何とも面白いタイトルの本を読みました。著者は森川すいめいさん。精神科の医師だそうです。
「自殺希少地域」という、自殺者が統計的に少ない地域を訪ね歩いて、その理由を考察した本になります。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「自殺希少地域の旅中は、出会うひと出会うひとにできるだけ声をかけた。雑談をし、少し関係が深まったと感じたときにできるだけ、
「自殺で亡くなるひとが少ない地域と聞いたのだけどどうして?」
と聞くかまたは、
「生きやすい地域だと聞いたのだけどどうして?」
と聞いた。」(p.10)
このようなフィールドワークを通じて、森川さんが肌で感じたことが、この本にまとめられています。
「岡さんの、近所付き合いの意識に関する調査項目では、希少地域では、隣近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答するひとたちが八割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは一六パーセント程度だった。一方で、自殺で亡くなるひとの多い地域は「緊密」と回答するひとが約四割だった(岡檀(おか・まゆみ)『生き心地の良い町』八四ページ)。」(p.23)
森川さんは、岡さんの自殺希少地域の研究を読んで、衝撃を受けたと言います。それで、その地域の秘密に自分で迫ろうとしたのです。
不思議な感じもしますが、意外にも希少地域の方が人間関係がドライなようにも思えますね。
「こころがどれほど傷ついているかは外からはわからない。本人はわがままでひきこもっているのではない。自分のこころをぎりぎりの形で守るためにひきこもらざるを得ないことがある。手段としてのひきこもりである。
よってその手段がダメだとの議論はしてはいけない。大切なことはこころがどうにも弱ってしまっていることを周りが理解していくことである。」(p.27)
緊密な関係があると、つい自分の価値観を押しつけがちになります。たとえば子どもが登校拒否すれば、何が何でも学校へ行かせようとする親が多いでしょう。それが、子どもの心にプレッシャーを与えるのです。
「治安の良さは町のあちこちで感じ取れる。こうした町や村を何度か旅した後でわかったことなのだが、互いによくコミュニケーションをとっている地域は治安が良い。建物の外にある敷居はいったいどういう意味があるのかわからないくらい低いし、家の鍵は基本的にあいている。」(p.32)
私の田舎も、私が子どものころは、就寝時でもないのに家に鍵をかける家はありませんでした。ほとんどが農家だったということもありますが、勝手に玄関を開けて土間に立ち入ることは、特別なことではなかったのです。
「都会育ちの私は、個人情報が保護されるとか、プライバシーが守られるとか、そういうものが生きる上で大事なことなのだと教えられてきた。しかし、こうした地域ではそんなものは無用である。もしかしたらむしろ有害であるかもしれないとも思わされる。」(p.34)
家に鍵をかけるのも、他人の侵入を容易には許さないという気持ちでしょう。そうされることへの不安が強いために、自分を防御しようとするのです。
「とにかくこの町は構造的にもひととひとの距離が近い。そしてコミュニケーションの量が多いらしい。にもかかわらず、調査の結果では互いに緊密ではないということになっている。」(p.35)
無関心ではないのです。コミュニケーションはしているのです。でも、緊密ではないと感じている。どうやらそこらへんにポイントがありそうです。
「これは旅を続けることで感じたことだが、こうした地域のひとたちは、困ったひとがいたら解決するまでかかわろうとする。困っているひとを途中で投げ出すことはしない。」(p.44 - 45)
日本人は優しいと言われますし、私たちもそう思っています。困っている人を見れば、何とか助けようとするからです。しかし、自分が助けられないとわかると、すっと消えてしまいます。できることは助けるけど、できなければ逃げるのです。
一方で自殺希少地域の人たちは、最後まで助けようとするのだと言います。自分が助けられないことなら誰かに相談し、ともかく解決するまで関わり続けるのです。
「障がいをもつひととそうでないひとを子どものころから分けると、お互いにお互いのことがよくわからなくなってしまう。どういった場面でどういった助けが必要なのか、それを自然とできるようになるためには日常の中にお互いがいなければならない。」(p.50)
