含まれているのだ。
」(p.41)

これも「夜と霧」からの引用で、フランクル氏が他の囚人を鼓舞するために語った言葉だそうです。全編を読めばわかりますが、フランクル氏は「生きる意味」について、独特な考え方をしています。

「はじめに」で諸富氏は、フランクルの考え方を以下のようにまとめています。

■どんな時も、人生には、意味がある。
■なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
■この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」があり、あなたを必要とする「誰か」がいる。
■そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。
」(p.4)

このように私たちは、「何か」や「誰か」に必要とされているのだから、それを希望とすれば、どんな状況でも生き抜くことができると言うのです。


「幸福の追求」は幸福を妨げる。」(p.135)

「意味への意志」という本からの引用です。これだけではわかりにくいですが、他のところでわかりやすく説明してあります。要は、幸福になるために何かを得ようとしたり、何かになろうとすると、かえって幸福から遠ざかるということですね。


次は、「ビクトール・フランクル 絶望の果てに光がある」という本から引用します。

フランクルの心理学の独自性、その大きな存在理由の一つは、「苦しみの持つ意味」に焦点を当てた点にあると言っていいと思います。」(p.50)

このように諸富氏は言います。多くの心理学では、苦しみを取り除くこと、問題を解決することに焦点を当てます。しかしフランクル氏は、苦悩そのものは問題ではないと言います。それよりも何のために苦悩するかがわからないことが問題なのだと。

人は、無意味な苦労には耐えられませんが、意味のある苦労なら積極的に取り組んで、ストレスを感じないものです。また、そうやって困難に挑戦することによって、人は成長するものです。ですから、苦悩するということは、素晴らしいことだとも言えるのです。

人間がある辛い運命に置かれたことそのものが苦しみを生み出すのではなくて、その運命を敢えて引き受けること、自分の苦しい運命を「よし、私はこういう人生を生きていこう」と、苦しむべき運命を受け入れることに大きな意味があると言うわけです。」(p.59)


その悩みから両手を放してしまいなさい。そして、ただ上を見上げてみましょう。そうすれば、そこにあるはずです。生きる意味が、もう既にそこに、送り届けられているはずです。人生の希望は、あなたを超えたどこかから、常に送り続けられてきているのです」(p.143 - 144)

これはフランクル氏の言葉です。悩んで悩んで、苦しんで苦しんで、もうどうにもならないとなった時、それを手放せば良いといいます。するとそこに、最初からあった「生きる意味」が見つかるからと。

探しているときは見つからないものが、放り出したとたんに見つかるということは、私たちもよく経験することですね。


両書を通じての感想ですが、はっきり言えば「わかりにくい」です。ところどころ「そうだなあ」と共感する部分はあるものの、「何を言っているのかよくわからない」と感じる部分が多かったです。

特に、フランクル氏が意味は勝手に作るものではないと言っている点です。絶対的なただ1つの意味が存在するのだと。では、どうやってそれが正解だとわかるのかについては、何も解説されていません。したがって、なぜそう言い切れるのかもわかりません。

私のように理屈からではなく、言葉から感じるだけで納得できるという人には、何も問題ないかもしれませんけどね。

『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉,ビクトール・フランクル 絶望の果てに光がある
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:03 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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