これも誰かの紹介で買った本だと思います。著者は森田健(もりた・けん)さん。私はまったく存じ上げなかったのですが、ソフト会社経営から不思議研究所を設立し、不思議なことを探求しておられるのだとか。これまでに数冊のご著書があるようです。
タイトルからして、運命に身を任せればうまくいく、という内容であることは想像できました。読んでみるとたしかにそうでしたが、わかりにくい部分も多かったように思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「この本はあなたにとって、不思議な本になると思います。「私は誰?」という根源的な問題を追求しているのに、いつも幸せな状態になり、さらにはお金持ちにまでなってしまう方法が書かれているからです。しかも努力というものが不要だからです。」(p.1)
こう「まえがき」にあるように、根源的な問を発するだけで、努力なしに豊かで幸せな状態になる、というのがテーマになります。
「この変化が起こった原因が何かと言えば、ただ単に問い続ける中で、人生全体のルールともいうべき、運命が決まっているという情報を知っただけです。そしてそれに対し「おまかせ」にしただけです。私は何の努力もしていません。これだけで幸せにもなり、さらにはお金持ちになれる道まで開けてしまうのです。」(p.3)
根源的な問を続けていると、「運命は決まっている」ということがわかってきて、その決まっている運命に任せることで、豊かで幸せになれると言います。
「今となって思えば、突然のインスピレーションは、私が起こしているのではなく、外側の世界からの声であり、不思議探求の成果を踏まえていうなら、「運命」からの呼びかけが起こしていると思うのです。それに乗れるか乗れないかは、その運命を信頼しているかどうかにかかっているのです。」(p.27 - 28)
「本当の幸せというのは、目隠しの状態で両手を放すことなのです。するとあなたは周りと一緒になって動いていくだけです。その状態にあなたが身をゆだねてしまえば、今まで感じたことのない世界との一体感、エクスタシーの世界が待っているはずです。」(p.28)
何かに恐れ(不安)を感じて、運命の流れに竿をさそうとする。そういう抵抗が、かえって幸せから遠ざかることになるのだと言います。
理屈ではなく、インスピレーション(直感)を信じて従う。それが一見するとバカなように思えても、あえてそうする。それは自分の理性よりも運命を信じるからできることなのです。
「でも私は物事の「原因」ではなく、私は物事の「結果」としてしか、生きて動いてはいないのです。頑張って今を変えることも、まして幸福を引き寄せることもできません。なぜならすべてが、運命で決まっていたのですから。」(p.40)
「また自分を成長させるという考え方も不要です。成長という言葉の中には、今の自分を否定する気持ちがあります。「私は結果」を受け入れれば、自己成長もしないで良いのです。今のあなたをそのまま認めれば良いし、それしかできないのです。
そうすれば、外とのつながりが見えてきます。外とのつながり、これが「運命」というものです。そして運命が決まっていたことに気がつくこと、これが本当の幸せを呼びよせてくれるのです。」(p.41)
「私」という存在は、完璧な「結果」なのだから、個の思いで変えようとする必要がない。むしろ変えようとすることで、運命の流れを阻害するというわけです。
私は「成長する」ことそのものは喜びだと思っています。おそらくここで言っているのは、無理して成長しなければと思うこと、つまり助長することが良くないのだと思います。
もう1つ、この本でよく出てくる「外とのつながり」の意味が、いまいち理解できませんでした。後で出てくる「すべてはひとつのもの」ということなのかもしれませんが、こういうわかりにくい概念が、ときどき出てきます。
「だから今の人生が悪いと嘆いて運命を変更しようとする人には、運命変更は起こらないのです。まずは今の人生を認めることなのです。」(p.104)
かなりはしょりましたが、ここまでの部分は理解しづらかったです。運命が決まっていると言いながら、運命が変わることを言われているからです。それなら、運命は決まっていない(=変更可能)だということになるではありませんか。
