白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんのデビュー作を文庫本で読みました。ひすいこたろうさんとの共著になっています。
前回の「感動する!日本史」に続いて、白駒さんのことが気に入って4冊買った本の2冊目になります。
ひすいさんとの共著となっていますが、これはひすいさんのネームバリューを使って白駒さんを売り出そうとしたためでしょう。特にひすいさんのコラムがなくても、白駒さんの話だけで充分に楽しめるものになっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただこれも、29のトピックをバラバラに紹介しているスタイルなので、その良いところをすべて引用することはできません。一部に絞って紹介しますね。
「日本史を見つめ直したときに、「おかげさま」の精神を持つ日本人の感性に合っているのは、「天命追求型」だと思ったのです。まわりから応援されて運ばれていく、天命追求型こそ日本人の生き方、日本人の夢の叶え方なのではないかと。」(p.23 - 24)
豊臣秀吉を例に、最初から天下取りを願ったのではなく、その時その時で自分の最善を尽くそうとした結果、天下取りをしたのだと白駒さんは言います。ですから、無理に目標を立てて邁進するのではなく、今目の前のことに精魂込めるだけでいいのだと。
幕末、黒船の来航に多くの日本人が驚きました。しかし、そんな中にあって、黒船を造ろうと考えた人たちもいました。薩摩藩、備前佐賀藩、そして伊予宇和島藩です。洋学が盛んで殖産興業が進んでいた薩摩藩や佐賀藩は、まだ現実的な判断だと言えるでしょう。しかし宇和島藩は10万石の小藩で、なんのインフラもありませんでした。
「このプロジェクトの主役に抜擢されたのは、嘉蔵(かぞう)というちょうちん張りの職人でした。なぜ、黒船を造るのに、ちょうちん張り?
当時の下級武士の中には、傘張りの内職をする者が少なくありませんでした。ピシとした竹に紙を張るだけでも難しいのに、グニャグニャしたちょうちんに器用に紙を貼っていく嘉蔵。「アイツは器用だから、なんとかしてくれるんじゃないか!」という発想です。
なんて無茶な発想でしょう! ちなみに宇和島藩では、汽罐(かま)を「器用な」嘉蔵に委ね、船体づくりは、「オランダ語の達人だから」という理由で、長州(現在の山口県)生まれの医師・村田蔵六(後の大村益次郎)に命じました。私たちなら思わず「ムリ〜」と言ってしまいそうですが、当時の日本人は「はい」か「喜んで」と答えるしかなかったんですね(笑)。」(p.42 - 43)
それにしても何という無茶ブリ。畑違いもいいところです。それでも引き受けて、何とかしようと努力したのですね。
ちなみに嘉蔵は、黒船を見たことがありませんでした。ですから、黒船を見に行くことからスタートしたのです。
その結果、薩摩藩や佐賀藩には遅れたものの、宇和島藩も黒船を自前で建造しました。嘉蔵自身が描いたわけではない黒船建造という夢を、全身全霊を込めて追い求めたのです。
江戸しぐさに、足を踏まれた方が謝る「うかつあやまり」と呼ばれる作法があるそうです。
「足を踏まれたほうが謝る。これって、「正しい」か「正しくない」かで考えたら、たぶん正しくないでしょう。でも、正しい、正しくないって、時代や地域、文化によっても大きく違うんです。」(p.77)
私たちはつい、正義の剣で他人を切りまくってしまいがちです。しかし、正しさというものは、地域や時代によってまったく違っています。ですから、正しさという物差しで判断するのは、良くないのではないかと白駒さんは言います。
「乗り合い船が混んできたら、江戸っ子たちは握りこぶしひとつ分ぐらい腰を浮かせて、さりげなく席をつめていきます。これは”こぶし腰浮かせ”。広い場所をわがもの顔で独占するのは野暮ですが、これ見よがしに席を譲るのも野暮なんです。相手に心の負担を感じさせずに思いやるのが、粋というものです。」(p.84)
白駒さんは、「粋」かどうかで判断することを勧めています。私は「美しい」かどうかを判断基準にしていますが、通じるものがあると感じました。要は、それが「自分らしい」と感じるかどうかです。
「田地田畑を買いこんでも、うちの場合は人まかせにしてただ寝かせておくだけでっしょ。それではお金に申しわけなかと思うとよ。そんなお金があれば、うちはこれと見込んだ人たちに使(つこ)うてみたか。その人たちがうちのお金で、何か、うちにできん仕事ばしてくれる。それを思うと楽しかとよ。だいいち世間さまへの恩返しにもなるでっしょ」(p.103)
幕末の志士たちを金銭的にバックアップした豪商たちの1人、大浦慶という女性の言葉です。彼女は長崎で日本茶の輸出をして、莫大な儲けを得ていたようです。
このような豪商が多数いて、中には使いすぎて破産してしまった豪商もいたようです。しかし、それを恨むこともせず、ただ自分が助けたいから助けたという気概を持っていました。なんと粋な人々なのでしょう。
「かくも単純で、あたかも己れ自身が花であるかのごとく自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」(p.210)
これは画家のファン・ゴッホの言葉だそうです。このように、日本人を高く評価する人が多数います。
「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」(p.224)
大正から昭和にかけて駐日フランス大使だった詩人のクローデルの言葉だそうです。そこまで惚れ込んでしまう魅力が、日本人にはあるのです。
日本の歴史を見てみると、日本人の美しさに満ちあふれています。自分の損得ではなく、他の人のことを考えて行動する。ときにはそこに命を懸ける。しかも、それをさらりとやってのける。
白駒さんはそういう日本人の生き方を、「粋」という言葉で示されました。まさに、その通りだと思います。
そしてその粋な日本人のDNAが、現代の私たちにも流れています。世界を変えていくのは、日本人のDNAを持った私たちだと思うのです。
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