白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。白駒さんのことが気に入って買った4冊の本の最後になります。
この本は、土地ごとにお国柄というか、土地のDNAとも言えるものがあって、それが歴史にどう現れているかを紐解いたものになっています。
人は誰も故郷に愛着を持っていますが、その土地で育ったことによって育まれた価値観や考え方、そういったものがあるのですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「人間は、与えられた場で努力を重ねたら、必ず成長します。成長すると扉が開いて、次のステージへ運ばれていくのです。そして、そこで一段と大きな役割を果たすと、また扉が開いて次のステージに運ばれていく−−。大なり小なり、そうやって人間は成長していくものだと思います。」(p.26)
これは日本で初めて実測地図を作った伊能忠敬を生んだ、千葉のDNAについて書いてある部分の一文です。彼にも見られる「利他の心を尊ぶ生き方」が、その後も続いていると書かれています。
伊能忠敬が婿入りした時、伊能家は倒産しかかっていたそうです。それを立て直すと、今度は飢饉の時に地域の人のために行動します。こういう思いやりの心で、その時できることをやってきたのです。
そして隠居した後、好きだった天文学を学ぼうとします。そしてそこでも、後世の日本のためになるようにと、精密な日本地図作りを目指すのです。
「このことは、私たちの人生にも当てはまります。つまり人間は「与える人」と「受け取る人」に二分されるのではなく、誰かに輝かせてもらいながら、同時に誰かを輝かせているのです。
そのことに気づけば、人は真の謙虚さを持つことができるのでしょう。自分は他者に何かを与えているのだと不遜になったり、逆に自分は受け取るだけで何もできないなどと、卑屈になったりする必要はないのです。」(p.42)
これは伊勢のDNAで、「限りある命を永遠の命にかえる生き方とは」と題された部分に書かれている一文です。この伊勢で出会った賀茂真淵と本居宣長の師弟関係が書かれています。
賀茂真淵は天才肌で、「道なき道を切り開いていった人」だと言います。一方の本居宣長は努力家で、師の厳しい指導を受けながら、「受け継ぎ発展させた人」なのだと。どっちが偉いではなく、「役回りが違う」のだと言います。
上に立つから偉いのではなく、上に立つ人が下の人を育てることによって、全体として1つのことを成し遂げていく。それが日本人の生き方なのだと言います。
「逆に言えば、物事の価値とは、その時点の良し悪しではないということです。物事の価値は、未来にしか決まらないのです。だから、どんなにひどい事態が起こったとしても、私たちは「この出来事があったから未来を築いていくことができるのだ」という覚悟を持って生きることが、大事だろうと思います。」(p.72)
これは福岡のDNAで、「自分の成功よりもみんなの繁栄を願う粋な町」という部分に書かれている一文です。自分だけが良くなればいいのではなく、商人みんなが良くなるようにと、豊臣方を支援した謝国明という商人などを取り上げています。
福岡の大名となった黒田官兵衛は、元々商人の町だった博多を守るように福岡城を築いたのだそうです。また幕末に人材を失った後、それでも教育に力を入れたことで、金子堅太郎や明石元二郎といった後に日露戦争で日本を救うことになる人材を排出しました。また、A級戦犯となった広田弘毅は、何もしゃべらないことで天皇制を救ったと言われます。
その中で、白駒さんが好きなのは平野国臣という幕末の志士だそうです。弾圧されて非業の死を遂げるのですが、白駒さんはそれがあったからこそ福岡は人材育成に力を入れたと言います。そしてそのことによって、日露戦争で日本を救う人材を輩出できたのです。
「それから四年後に再び起こった海難事故。誰もがノルマントン号を想起したはずです。しかし、誰も「目には目を」とは考えませんでした。むしろ、自分たちがひどい目に遭ったからこそ、外国人を全力で助けたのです。日本人がひどい扱いをされたのだから、外国人がどんな目に遭っても知らないと思うのか、自分たちが悲しい思いをしたからこそ、他国の人に同じような思いをさせたくないと願うのか、これは紙一重です。でも、その選択肢の違いが歴史にもたらす影響は、はかり知れないほど大きいと言えるでしょう。」(p.86)