森田さんは、実際に運命を変える方法までこの本で言及しています。それなら、運命を受け入れることより、その運命を変える方法を実施する方が有効だということになります。このように矛盾を、読んでいて感じてしまいます。
「「真実の私」がどこかにあり、「本当に理解し合える間柄」がどこかに存在すると思うから、人間関係上の争いが起こるのです。
嘘と誤解が当然だと思えば、どういうことになるかというと、とにかく相手を肯定するしか無いのです。
相手が嘘を言っても、自分だって嘘を言うのだから仕方がありません。それを相手にだけ「嘘を言うな」では、不公平です。」(p.111)
本当の自分が何かを、実は自分自身もよくわかっていない。それに、時間が経てば、さっきまでの真実がそうではなくなる。だから、相手もそうなのだと受け入れること。
これは、自分の子どもに対しても同じで、森田家では「以前××と言ったでしょ?」とは言わないのだそうです。子どもと言えども1つの成熟した魂だと認め、この世ではこうなのだと受け入れているのですね。
「頼まれたことをしてくれるのが当然だというのは、家族はひとつだという考え方があるからだと思います。魂は元々他人なのです。他人ならば「使えて当然」、「手伝って当然」というふうにはならないはずです。
私の家では、ずっと前からこれを実行しています。気分が乗らないときは、できるだけしないということを……。」(p.119)
他者より自分の思いを優先することですね。そして、他者が自分にしたがわなければならない理由などないのだと。そもそも自分が他者に恩を着せないようにしていれば、他人が恩を感じるべきとも思いませんから。
「気分が乗らないことはやらないとき、実は逆転現象が起きます。家庭から喧嘩が減るのです。お互いが貸し借り無しで生きているので、一緒にいても楽になります。
愛って何でしょうか、我が家にとっては、「恩を売り買いしないでもすむ間柄」です。」(p.121)
自分に正直であること。素の自分をさらけ出せること。そういう間柄を愛の関係だと言われます。
「私は、諦めました。
すると、どうでしょう……。家庭の中から不和が一掃され、いるだけで癒される家に変わったのです。
それは、相手のすべてを受け入れるようになったのが原因です。」(p.130 - 131)
すべて決まっているなら、変えることを諦めるしかない。諦めて現実を受け入れるしかない。この諦めることで、争いの種がなくなります。
これは私も同感です。私も妻には「あなたは自由だし、私も自由だから。」と言っています。妻が掃除をしなくても文句は言いません。汚くて我慢できないなら、自分がやればいいだけですから。そうやって現実を肯定すれば、争いはなくなりますね。
「私は空洞で全体が私であり、常にひとつであるという至福感……。
しかし、ひとつでありながら、運命を変えることもできるのです。これは全体とひとつになった状態で変わることです。全体と共に変わることです。」(p.210)
急にこの結論は、わかりにくいと思います。「すべてはひとつ」という「神との対話」などで語られていることを知っていれば、少しは理解できると思いますが。
それにしても、「全体とひとつになった状態で変わる」という意味は、私にはよくわかりません。なんとなくわかったような気分にはなりますけど。
「あなたが今のあなたであることは、宇宙がそういうあなたでいいと言っているからです。何も変える必要はありません。
自分をコントロールしようとしていた手を放してみませんか? もちろん墜ちていくかもしれません。でも「今のままでいいんだ」という感覚は、どっかで至福感覚と結びついてくるはずです。」(p.211)
今の自分、ありのままの自分でよいのだと受け入れたとき、自分で制限していたこと(「かくあらねばならない」など)から解放されます。その解放感、つまり自由を感じるとき、幸せを感じられるのですね。
ともかく運命に身を委ねて、自分のちっぽけな理性でどうこうしようとすることを諦める。そうすることで自力から他力へと移行し、運命のそもそもの流れが上手く流れ始めるのだと思います。
運命は、そもそも私を幸せで豊かにしようとしている。その信頼感を持つことが、重要なのだと思いました。直感を信じて、運命に身を任せる生き方。それがこれからの主流になるのかもしれません。
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