2016年08月22日

博多の歴女 白駒妃登美講演録

博多の歴女 白駒妃登美講演録

「博多の歴女」と名乗る白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの講演録を読みました。

これは一般書店では売られておらず、「株式会社ことほぎ」の制作となっていますが、実際の販売は、「ココロが元気になる出版社」の健ちゃんこと大島健作さんがされているようです。

お申し込みは、健ちゃんのサイト内のフォームに入力するか、メールまたはFAXでお申し込みください。久留米講演が500円、三刀屋講演が700円、2冊で1,200円(送料別)となっています。注文すると冊子が届くので、同封されている振込先(ゆうちょ銀行口座)へ、代金を入金または振込みすればOKです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私は「病気に打ち克つぞ、ガンには負けないぞ」って思っていたから、たぶんガンにエネルギーをいっぱい与えてしまったんですね。その結果、最初は1カ所だったのがどんどん転移の数が増えて、ついには主治医から、「この状態で僕は今まで治った人を見たことがありません」っていうふうに言われてしまいました。」(久留米講演p.8)

歴史に詳しい方ということは知っていましたが、ガンの闘病経験があったとは知りませんでした。ひすいこたろうさんとの出会いから、本を出版することになった白駒さんですが、その間にガンの闘病生活もあったようです。


『今、ここ』っていうのに全力投球するのが日本人の生き方。要は、目標という目的地を自分が決めてそこまで必死であがいていくのではなくて、『今、ここ』に全力投球することで天命によって運ばれていくっていうのが日本人の生き方なんじゃないかなぁって気がついたんですね。」(久留米講演p.12)

でも、日本の歴史を振り返った時に、自分が夢をもって叶えた人ってほんとに少ないなって思うんです。じゃ、日本人は夢じゃなく何を持っていたかと言ったら、『志』なんですよね。私は「夢」っていうのは自分が叶えたいもの、言ってみたら for me の思いが「夢」なんだと思うんです。
 でも『志』っていうのは、自分が叶えなくても他の誰かが叶えてくれたらそれでいいって思えるような、もう我を超えた、我を手放した、もっと一段高いレベルでの思いが『志』なんじゃないかなって思うんですよね。だから、我を手放した『志』というものを持った時に、私たち日本人のDNAがオンになるんじゃないかと感じているんですね。
」(久留米講演p.13)

西洋のいわゆるアメリカンドリームや成功哲学などが、日本人にはしっくり来ないのだと言います。たしかに、日本の過去の偉人の生き方は、自分が得をしたいという個人的な目標ではなく、大義のために身を虚しくするというものが多いように思います。


そうすると、「善悪」って場所が変わったら、その価値基準が変わっちゃうし、あるいは時代が変わっても変わるんですよね。
(中略)
そうすると私、善悪で考えるのってなんか結構怖いなって思っちゃうんですよね。善悪じゃなかったら、どんな価値基準があるかというと、最近「楽しいか、楽しくないかで選ぼうよ」っていう人が多くないですか。でも私ね、これも危険極まりない考え方だと(笑)、思うんですよね。
(中略)
 じゃあ、日本人がずっと大事にしてきた価値観は何かと言ったら、『粋か、野暮か』っていう考え方なんですよね。」(久留米講演p.15 - 16)

善悪というのは自分の正義ですから、対立を呼び起こします。自分が楽しいかどうかなら、そういう問題は起きませんが、周りの迷惑顧みずということになりかねません。だから白駒さんは、「粋か、野暮か」という基準が日本人らしいと言います。

たしかに、誰も見ていなければゴミを道路に捨てたりするのは、「楽しい」かもしれませんが、「粋」ではありませんね。「野暮」です。まあ本当は、それを「楽しい」と感じる人はいなくて、「楽(らく)」と考えているだけなのですけどね。


でもね、人間、求めても求めてもたぶん手に入らないんですよ。じゃ、どうしたら手に入るかと言ったらね、求めるんじゃなくて「自分から与えよう」って発想が変わったときに、「与えようと思った瞬間に自分の手の中に欲しかったものが入っている」んですよね。」(久留米講演p.21)

白駒さんは、抗癌剤治療で病院通いをした時、「病院をパワースポットに変えよう!」と思ったそうです。治してもらおうではなく、自分が何か元気になるようなものを与えようとした。それもガンが治った理由の1つではないかと言います。


でも、自分が本当にしたいことが分からなくないですか。分からない人も多いと思うんですよ。分からなかったらね、自分がしたいことなんて考える必要はないと思うんですね。自分がしたいことじゃなくて、『大好きな人を喜ばせてあげたい』って思って、その人たちの笑顔のためにできることをしてあげたらいいんです。そうしたら、今度はその人たちがすっごく応援してくれて、その応援のパワーってすごいんです。」(久留米講演p.25)

白駒さんは、最初はアメリカ型の成功哲学にしたがって、目標設定して頑張っておられたのだそうです。しかし、それで夢が叶ったとしても、安心感とか幸せ感が得られなかったのだとか。

それが病気のこともあり、無理をせずにできる範囲のことで、大好きな人のためにやっていこうと考えるようになったそうです。そうしたところ、本の出版が決まったり、講演に呼ばれるようになったりして、どんどん世界が開けてきたのだとか。


