また喜多川泰さんの本を読みました。「心晴日和」というタイトルですが、何と読むかわかりますか?
なかなか読めませんよね? 私も読めませんでした。どうやら「こはるびより」と読むようです。
「こはるびより」なら「小春日和」という漢字があるのですから、これで良いのではないかと思います。でも喜多川さんは、この漢字を使うことに意味があると思われたのでしょう。
そう言えば、「がんばる」と「頑張る」と書かずに「顔晴る」と書く人もおられますよね。なんか力んでやるんじゃなくて、晴れやかな顔で意欲的にやるという雰囲気が伝わってきます。
今回の小説も、本当に素晴らしかったです。読みながら、何度泣いたかわかりません。魂が揺さぶられるのです。喜多川さんの本は、どうしてこんなに素敵なのでしょうね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言っても小説ですから、ネタバレしない程度にあらすじを紹介し、ポイントとなる一部を引用しますね。
主人公は中学生の美輝。親しかった友人から急にシカトされるようになり、学校へ行けなくなっていました。学校へ行こうとすると、頭痛や腹痛などが起こるのです。
検査をしてもらうために病院へ行った時、不思議な老人と出会います。その出会いによって美輝は、これまでとはまったく違う考え方があることを教えてもらうのです。
「そもそも起こっている出来事によって、幸せとか不幸が決まるわけではないんじゃよ。まったく同じ出来事が起こっても幸せだと感じることもあれば、不幸だと感じることもある。ようは、受け取る側がその出来事をどうとらえるかの問題なんじゃ」(p.13)
老人はそう美輝に言いました。出来事で決まるのではなく、その出来事に対する考え方で決まるのだと。
「お前さんが春らしいものを探して歩いていると、道は春らしいものであふれていることに気づくじゃろ。ところがお前さんが歩いた道は、初めて歩くような外国の道じゃない。いつもお前さんが歩いている道じゃ。
(中略)
人間は、自分が探しているものしか見つけることができないんじゃよ」(p.26)
出来事は、様々なものが同時に起こっています。けれども、私たちが何に意識をフォーカスするかによって、その見え方が変わります。自分がそこにあると信じているものしか見えないのです。
「みんなが自分に対して優しい中で、自分が強いかどうかなんてわからんじゃろ。自分に対して辛く当たる人がいるからこそ、自分が弱いということがわかる。そしてその経験から自分なりに対処法を考え出し、それを続けることでどんなことに対しても負けない強さを持つことができるようになる」(p.39)
困難を乗り越えれば、自分の強さを体験できます。逆に言えば、自分が強いことを体験する(知る)ためには、困難が必要なのです。
ピンチはチャンスと言いますけれども、試練によってしか体験できないことがあります。だから自分に試練を与えてくれることは、これまで知らなかった自分に気づかせてくれる恩寵なのだと言えるのです。
「まずはお金を稼いで自分が生きていくことが先決だから、そういうことは考えようとしないというか。俺もそうだったんだけどね、自分の周りにいる人を幸せにするためにも何か始めないといけなくなったんだよ。時代のせいにしたり、社会のせいにして文句ばかり言っても、何も変わらないからね。」(p.146)
今のままではつぶれてしまう。中小企業だからこそ感じる危機感。でも、その危機感があったからこそ、自分で何とかしようとするしかないと気づけるのです。
上手くいくかどうかはわかりません。でも、重要なのは結果ではなく、やってみることです。結果は後からついてくるもの。できるとわかっているからやるのではなく、やるしかないと自分で思ったからやるのです。
「子供の頃は親に依存して、大人になったら会社に依存して、年をとったら国に依存して……」(p.157)
自立するとは依存しないこと。他の誰かから支えられることと依存することは違います。支えてもらえなければ生きられないとわかっているからこそ、自分も誰かを支えようと決める。それが自立なのですね。
それにしても、年金をあてにして生きることも依存だという視点にはハッとさせられました。私もまだまだ依存してますね。
「年金なんて返ってこなくても、今の老人たちを支えるために必要なんだからみんなで払えば」(p.157)
今の若い世代の人は、払った年金保険料より少ない額しかもらえなくなる。だから年金制度そのものが破綻していると言われます。けれどもこの小説では、別の視点からそのことを見つめます。
今の老人の立場から考えてみることを勧めるのです。国のために戦争に駆り出されたり、不自由な生活を強いられたりして、それでも敗戦の苦難を味わわされました。そして、そこから必死に復興して、世界第2位の経済大国にまで発展させた。インフラが整備され、今は何不自由なく平和な社会で便利に暮らすことができます。それもこれも、今の老人たちの努力によるものです。
そうしたときに、若者たちが自分の利益しか考えない大人になって、自分に返ってこないなら年金を払いたくない、なんて言い出したらどう思うか。
それに、仮に自分が年金保険料を10万円払って、老後にもらう年金が15万円だったとしても、それだけで元が取れるわけではありません。お金の価値が時代で変わるからです。
そうだとしたら、どうなるかわからない年金にしがみついている(依存している)ことが、無意味なことだと言うのです。
「起こることはすべて、いいことも、悪いことも、過去の自分のしたことが原因なんだよ。そして、その出来事が幸、不幸を決めているわけではない。同じことが起こっても幸せだと感じることも在れば、不幸だと感じることもある。大切なのは受け取る側がその出来事をどうとらえるかでしかない」(P.170)
自分の人生の起こることの原因はすべて自分にある。自分が自分の人生の創造者なのです。しかし、起こる出来事に良し悪しがあるのではありません。良し悪しを決めるのも自分なのです。
主人公の美輝は、自分の生き方を考え直します。ただひたすら安定を求めていた生き方から、自立した生き方へ。それはリスクを伴うことになります。けれども、本当の幸せはリスクの先にあるのです。
この小説を読みながら、またしてもボロボロと泣いてしまいました。知らず知らずに私も、安定を求めて依存的な生き方をしていたからです。
もっと挑戦的に生きなければ、もっと自分を輝かせて生きなければ。主人公の名前は美輝。自分を美しく輝かせるのは、自分が決めた生き方なのだと思いました。
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