私も同感です。違いがあることが見えているから、理解しようとできるのです。それが日常で接していなければ、出会った時に排除しようとします。社会全体が幸せになるには、互いの違いを見せ合わなければいけないのだと思います。
「人間関係が緊密でないこの地域は、緊密な地域よりもひととよくつながり、そこに偏見はとても少なく、そして、自殺は仕方がないことだと思わないひとが多い。」(p.54)
最後まで助けようとするから、誰かが自殺したと聞けば「相談してくれれば良かった」というように考えるのです。
「そして、これは、もう少し後の旅で気付いたことだったが、自殺で亡くなるひとの少ない地域のひとは相対的に自分の考えをもっている。自分の考えがあるゆえに他人の考えを尊重する。ひとは自分の考えをもつと知っている。
違う意見を話せる。だからある人間の側やグループにつくのではなく、どの意見かによって誰と一緒になるかが決まる。ゆえに派閥がない。」(p.82)
自分が意見を持つことを許容しているので、他人が意見を持つことも許容できるのですね。自分の意見を言えるから、人につくのではなく、考え方で共感する。だから、派閥ができないし、作ろうともしないのでしょう。
「そして自殺希少地域では、男性と女性の役割がよくわかっている。そこに優劣はないことを知っている。仕事の種類が異なったとしても互いに平等だと思っている。」(p.113)
これは、男尊女卑が強かった私の田舎には見られない傾向ですね。「女が男のことに口出しするな」という会話は、よく耳にしました。
結局、人間として互いに尊重し合い、その存在価値を認め合っているということが重要なのかなと思います。
「困っているひとがいたら考える前に助けたらいい。大切なことは自分がどうしたいかだ。」(p.138)
相手に対して異常に気を使って、「・・・しましょうか?」などと尋ねないのだそうです。自分がそうしたいのだから、「・・・しますよ。」と言って、さっさと助けてしまう。これが自殺希少地域の特徴なのだと。
相手の意向を気にしないから、断られても腹を立てたりしません。余計なお世話だと相手が腹を立てたとしても、そんな人もいるんだなくらいにしか思わないのだと。
「見返りは必要ない。困っているひとを見ると助ける。それが返ってくるとは思っていない。ただ助ける。助けっぱなし。
そして、ひとは助けられ慣れている。助けられっぱなし。
助けっぱなし、助けられっぱなし、だ。お互いさまなのである。」(p.141)
助けられることに遠慮もしないし、助けたからといって恩を着せることもない。だから自然に助け合いが行われるのです。
「ひとが多様であることを知っているから、みんなと違うものへの偏見が少ない。もう少し言うと、みんなが同じだとは思っていなくて、みんな違うと思っているから、私が精神科医という異なる存在であったとしてもあまり気にされることがない。」(p.137)
違いがあるのが当然だと思っていれば、違いを理由に悪く思うこともなければ、逆に崇め奉ることもないのです。
「「相手は変えられない、変えられるのは自分」
自殺希少地域のひとたちは、大自然との対話をよくしているようだった。厳しい自然があって、相手を変えることはできない。
よって、自分を変える。工夫する力を得る。相手の動きとよく対話をして新しい工夫をしていく。
工夫する力、工夫する習慣は、このようにして身に付き、そして他の困難に直面したときも工夫する習慣が助けになっていく。」(p.181)
厳しい自然が相手だと、自然を変えようとするようなことはせず、それを受け入れて自分がどうするかを考えます。
同じことが、人との間でも言えます。自殺希少地域の人は、人との対話も多いと言います。相手のことをよく聞き、自分がどうするかを考えるのです。
タイトルにもある「ひとの話をきかない」というのは、言いなりにならないということだと思います。相手の顔色を読んだりしない。相手の話はしっかりと聞くけれども、自分がどうするかは自分で考えて、さっさと行動してしまうのです。
この本は自殺希少地域の特徴を探ったものですが、幸せな生き方というものも、まさにその特徴に当てはまるように思いました。
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