これは和歌山のDNAで、「ゆかりの人々が教えてくれる開運の法則」と題した部分に書かれています。和歌山といえばエルトゥールル号遭難事件ですが、そこには1つの背景があったと言います。それがノルマントン号の沈没で、日本人乗客25人が全員水死したのに対し、イギリス人乗務員は全員助かったのです。
治外法権があったので、彼らは本国で裁かれ、「信じられないくらい軽い罪で許された」と言います。そのことを知っていたにも関わらず、村人たちはエルトゥールル号の遭難者を命懸けで助け出し、すべてを与えて介抱したのです。
この他にも、和歌山に関わる人たちを取り上げて、強運の人になるなら、相手を責めずに自分ができることを懸命にやることだと言います。
「世界史の上では、勝利した日露戦争も、そして結果的に敗れた大東亜戦争も、西欧列強に抑圧されていた人たちが希望を見出した戦いであった、そんな一面があるわけです。そのような角度から見れば、日露戦争や大東亜戦争における日本人の戦いは、武士道の美しさを貫いた河井継之助と重なるものがあると思います。
ただ、その結果は悲惨なものでした。長岡では多数の若者が死に、大東亜戦争でも二百四十万人を超える戦死者が出ました。良し悪しは別にして、そういう側面があったということです。」(p.162)
これは新潟のDNAで、「戦いに敗れても気概を失わなければ負けではない」という部分に書いてある一文です。義のために戦った上杉謙信、徳川家康を愚弄した直江状と呼ばれる手紙を送った直江兼続、そして理のない薩長と戦うことになった河井継之助の生き方を取り上げています。
戦いは勝負事ですから、勝つこともあれば負けることもあります。けれども、何のために戦うのかという気概があるなら、たとえ負けたとしても、その精神は受け継がれるというのです。そのことによって、最終的には生き残るのだと。
「もしも、あの島流しがなければ、西郷の人間力はあそこまで磨かれなかったかもしれない、そうしたら日本の独立が危ぶまれたかもしれないと思うと、あの島流しは未来の日本のために必要だったのではないかと、別の視点から考えられるようになったのです。」(p.188)
「人生が思い通りにいっているときには、もちろん感謝すべきだと思います。けれども、思い通りにいっていないときのほうが、もしかしたら、天がその人のために遣わしてくれた環境なのではないかと思うのです。そして、そうした理不尽な状況に置かれたことの答えは、過去ではなく、未来にあるのです。」(p.189)
これは鹿児島のDNAで、「この国の未来のために何をすべきかを考えた人たち」に書かれています。そして西郷隆盛について、理不尽に島流しをされて悲惨な人生のように見えて、実はあれによって磨かれたのだという見方を示しています。
「本当はどの国の歴史にも、光があり、影がある。功罪相半ばするのです。それなのに、私たちは、こと近現代史に関しては、その影の部分があまりにも強調され、教育されてきたのではないかと思います。本来「歴史を学ぶ」ということは、その光と影の両面をきちんと知って、その上で自分なりの歴史観を持つことではないでしょうか。」(p.229)
これは岡山のDNAで、「日本の独立を守った道徳心と技術力」と題した部分にある一文です。ここでは、日本人の道徳性の高さを、近江聖人と呼ばれた中江藤樹の教えを広めた、岡山の熊沢蕃山や佐藤一斎だと言っています。そして佐藤一斎から信頼されたのが岡山の山田方谷だと。
白人支配に風穴を開けようとした日本を潰すために、アメリカが仕掛けたオレンジプラン。それにまんまと乗って始めたのが大東亜戦争だと言います。しかしその戦争によって、インドネシアなどは独立することができたと言います。
仮にあの戦争が日本の侵略戦争だとされたとしても、それまでの欧米の植民地支配とはまったく違う支配が行われていた。その背景に、日本人の道徳性の高さがあると言うのです。
地域ごとのDNAというものがあるかどうかは知りませんが、地元に関わる人の生き方を知り、それがどう生かされているかがわかると、なんだか誇らしく感じますね。
こういう授業が学校教育であったら、また随分と違うのだろうなと思います。そして、白駒さんの講演を、いつか聞きに行きたいと思いました。
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