2016年11月28日

おいべっさんと不思議な母子



何とも不思議なタイトルの本を読みました。喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの小説です。

この本は、すでにKindle版で読んだ小説です。ですが、私がよく行くサロン・オ・デュ・タンさん「サロン文庫」喜多川泰さんの本をすべて揃えたくて、これまでの本もすべて買い揃えた中の1冊です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介・・・と言いたいところですが、やはりこれは小説ですからね。あまりネタバレ的なことも書けません。簡単にあらすじと、私が感動した部分を紹介しましょう。

主人公は日高博史。小学校の教師です。中学生の娘、七海と母親と暮らしています。6年生の担任として始まった新学期、不思議な少年が転校してきます。

少年の名は石破寅之助。まるで江戸時代から抜け出してきたかのような風貌と物言いは、クラスの中で浮いてしまいます。

さっそく始まった寅之助へのいじめ。しかし、そこから物語は大きく展開していくのです。石破母子の登場は、日高に教師という仕事そのものについて、深く考えさせることになります。忘れていた重要なことを思い出させたのです。

そして、娘の七海にも事件が起こります。七海が友人と一緒に交通事故を引き起こすのです。

娘の友人の母親は、日高にとって要注意人物のクレーマーです。息子が日高のクラスにいて、クラスの中心人物であり、またいじめっ子でもあったのです。

これらの話がすべて絡み合って、思わぬ方向に展開していきます。さて結末は? それは小説を読んでのお楽しみ、としておきましょう。


寅之助の母親は、日高にこんなことを言いました。

身体を張ってでも正義を通すべきときに、ケガすることを恐れて、無関心を装い逃げるような大人になってもらっては困ります」(p.132)

それが子育ての信条であったのでしょう。この言葉が日高の中にある思いを刺激し、生き方を見直すきっかけとなるのです。

失敗を恐れて挑戦しなくなる。それでは何のための学校か? 教育とは、子育てとは、子どもが学んで自立し、自分で生き方を決められるようにすることではないのか?


一方で七海は、友だちにずるずると引きずられて、道を外れてしまいそうになります。そんなとき、自分が原因で事故が起こります。

しかし、その事故によって、七海も大切なことに気付かされます。

でも、あなたは運がいいわ。やっちゃいけないことをしているなぁって思っていたその日のうちに、すぐ自分のやったことを後悔するような事故に遭ったでしょう。」(p.152)

失敗は恥ずかしいことでも、やり直せない過ちでもないのです。失敗したと感じるから、私たちは生き方を問い直すことができます。そのチャンスが与えられているのです。


しかし、昔の、たとえば江戸時代の教育が素晴らしくて、現代がダメというわけではありません。

昔は、恥を受けるくらいなら死ぬべきだと教えました。でも現代は、仮に恥を受けたとしても生き延びるべきだと教えます。なぜなら、その恥によって大きく成長し、人々を助ける何かを生み出すかもしれないから。それは、何歳になればできることなのか、誰にもわからないのです。

その奇跡のような瞬間は、若いうちに訪れなくても、六十を超えてからやってくる可能性すらあるんですよね。」(p.185)


人は誰でも失敗します。大人になっても失敗します。失敗しなければ、成長しないからです。人は、永遠に成長し続けるものなのです。ですから、永遠に失敗し続ける存在なのだと思います。

親だって、最初から子育ての名人ではありません。生まれて初めて子育てに挑戦したのです。失敗して当然ではありませんか。

これで良いのかと、育て方に不安になるでしょう。だって知らないのですから。

不安は習慣になって、そのうち、お母さんは子どもの『できないこと探し』の名人になるの。
 ほかの子はできるけど、自分の子はできないことを探す名人ね。
」(p.215)

子どもを愛するあまり、不安になってしまう。不安なあまり、子どもを信じられなくなる。それが親なのです。


けれども、人は失敗することで成長します。失敗が許されないと、挑戦をしなくなるのです。

子どもに、どんな困難も乗り越えさせる力を、身につけさせてあげなければ、かわいそうよ。」(p.219)

子どもの失敗は、あなたの責任じゃないのよ。子どもにとっての失敗は、大切な学びなのよ。今よりも、もっと幸せになるための学び。それを奪ったらかわいそうよ。」(p.219)

失敗は間違いではなく、学びのチャンスです。失敗を許されないことこそ間違いなのです。子どもの失敗を許容することが、親としての重要な学びなのかもしれません。


「おいべっさん」は、街中にある寂れた恵比寿神社です。そこから始まった物語は、時代を超えて私たちに何かを伝えようとしています。

この小説を読んで、私は両親の気持ちに思いを馳せてみました。子どものころ、気管支喘息や副鼻腔炎(蓄膿症に近いもの)、腎盂炎などを患った私を、両親はどれほど心配したことでしょう。夜尿症も小学校の間ずっとだったし、中学生になっても失敗したことがあります。そんな私を見ながら、時に親は、自分自身を責めたのかもしれないと思いました。

今でこそ、まるで独りで大きくなったかのような顔をしている私ですが、きっとたくさんの両親の思いがあったはずです。そのことを思った時、不覚にも嗚咽を漏らしてしまいました。時を重ねたたくさんの愛が、そこにあったと気付いたからです。


これは、たかが小説かもしれません。けれども、大切なことに気づかせてくれる物語だと思います。ぜひ、多くの人に読んでもらいたいなあと思いました。

おいべっさんと不思議な母子
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 06:20 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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