覚悟を持てば、目の前の状況が客観的にどうであろうと、そこで自分のやるべきことが見えてくる。このやむにやまれぬ思いを持った時に、たぶん自分の人生って、希望に満ちあふれているというふうな感覚になるんじゃないかなって、そんな気がします。」(三刀屋講演p.9)

普通なら絶望してしまいそうな状況を前に、希望を感じる人がいると紹介した後の文です。今の状況がどうかではなく、自分の覚悟が重要なのだということですね。


でもね、日本の歴史を紐解いていくと、今を未来の手段にして生きてきた日本人なんて、ほとんどいないんですよね。日本人というのは、いつも「今、ここ」に全力投球してきた。今、自分に与えられた環境を受け入れて、感謝して、ご縁をいただいた人たちに笑顔になってほしいって心から願って、そのためにできることを精いっぱいすると扉が開く。そして次のステージに上っていける。」(三刀屋講演p.18)

こういう、日本人らしい生き方に立ち返った時に、たぶん私の中の遺伝子のスイッチがオンになって、自分で思ってもみなかった免疫力や自然治癒力というのが発揮されて、今こうして生かされているのかな、なんていうふうに思います。」(三刀屋講演p.19)

将来の目標のために今を犠牲にするのではなく、今やるべきことを淡々とやる。それが将来、どうつながっていくのかまでは考えない。そういう生き方が日本人らしいと、白駒さんは言います。


だとすれば、死は好むべきものでもないけれども、憎むべきものでもないんじゃないかな。もし君が生きて人のために尽くせるのであれば、いつまででも生きる努力を続けなさい。でも、もし、今ここが命を懸けるほど大事な場面だと思ったら、その時は潔く命を差し出しなさい。大切なのは、生きるとか死ぬ、あるいはいつ死ぬなんていうことじゃない。本当に大切なのは、生死のことなど度外視して、いま自分がやるべきことをやるという心構えを持つことなんじゃないか」(三刀屋講演p.20 - 21)

これは、吉田松陰から高杉晋作へ、亡くなる直前に送られた手紙の一部を、白駒さんが意訳したものです。白駒さんは、この手紙によって、ご自身が死の恐怖から解放されたと言います。

もともと日本人には、生が良くて死が悪いという二元論的な考え方はなかったのだと言います。すべてを包括して受け入れる。聖徳太子が定める以前から、日本は和の国であり、和を尊ぶ民族性だったのだと。


これは私の解釈なんですけどね、たぶん、死というのは、天が「今までよく頑張ったね」って言ってくれるのが、死じゃないかなって。だってやることがあれば生かされるんだもの。「もうやることが無いくらいよく頑張ったね」って言ってくれるのが、たぶん死なんですよ。そしたら、生きることも、生かされることも素敵ですけれども、死を迎えるのも悪くないなって、今そんな気持ちでいるんです。きっと、そういう”すべてを受け入れる”、”すべてを包み込む”、これが本来の日本人なんだなって。」(三刀屋講演p.23)

生も死も必然であるなら、やるべきことがある間は生かされます。死は残念なことではなく、もう十分によくやったから、帰ってきていいよという天のお告げなのかもしれません。


するとその大学教授は、こう続けました。「そうですよね、あなたのおっしゃる通り、日本が長い間統治していたのは台湾と韓国です。今、その2ヶ国どうなっていますか。先進国でしょ。欧米が植民地にしていた国のどこに、今の先進国があると言うんですか。日本が長い間統治していた国や地域だけが先進国なんです。ということは、同じ”植民地”という言葉で表わされてしまうかもしれませんが、日本と欧米では、その植民地政策の中身がまるで違っていたということの証じゃないですか」。」(三刀屋講演p.32)

これはインドネシアの大学教授から日本に感謝していると言われて、白駒さんが戸惑ったときの会話だそうです。白駒さんはそれまで、太平洋戦争では日本は悪いことをしたとしか考えていなかったのだそうです。

この大学教授は、350年間も支配されてきたインドネシアから、オランダ軍を日本は9日間で追い出して、開口一番にこう宣言したと言ったそうです。「われわれ日本軍は、インドネシアを独立させるためにやってきた。」そしてすぐさま、インドネシア国民の教育に着手したそうです。

支配されることに慣れていたインドネシアの人々は、最初は「独立」という言葉にピンと来なかったそうです。それを日本は何度も独立の大切さを説いて、その考えを浸透させていったのだとか。

全ての出来事はプラスマイナス両面を持っていて、功罪相半ばする。「本当に歴史を学ぶということは、多面的にその出来事をとらえ、そのうえで自分がどういう歴史観を持つのか、これが大事」なんだなって、教え込まれた気がするんですよね。」(三刀屋講演p.32)

インドネシアの大学教授との会話から、白駒さんはこのように感じたそうです。


この後、台湾の話とかも出てきます。オリンピックの話も出てきます。今の日本人からは、すっかり忘れ去られたような日本人が、どれだけ人々につくす生き方をされてきたか、涙なしには読めませんでした。

白駒さんは、何冊かの歴史の本を出版されています。今度、それを読んでみたいと思いました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:58 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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