2016年11月29日

「福」に憑かれた男



また喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの本を読みました。

これはすでにブログで紹介している本ですが、「手紙屋」のタイトルで記事を書いたため、見逃していました。それでまた読んでしまったのですが、読んで正解だと思いましたよ。仕事とはいったい何なのかを、改めて考え直すきっかけになりましたから。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介・・・と言いたいところですが、これも小説なのでネタバレしないように、少しのあらすじと感動したポイントのみ紹介します。

主人公は秀三という本屋の主です。父親が亡くなったため、あとを継ぐことになりました。

最初は、あんな本屋にしようという夢のようなものもありましたが、厳しい現実に直面し、だんだんとその気力もなくなっていきます。

しかし秀三には、あるものが憑いていたのです。それは福の神です。どうして、そんな上手く行っていない秀三に福の神が憑いているのか? どうして福の神は助けてくれないのか?

そこに、福の神の福の神たるゆえんがあるのです。


多くの人間は、僕たちが幸せそのものを運んでくれると勘違いしている。
 でも、幸せとはあくまでもその人自身が手に入れるもの。自分でできることなのに人にやってもらおうって考え方では幸せになることなんてできないということは、考えれば分かることだ。……って先輩の福の神が言っていたから、きっとそうなのだろう。
」(p.20)

幸せは、何かを得たからとか、何かになれたからという理由で、手に入るものではないのですね。ただ自分が幸せになればいい。今が幸せだと気づけばいい。それだけのことなのです。


彼を信じるんだ。人間は俺たちがビックリするほど成長する生き物なんだよ。何かのきっかけさえあれば、それこそ一瞬でまったくの別人になってしまうほどにね」(p.29)

福の神は、幸せな結果を運んでくるのではありません。ただ幸せになるきっかけを与えるだけです。ですから、人間の成長を信じることが重要だと言うのですね。

これって、子育て中の親とか、教師にも言えることですよね。そして部下を育てる上司にも。けっきょく、相手を信じるってことが重要なのだろうと思います。


多くの人は、「優しい人」になりたいと思うでしょう。そして、優しい人になるためには、優しくされるという経験が必要です。無条件に愛されることによって、無条件に愛することを学ぶのです。

しかし、これだけでは十分ではないと言います。優しくされるのではなく、冷たくされるという経験が必要なのです。

痛みを経験したことがない人に、他人の痛みを理解することはできません。本当に優しい人というのは多くの痛みを経験した人でなければ、なるのは難しいのです。」(p.37)

福の神が憑いているからといって、必ずしもラッキーな出来事ばかりが起こるわけではないのですね。私たちが成長するためには、痛みや悲しみも経験する必要がある。ですから、そういう出来事も引き寄せられるのです。


すべての人間は、自分の掲げた夢に向かって前進しようとするとき、その夢を実現するに足りる勇気があるかどうかを試されるようになっています。」(p.74)

何かに挑戦しようとする時、大きく成長しようとする時、重要なのは変わることへの勇気です。過去を捨てて、新たな段階に踏み込みます。バンジージャンプをするのです。

ですから、挑戦する勇気を与えてくれる人との出会いこそ、福の神のプロデュースなのです。


何はなくとも「今、幸せだ!」「僕の人生は成功している!」ってことに今すぐ気づくことができれば、一生幸せで、成功した人生が約束されます。」(p.86)

今がどうかは関係ないし、起こる出来事も関係ない。今のままで十分に幸せだと気づきさえすれば、将来もまた幸せでいられるのですね。


多くの人は幸福の基準を自分の中に置くのではなく、他の人との比較に置いている。でも、これでは、絶対に幸せな人間にはなれない。」(p.96 - 97)

自分の給料が30万円の時、同期の誰かが40万円もらっていたら不満がでます。でも、同期のみんなが25万円のとき、自分が30万円もらっていたら、豊かな気持ちになります。これが、他人との比較に基準を置く考え方です。

これは、他人とだけでなく、自分の中でも同じです。昨年の給料が25万円だったら、今年から30万円なら大喜びでしょう。でも、昨年が35万円もらっていたら・・・。

今の状況は同じなのに、心の状態には雲泥の差がありますよね。そこにポイントがあるのです。


おまえさんが考えなければならないのは、どうやってお金を儲けるかではない。どうしてお金を儲けなければならないかなんじゃよ」(p.109)

お金儲けが目的になった時、仮に目標を達成したとしても、必ず不安がつきまとうと言います。将来、同じように儲けられるかどうかが心配になるからです。

これは、結果に執着する生き方です。しかし本当は、目的はお金という結果ではなく、「何のために」という動機であり、その行動なのです。

その動機を目的としたとき、いくら儲けようと関係なく、不安からも解き放たれると言うのです。


あとがきで喜多川さんは、こんなふうに言われます。

でも人生は不思議なもので、これ以上ないほどの危機的状況こそが、後から考えてみれば、自分の人生にとって、なくてはならない貴重な経験になるということを、誰もが経験から知っています。」(p.178)

あとになってみれば、悲しかったことも辛かったことも、それが良い思い出となります。そのように生きていれば。

そして、それこそが福の神の働きなのです。けっきょく、人はみな福の神に憑かれているのかもしれません。だから、すべて上手く行くのです。


この本をすでに読んだことをすっかり忘れていたのですが、読み始めてから「読んだことがある気がする」と思い始めました。

しかし、以前に読んだときとはまた違う感慨があります。それは、私が失業という経験をしたことと無関係ではないと思います。

喜多川さんの本は、本当にいろいろな気づきを与えてくれますね。この本もまたサロン文庫に寄贈したいと思います。大勢の人に勇気を与える1冊となることを願っています。

「福」に憑かれた男
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:10 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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