白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの小冊子「博多の歴女 白駒妃登美講演録」を読んで感動したので、白駒さんの本を4冊まとめて買いました。これはその中の1冊で、文庫本です。
サブタイトルに「日本人は逆境をどう生きたか」とあり、逆境に直面した時の生き方をテーマに、19人の人物を取り上げています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
本当は19人のエピソードそれぞれに取り上げたいところがあったのですが、それではあまりに長くなりすぎます。なので、その中から本当に一部だけをここで紹介します。
「愛する息子のために、自らが悪者になることを選ぶ……そんな危機の乗り越え方もあるんですね。」(p.40)
豊臣秀吉の片腕としてその才能を発揮した黒田如水(官兵衛)の晩年です。急に愚痴っぽくなり、人が変わったように短気になって、家臣を怒鳴り散らすようになったそうです。
それを聞いた息子が如水をたしなめようとすると、如水はこう言ったそうです。
「お前のためにやっているということが、なぜわからぬ!?」(p.38)
偉大な如水には心服していても、息子に対して信頼しているとは言えない家臣の心を息子に向かわせるために、如水はあえて嫌われる役を演じたというわけです。
自分がどう思われるかよりも、もっと大事なもののために行動する。それが如水の生き様でした。
「日本一小さい銀行からはじまり、どんな災害や金融危機をも乗り越えてきたスルガ銀行。その軌跡の歴史は、嵐によって打ちのめされたふるさとのために立ち上がった、一人の青年の思いからはじまりました。」(p.69)
スルガ銀行の設立に、こういう話があったとは知りませんでした。創設者は岡野喜太郎。駿河地方を襲った台風によって農作物は甚大な被害を受けます。そして全国的な経済不況。そのとき20歳の岡野は、教師になる道をあきらめ、農村のリーダーとなったのです。
22歳の時に貯蓄組合を設立し、庶民のための銀行のさきがけとなりました。
金融危機や関東大震災など、様々な試練が銀行を襲います。しかし岡野は、庶民のための銀行という立場を忘れずに、その志を貫き通したのです。
東日本大震災の時、台湾からは圧倒的な義援金と支援物資が送られてきました。それは台湾の人々が、ある日本人から受けた恩を忘れなかったからだと言います。
その人は八田與一。烏山頭ダムと嘉南平原に広がる用水路を作る一大プロジェクトのリーダーです。この事業によってその一帯は一大穀倉地帯に生まれ変わりました。それが台湾の経済を改善させ、先進国になる道筋を作ったと言われます。
「彼の考えは、常識とは真逆でした。
「仕事ができる人なら、解雇されても、すぐに再就職できるだろうが、そうでない者は、失業してしまい、本人も家族も生活ができなくなるのではないか」」(p.86)
一時的に事業を縮小しなければならなくなったとき、有能な人から優先的にリストラしたのです。それは、すべての関係者の幸せを優先したからです。
大震災の翌年、追悼式典に訪れた台湾の代表を、日本政府は一般席に案内しました。中国に遠慮して、国や国家機関の代表者として扱わなかったのです。
台湾の代表は、どれだけ残念な思いをしたことでしょう。しかし、恨み言を1つも言わず、こう言ったそうです。
「「日本に対する台湾の支援は、感謝されたいという気持ちでなく、真の思いやりに基づいた行動です。台日関係は、一本の花束などで表せるものではありません」
台湾と日本は、それほど深い信頼と尊敬と感謝で結ばれているということを、表現してくださったのでしょう。」(p.94)
台湾の発展のために尽くした日本人がいたから、このような関係を築くことができました。少々のことでは壊れることのない関係を作るには、真心を持って相手に尽くすことが重要なのだと思います。
戦国時代に、連戦連勝と言われる武将は数多くいました。織田信長などもそうですが、それでもせいぜい勝率7割程度だったとか。その中にあって、本当に不敗神話を持っている武将がいました。立花宗茂です。
私は、立花宗茂という名前を聞いたことがありません。朝鮮出兵の時も、小西行長や加藤清正らのピンチを救った武将なのだそうです。そして彼のモットーは、利害ではなく義によって動くということでした。
関が原の合戦には間に合いませんでしたが、西軍についたのは秀吉から受けた恩を感じていたからです。国の民から慕われながら、戦火に巻き込みたくないという理由で、城を明け渡して浪人となります。そして20年の歳月を経て、家康から認められて復帰します。元の領地を治めることができた西軍の武将は、彼だけだったそうです。
この立花宗茂の話を白駒さんが小学生に対してしたとき、理解してくれるだろうかという不安があったそうです。しかしその感想文を読んで、白駒さんは思いが伝わるのだと実感されたのだとか。
「私は今まで、損か得かを考えて行動を決めてきました。でも、白駒先生の話を聞いて、変わろうと思いました。これからは、得な方を選ぶのではなく、どちらを選べば自分が胸を張っていられるかを考えようと思います」(p.138 - 139)
道徳という授業があるそうですが、そういう授業が必要なのかと疑いたくなります。それよりも、生きた日本史を伝えれば、それだけでいいのではないかと。どういう生き方が美しいのか、子どもたちは理解できるのですから。
この他にも、たくさんの美しい生き方を貫いた人々が存在しました。その歴史を掘り起こし、明らかにすることによって、私たちは多くを学べるように思います。
日本人は捨てたものではありません。いや、それどころか素晴らしい存在です。私たちは、そういう日本人の一人であることを、心に刻むべきだと思います。
【本の紹介の最新記事】